今夏、リオネル・メッシやアントワーヌ・グリーズマンら多くの選手を放出したバルセロナ。
構想外となっていたミラレム・ピャニッチはベシクタシュへのローン移籍が決まった。『Marca』のインタビューに答えた彼はロナルト・クーマン監督への苦言を呈している。
ミラレム・ピャニッチ
「僕は常にバルサのプレースタイルが好きだったし、試合も見ていた。
バルサの哲学は自分のサッカーに合っていた。
自分にとってバルサのようなクラブでプレーするのは大きな目標だった。
だが、これほど難しい状況になるとは思っていなかった。新型コロナウイルスの影響もあった」
「イタリアで9年過ごした後、新しい挑戦がしたかった。それにトライするふさわしいタイミングだった。
でも、監督は僕のことを知らない人だった」
「すでに加入当初から僕の状況は難しいものだった。
2、3、4、7、10日経っても、監督は全く話しかけてこなかった。他の選手がやっていたようにチームに自己紹介する機会もなかった。
すごくおかしかったけれど、大丈夫だと(思おうとした)。まだ始まりだ、落ち着けってね」
「オフに練習もしたし、練習後にひとりで走ることもあった。
彼が望むなら、僕はもっとたくさんのことを与えられたはずだ。
でも、彼はものすごくおかしな監督だった。あんなマネージメントは見たことがない」
「いまだに監督が何を望んでいたのか正確には分からない。
彼は僕に説明しようとしたり、解決策を見つけようとはしなかった。
いいのか悪いのかなど聞きに行くのは自分のほうだった。
優勝するには、1シーズンで17,18人の選手が必要になる。
でも、彼にとって僕のゲームは何の問題でもなく、自分に答えをくれなかった。
時間が経つにつれて、状況は悪化していったが、そこに理由はなかった。
僕はプロフェッショナルに徹したけれど、理解するのが難しかった。(クラブ)内部に何が起きているのか理解できない人が大勢いた。
僕はどのチームでもどの監督とも一切問題を起こしたことはなかった。全ての監督ととてもいい関係を築いてきた。
でも、何が起きたのか理解できない。
彼は責任を負いたくなかったし、対立もしたくなかった。彼はどうマネージメントするのか分からなかったからね」
「(バルサと契約したことを後悔しているかと聞かれると…)
「いいや、全く。人生では避けられないこともある。そういうことさ。
僕は人生とキャリアで常に戦ってきた。ユーヴェやバルサのレベルまで達した。
このチームでプレーできると分かっていたけれど、競争したり、チームを助けるチャンスを与えられなかった」
「Geri(ジェラール・ピケ)、レオ(メッシ)、Busi(セルヒオ・ブスケツ)、ジョルディ(アルバ)らとプレーするのは喜びだった。
チームをもっと助けたかったけれど、そのチャンスを与えられなかった」
「(無礼に扱われたか?)
監督はそうだ。そうだね」
加入当初からクーマン監督に冷遇されていたと暴露したピャニッチ。
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バルサ入りは後悔していないとしつつ、指揮官から平等な扱いやチャンスを与えられなかったことには不満が残っているようだ。