【TOKYOパラ ともに前へ】「日本の柱」へ決意新た 車いすバスケ・高松

第4クオーター終了間際にコートに立った高松=5日午後1時55分、有明アリーナ

 まさに意地と意地のぶつかり合い。車いすバスケットボール男子決勝は最高のメダルマッチだった。

 惜しくも米国に敗れたものの、日本は史上初の銀メダルを獲得。「このチームでやれて良かった」。小山市出身の日本体育大4年高松義伸(たかまつよしのぶ)選手(21)=栃木レイカーズ=は、やり切った顔で初めてのパラリンピックを終えた。

 1点リードで迎えた第4クオーター。「出番が来たら、自分の仕事をするだけ」。連覇を狙う最強軍団とのマッチアップに備えた。

 中盤に逆転され、60-64と後がなくなった残り14秒。「行ってこい」。チーム最多18得点の香西宏昭(こうざいひろあき)選手に声を掛けられ、手をたたいてコートに入った。

 すぐにボールを持った選手の動きをチェック。ただ「やれることはなかった」。試合終了のブザーが鳴る。「ここに立てただけで良い経験」とわずかなプレータイムをかみしめた。

 「11人が頑張ってくれて、歴史的瞬間を見せてもらった」。コートの真ん中で一人一人の手を握り、感謝を伝える。「全然使ってやれなくて悪かった」。最後は、京谷和幸(きょうやかずゆき)ヘッドコーチに肩をたたかれた。

 「パリへの経験枠」として、初めて背負った日の丸。1次リーグから決勝まで先発はなく、出場時間は計11分45秒。ボールに触れない時間の方が長かったが「僕はこれからの選手」。焦らず、経験値を稼いだ。

 そして大きな背中から学んだ。「粘り強い守備と得点力を身に付けないと」。障害の程度による「持ち点」が同じく高い宮島徹也(みやじまてつや)、藤本怜央(ふじもとれお)両選手の姿に、未来の自分を重ねた。

 勝負は、次のパリ大会。「先輩方がつくってくれた歴史を崩すことなく、継続してメダル獲得していきたい」。成長途中の背番号21。3年後は、日本の柱になって帰ってくる。

銀メダルを手に笑顔を見せる高松(右)と鳥海=5日午後3時40分、有明アリーナ

© 株式会社下野新聞社