女性たちの鼓動伝える本を編み続けた人 ドメス出版編集長・鹿島光代さん逝く

By 江刺昭子

鹿島光代さん(65歳頃)

 夏の盛りの8月11日、新聞の訃報欄にドメス出版編集長の鹿島光代(かしま・みつよ)さん、服飾デザイナーの中嶋弘子(なかじま・ひろこ)さん、女性学研究者の井上輝子(いのうえ・てるこ)さんの名前が並んだ。女性3人の死亡記事が並ぶのは珍しいが、それぞれの分野で「女の時代」を支え、リードした方々である。お三方とも仕事で縁があったので、しばらくぼうぜんとした。

 7月27日に亡くなられた鹿島さんは編集者として黒子に徹しながら、女性問題、女性史学が市民権を得るのに決定的な役割を担った人である。凜(りん)とした姿勢をしのびつつ、足跡をたどりたい(女性史研究者=江刺昭子、以下敬称略)。

 鹿島光代は1929年、東京生まれ。日本統治時代の中国東北部・大連で育った。戦後まもなく早稲田大学文学部露文科に学び、華やかで、男子学生の憧れの的だったようだ。学生運動が高揚した時期でもあり、運動にもまれながら社会科学の理論に傾倒した。

 その後、ロシア文学者の鹿島保夫(かしま・やすお)と結婚、夫妻で53年創刊の雑誌『多喜二と百合子』の編集発行人を務めたが、当時の社会運動内部における対立や分裂の過程で深い傷を負ったのだろう、この時期のことについては身近な人にも口を閉ざしている。

 60年、医歯薬出版に職を得て、編集者として出発。労働組合を結成して社員の待遇改善に奮闘し、ために社長とも口をきかない時期がしばらく続いたという。

 同社内に置かれていた生活科学調査会(発起人は教育評論家の重松敬一)の出版部門を69年に独立させたのがドメス出版で、社名はドメスティック・サイエンス(生活学)に由来する。編集長の鹿島を含む女性3人が、編集も営業も経理も全て担う極小出版社だった。

 手元にある2009年の『総合図書目録』の「ごあいさつ」は、ドメス出版の「主要テーマは『生活学』の確立」にあると宣言する。

 続けて「人間が豊かに生きるうえでの生活の基盤がますます崩れ失われてゆく現代において、その集中的しわよせは、子ども・女性・高齢者などに顕在化しています。小社は、これらの矛盾を一日も早くこの日本から払拭(ふっしょく)するための出版を心がける」と述べ、旗幟(きし)を鮮明にしている。

 この方針を貫いた図書の出版点数は21年現在、844点に及んでいる。

 『総合図書目録』は、テーマを「女性の問題」「社会の問題」「生活の問題」「その他」に分類。「社会の問題」で子どもや老後を扱い、「生活の問題」では創業早々、社運をかけて今和次郎(こん・わじろう)の全集9巻の刊行に取り組んだ。今は考現学・生活学を提唱した人である。

今和次郎(1970年10月撮影)

 今の家を訪問したときのことを鹿島は次のように書いている。

 「先生は、なにげなく、『この日本の繁栄は、アジアの人たちの人間以下の生活の上に成り立っているのだよ』といわれた。かつての日本の植民地で育った私は、ハッとした。何か全身に電流が走ったようだった」

 「こんなに人間に即して、生活に即して、温かい目で、ある哀しみをさえただよわせて話した人があっただろうか。理論でなく人間の心から語られたこのひとことに、私は深く感動した」(引用はいずれも「著作集刊行から学会設立まで」日本エディタースクール編『本の誕生 編集の現場から』)。

 鹿島の心のうちで、さまざまな問題の解決を、理論ではなく「人間」、「生活」の次元でとらえる覚悟がここで定まったようだ。

 個人全集の刊行は、出発早々の小出版社としては大胆な挑戦だったが、編集委員らと会議を重ねながら編集し、刊行後、学際的な「日本生活学会」の誕生につながった。

 同時進行で「女性の問題」として1971年に企画したのが市川房枝、丸岡秀子らを編集委員とした『日本婦人問題資料集成』の編集である。

 近代の黎明(れいめい)期から現代までの婦人問題に関する資料を集大成したもので、全10巻のそれぞれの内容は「人権」「政治」「労働」「教育」「家族制度」「保健・福祉」「生活」「思潮(上下)」「近代日本婦人問題年表」。各巻A5判800ページを超える大著で、資料の収集と編集作業に全力を注ぎ、完結までに10年を費やした。

 全巻刊行後の81年、第35回毎日出版文化賞特別賞を受賞した。選考委員の歴史学者・松尾尊兊(たかよし)がこう称賛している。

毎日出版文化賞贈呈式。後列右から3人目が鹿島光代

 「婦人問題、女性史研究の分野で初めての総合資料集であり、研究者のみならず、婦人問題に関心を持つ一般の人々に対しても与える便益は計り知れないものがある」「本集成の完結した81年が女性史研究の画期となることは確実である」

 まことに当を得た評価で、女性問題の出版社としての地位を揺るぎないものにした。

 70年代初頭、アメリカから押し寄せてきたウーマンリブに衝撃を受けながら、女性史を手がけるようになったわたしにとっても、この資料集成は手放せないものになった。

 とりわけ丸岡秀子と山口美代子が編集責任者として取り組んだ第10巻「年表」は、山口が当時勤務していた国立国会図書館の女性研究者ら6人が、本業のかたわら資料収集に当たった労作で、それまでどこにもなかった精緻な女性史年表だった。

「第11回全国女性史研究交流のつどい in 東京」で。左から鹿島光代、山口美代子、女性史研究家の国武雅子、ドメス出版編集者の矢野操=2010年9月

 どのページを開いても、その時代の女性たちの鼓動が聞こえてくる気がして、年表を読む醍醐味(だいごみ)を知った。今もこれを超える女性史年表は出版されていない。これからジェンダーや女性史を学ぶ人も是非ひもといてほしい。

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