ソフト金・渥美万奈「米国戦前に勝利の予感あった」〝奇跡のダブルプレー〟は「体が反応した」

渥美は米国との決勝でも数々の好プレーでチームを救った(ロイター)

宿敵撃破の舞台裏とは――。東京五輪ではソフトボール日本代表が金メダルを獲得して列島を沸かせた。9月4日に始まる日本リーグの後半戦を前に、日本を頂点に導いた立役者の渥美万奈(32=トヨタ自動車)が本紙のインタビューに応じた。米国との決勝戦前に〝勝利の予感〟があったことを明かしたほか、チームを救った数々の好プレーを自身で解説。また、五輪競技復活を目指すソフトボールの普及への思いを語った。

――金メダルの実感は

渥美(メディアからの)取材の量が今までと全然違うので、本当に取ったなっていう実感があります。いろんな所に行くと、ちょっと顔がバレているというか「あっ!」みたいな感じで見られるので、そういう部分でテレビの力ってすごいですね。やっぱり悪いことはできないなって思います(笑い)。

――1次リーグのメキシコ戦ではサヨナラ打となるエンドランを決めた

渥美 自信を持ってというか、本当に「無」でやったという感じです。必ず毎日練習でやり続けていましたし(二遊間を組んだ)市口(侑果)がエンドランやバントが上手なので、どうやってやっているのかを聞いたりしていました。

――どんなアドバイスを受けた

渥美「詰まっていいよ」と言われました。エンドランは空振りできないじゃないですか。(打つ)ポイントを前にしてしまうと空振りをしやすくなってしまう。どのコースも詰まってもいい意識でやることによって、バットを振らなくて済むというか、ちょこんと当てるだけで前に飛ぶので。

――決勝は因縁のライバルの米国を倒して優勝した

渥美 2年前とか3年前はなかなか米国に勝てない状態が続いていて、実際に勝率は全然米国の方が上でした。でも、今回の予選(1次リーグ)でまず米国と対戦(1―2で惜敗)したその日の夜のうちに「いつもの米国じゃないな」っていう話をみんなでしていた。決勝の当日も「自分たちが普通に試合をすれば、今の状態だったら米国には勝てるよ」と話をしていたので、自分の中ではいつも通りのプレーをしようっていう意識でしたね。

――決勝では4回に先制の内野安打。一塁にヘッドスライディングした

渥美 フライだけは打たないイメージでいました。あの場面は内野も下がってくれていましたし、絶対に転がせば何かあると。あの場面は打った瞬間、全然冷静じゃなかったですけど、必死で一塁ベースに早くたどり着きたい気持ちだけで飛び込んだんだと思います。

――6回には奇跡のダブルプレーが生まれた

渥美 後藤(希友)が(マウンドに)上がった時に落ち着きがないと感じた。(一死一、二塁で)チデスターが出てきた時に、いつもの後藤じゃないので、引っ張られるだろうなっていう予想をしていて。ゲッツーを取るポジションではなく、定位置にいたことがあのプレーにつながったと思います。

――その場面で三塁手の山本優が弾いた強烈なライナーをダイレクトキャッチした時の心境は

渥美 一瞬「なんだっけ?」みたいな感じになりましたが、振り向いた時に二塁走者が自分の視界に入ったので「あ、二塁に投げなきゃ」って体が反応したというか。頭ではそんなに考えていないプレーだと思う。

――次回のパリ五輪でソフトボールは採用されないが、どうやって魅力を発信していく

渥美 今は特にSNSが使いやすいなと感じている。いろんな情報やソフトボールの技術を少しでも多く載せて、どうやってソフトボールを世界中に広げていくかっていう部分で、私たちができることをやっていきたいです。どんどん私たちが投稿することが大事だなと思っています。

☆あつみ・まな 1989年6月15日生まれ。静岡県出身。2人の兄の影響もあり、小学1年でソフトボールを始めると、2000年シドニー五輪で見た安藤美佐子氏のプレーに憧れを抱き、遊撃手を志した。08年にトヨタ自動車へ入社し、12年からレギュラーに定着。同年、日本代表に初選出された。16年以降は代表でも不動の遊撃手として活躍。東京五輪では9番・遊撃で全試合に先発出場。決勝の米国戦では、奇跡のダブルプレーで金メダルに大きく貢献した。167センチ。右投げ左打ち。

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