〈じょうえつレポート〉五輪ドイツ体操を支え 躍進の裏にホストタウン上越での合宿  市や協会 交流発展望む

 東京パラリンピックが5日、閉幕した。コロナ禍の下で開催された今回の東京オリンピックとパラリンピックは上越地域においてもさまざまな関わりがあった。特に、上越市はドイツのホストタウンとなり、同国体操チームの直前合宿を受け入れ、男子団体で入賞、個人種目別でメダルを獲得する躍進に貢献した。関係者や体操協会は今後も友好関係を続け、互いの競技振興、発展に結び付けたいと望んでいる。(報道部・武井毅記者)

パラ柔道など含め計5回

 上越市はドイツのホストタウンとして体操、トランポリンで各1回、パラリンピック柔道で3回、計5回の合宿を受け入れ、支援してきた。体操チームの合宿は7月10~18日(代表選手の練習日程)、大潟区九戸浜の上越体操場ジムリーナで行われ、実際のオリンピックでも使用された最新の器具で五輪本番を想定した練習を展開した。

 コロナ禍の影響で直接的な交流や練習の一般公開はなかったが、到着時には地元太鼓団体「海音鼓(うみねこ)」の演奏で出迎え、区内の事業者などでつくる「ジムリーナと新しい夢を育む会」や大潟区町内会長協議会のメンバーらが歓迎。期間中は市内の小学生とオンライン交流を実現した。選手たちは小学生との交流に「子どもたちが好奇心旺盛で、(自身らに)興味を持ってくれてすごくうれしかった」と話していた。

男子団体8位 種目別「銀」

 ドイツ体操代表は五輪の舞台で躍動し、男子団体で8位入賞、男子種目別平行棒でルーカス・ダウザー選手が銀メダル、女子種目別段違い平行棒でエリーザベット・ザイツ選手が5位に入賞した。村山秀幸市長は「縁あって当市で合宿をされた皆さんの活躍を心からうれしく思う」と祝福コメント。「ジムリーナと新しい夢を育む会」の金修二郎会長は「ジムリーナでの調整がうまくいったとしたら、応援したかいがある」と喜びを表した。

大潟区の上越体操場ジムリーナで練習を行うドイツ体操チームのメンバー(7月10日)

 五輪終了後、ドイツ体操連盟のアルフォンス・ヘルツェル会長と、合宿に参加したウォルフガング・ヴィラム競技スポーツ担当理事長から上越市にメッセージが寄せられた。連名で「この度の受け入れに際しては、上越市としても困難な状況下にあったと存じるが、私たちを迎えていただきありがたく思っている。合宿は居心地のいい宿泊施設やおいしい食事、スムーズな移動、気配り上手で親切なアテンドをはじめ、優れた練習環境で恵まれたパーフェクトな1週間だった。素晴らしい成績を残すことができたのは、充実した練習ができたことの成果の現れ」と感謝し、「お返しとして、少しでも日独交流や地域の体操の振興に貢献できたら幸い」と交流の発展を望んだ。

 市ではドイツのホストタウン推進事業を通し、さまざまな文化交流やイベントも予定していた。コロナ禍の影響を受けたものの、市内でオリンピックの聖火リレーが行われ、パラリンピックの採火式に市内中学生らが関わったこともあり、市オリンピック・パラリンピック推進室は「直接の交流はできなくても、もの、こと、思いなどが心に残り、それぞれの人が感じ取ってくれることが一つのレガシーであり、活動の成果になると思う」と話した。

ドイツ体操選手と市内小学生とのオンライン交流。楽しそうにやりとりした(7月13日)

結び付き深く末永く交流を

 上越市とドイツ体操との結び付きは深く、古くは1936(昭和11)年のベルリン五輪に出場した同市上曽根出身の曽根道貫さん(1914~1992年)が、体操の原点ともいえるドイツ式体操の資料や器具を持ち帰ったのがきっかけ。旧制高田中学(後の高田高)の体育教師・加藤信治さん(1914~1984年)が取り入れ、団体徒手体操で国体8連覇を成し遂げるなど大きく発展させた。旧板倉町出身で国際体操連盟名誉副会長、瀧澤康二さんは現役時代にドイツに留学したのを縁に交流を深め、今回のホストタウン推進事業の橋渡し役となった。

 その流れをくみ、現在、上越市は「体操のまち」として、環境を整え、アピールしている。上越体操協会会長で、一般社団法人レインボージムナスティックス大潟代表理事の佐藤敬藏さんは「コロナが収まったら、上越から体操をやっている子どもたちをドイツに行かせたい。末永く体操を通じ意欲を高め合い、互いに切磋琢磨(せっさたくま)していければ」と願いを話した。

© 株式会社上越タイムス社