甲子園沸かせた“伝説の二塁手”の現在地 元横浜主将とタッグ組み子どもたちに恩返し

元常葉菊川の二塁手で甲子園を沸かせた町田友潤さん【写真:本人提供】

町田友潤さんは常葉菊川2年で選抜V、3年夏の選手権で準優勝を経験

元横浜高校野球部主将で、一般社団法人「日本未来スポーツ振興協会」の小川健太代表理事が中心になって進めている取り組みで、静岡県の支部長を務めているのが、「伝説の二塁手」として知られている元常葉菊川(現・常葉大菊川)の町田友潤(まちだ・ともひろ)さんだ。小川さんの活動に賛同したのは、野球への思い、子どもたちへの思いが重なったからだった。【間淳】

町田さんは小川さんについて「一目置く存在で、僕たち世代のキャプテン」と話す。2人は同級生。町田さんは2007年の選抜大会で優勝し、翌08年の夏の甲子園でも準優勝した。町田さんは「セカンドに打ってしまえば望みはない」と評されたほどの名手。小川さんは中学時代から全国に知られる存在で、横浜高校では甲子園に出場して主将も務めた。

2人は高校時代から親交があり、卒業後も連絡を取り合う関係だった。町田さんは、小川さんが経済的に厳しい中で続けてきた野球への愛情を知っていた。そして、野球に恩返ししたい思い、次世代の子どもたちへ野球の楽しさを広げたい思いも分かっていた。町田さん自身もユニホームを脱いでから、同じ気持ちで過ごしていた。だからこそ、経済的に苦しい子どもたちに野球用具を寄贈する取り組みを始めた小川さんから協力を求められた時、即答したという。

「毎年毎年、野球人口が減っている。野球に育ててもらったので恩返しをしたいと考えていたタイミングで声をかけてもらった」

町田さんは小川さんが代表理事を務める一般社団法人「日本未来スポーツ振興協会」で静岡県の支部長を務める。静岡県内で野球用具を必要としている子どもたちを探したり、野球人口を増やすイベントに参加したりしている。「常葉菊川の町田」と聞けば、その名を知らない高校野球ファンはいないだろう。抜群の知名度を生かして野球部員の募集にも協力し、野球教室では競技の楽しさを伝えている。活動の根底にあるのは、野球や周囲への感謝。常葉菊川で輝くことができたのは、地元の人たちを中心とした周りの支えがあったからと言い切る。

「高校時代の練習には子どもたちも来てくれて応援してもらった。甲子園にも出場して、本当にいい思いをさせてもらった。今度は自分たちの世代が、いいおじさんになってきたので、子どもたちのためにやっていかないといけない。『やれたらいいな』ではなく『やらないといけない』という思いになっている」

野球教室では、競技の楽しさを伝えている【写真:本人提供】

現在は浜松市で放課後等デイサービスと児童発達支援の事業所を計4つ運営

町田さんが子どもたちへ強いこだわりを持っているのは、引退後の人生にも表れている。2013年秋に社会人の名門・ヤマハでユニホームを脱ぎ、翌年秋からは、発達障害の子どもへ生活に必要な訓練をするデイサービスの会社で2年間“修業”した。福祉の道を志したきっかけは、高校2年生の時だった。選抜大会で優勝して地元に戻ると、知的障害がある少年の母親から「町田選手の姿を励みにしている」と声をかけられた。この時、障害のある子どもたちや、その保護者に「何らかの形で貢献したい」と将来像を描いた。

2017年に会社を立ち上げた町田さんは現在、浜松市に放課後等デイサービスと児童発達支援の事業所を計4つ運営している。放課後等デイサービスでは、主に特別支援学校に通う小学校1年生から高校3年生までの子どもたちを放課後から午後6時まで預かっている。長期休みは午前9時から午後4時まで一緒に過ごす。児童発達支援では、未就学児を預かっている。

1つの事業所では定員10人に対して、スタッフは5人ほど。定員はいっぱいだが、毎日のように利用を希望する問い合わせがあるという。「子どもたちを受け入れる場所を社会として増やしていく必要性を感じているが、事業所の新設基準を甘くしてしまうと、質の担保ができない」。町田さんはジレンマを感じながら、利用希望を断っている。

事業所では食事のマナーや着替え、排せつなどの自立訓練をする。また、ゲームや運動を通じて集団生活を身に付けるプログラムを組んでいる。町田さんは子どもたちと柔らかいボールでキャッチボールをすることもある。目的は「1人でできることを増やす」、「自分でやりたい気持ちを育てる」ことにある。子どもたちの命や将来を預かる仕事をしている町田さん。保護者から感謝されるのは、やりがいの1つだが、子どもたちの成長を見た時が最も幸せを感じるという。目尻にしわをつくり表情を崩して、こう話す。

「子どもたちが、できなかったことができるようになった瞬間が最高ですね。毎日毎日失敗していた箸の使い方がうまくなった時。フォークなら簡単に食べられるのに、一生懸命箸で練習する。自分の名前を書けるようになった子どもが、書き取り帳を持ってきてくれる。書けたよと。幸せを感じる瞬間ですね」

野球人生で子どもたちに力をもらった町田さんは今、恩返しの道を歩んでいる。同じ思いで活動する仲間とともに。(間淳 / Jun Aida)

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