【独占直撃】華麗なるプロ剣士・江村美咲「次はサーブルの時代を」東京五輪フェンシング女子団体5位

本紙のオンライン取材に応じた江村美咲

華麗な剣士の思いとは――。東京五輪フェンシング女子サーブル団体で日本は過去最高の5位入賞を果たした。今年4月に同競技では初となるプロ転向を経てチームに貢献した江村美咲(22=立飛ホールディングス)が本紙インタビューに応じ、初の大舞台で味わった悔しさや達成感、業界を騒然とさせた「報奨金1億円」の衝撃、2024年パリ五輪への意気込みなどを激白。また、ネット上で話題となった大会後の始球式の舞台裏も明かした。

――日本女子で過去最高の5位入賞。初の五輪を終えての感想は

江村 本当にいろんな感情があって、終わった直後はメダルを目標にしていたので悔しさもありましたが、最後までやりきったという達成感、ギリギリの試合を勝てた安心感、感謝の気持ちもありました。ただ、日がたつにつれてメダリストの方々は(メディアの)露出が多いなと。それを見てまた悔しさが増しましたね。

――試合前日は男子エペ団体が金メダルを獲得

江村(選手村の)部屋でみんなで(エペの)決勝と表彰式を見ていて、本当に金メダルいいねと。「いい流れも来ているし、明日は私たちも絶対メダルを持って帰ろうね」という話をしていました。

――エペの見延和靖(ネクサス)には所属先から報奨金1億円が贈られた。現役選手として感じるものがあったのでは

江村 いやあ、驚きましたね。フェンシングでも億稼げるんだと。1億円は子供たちが夢を持てるというのはもちろん、現役の私たちもやる気が出るというか。もう一つ夢ができた感じがして、モチベーションにもなるので本当によかったです。今のスポンサーさんにとってはプレッシャーだとは思うんですけど。メダル取ったら1億出さないと…みたいな(笑い)。

――自身は今年4月からプロとして競技に専念。就職という選択肢はなかったのか

江村 大学在学中に支援してくださったスポンサー企業が何社かあったんですけど、大会が1年延期になったことで何も恩返しできていないのにどこか1社に就職するということに抵抗があって…。プロになれば複数のスポンサーから支援していただけるので、それが1つ目の理由です。もう一つは就職したら給料や条件によっては遠征費も出してもらえるので安心感はあるんですけど、自分は新しいことに挑戦してみたいタイプ。金銭面など結果に左右されますが、いろんな可能性があるプロに挑戦してみたいなという気持ちがあったのが理由でした。

――五輪後、8月15日の西武―楽天戦(メットライフドーム)ではフェンシングのユニホーム姿で始球式をした

江村 やっぱり野球ファンが多いことが関係していると思うんですけど、五輪よりもすごい反響が来ましたね。

――ストライク投球後に喜ぶしぐさがかわいいとネット上などで話題に

江村 あれは本当に奇跡の1球というか、直前の投球練習でも結構暴投していて…。なんかもうヤバいとも思わず、なるようになれと思って投げたらたまたまストライクゾーンに行ったんで、それがうれしすぎて自然とああいう感じになっちゃいました(笑い)。

――五輪は無観客だったが、ドームには約7000人の観客が入った

江村 普段からフェンシングで7000人のお客さんが入ることはなかなかない。そういう意味ではフェンシングではないですけど、今まで「プレー」を披露した中で一番多かったかも。それからインスタグラムのフォロワーが五輪期間中はじわじわ500人ほど増えたんですが、始球式後は一気に1500人以上増えたので、後者のほうが影響力があったなと(笑い)。

――競技を知ってもらえるきっかけになった

江村 ユニホーム姿で投げるというのも珍しいですよね。「フェンシングにこんな選手がいるんだ」「試合見てみたい」という声は私にも届いていて、少しでも盛り上げることに貢献できたかなと。あとは7000人の前でやってみて、フェンシングもこれだけ盛り上がったらどれだけいいだろうかという気持ちにはなりましたね。

――フェンシング、特にサーブルをより知ってもらうためにも2024年パリ五輪では個人、団体ともに表彰台を狙う

江村 太田(雄貴)さんが(08年北京五輪で銀)メダルを取って、日本のフェンシングはフルーレの時代みたいな時期がしばらく続いて、今回はエペがメダルを取った。あとはサーブルだけなので、それこそ自分が取って、次はサーブルの時代を持ってきたいなという気持ちはあります。(色は)金メダルですね、やっぱり。

☆えむら・みさき 1998年11月20日生まれ。大分市出身。父の宏二さんはフルーレ代表で88年ソウル五輪に出場し、母・孝枝さんはエペ代表で世界選手権に出場。自身は8歳でフルーレを始める。中学入学前に優勝景品だったジグソーパズル欲しさにサーブル大会に出場し、優勝したことをきっかけに種目を変更。大原学園高1年の2014年に南京ユース五輪大陸別混合団体で金メダル。中大時代は18年W杯銀メダル、20年W杯銅メダル。170センチ。

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