ぬくもりで恩返しを 地域支える側に回り貢献

 松田町役場の子育て健康課に勤務する叶成司さん(22)にとって、想像もしなかった人生を歩むこととなった「3・11」から5年が経過する。生まれ育った福島県浪江町は、東京電力福島第1原発事故の影響で警戒区域となり、立ち入り禁止に。避難した松田町で社会人となった。「この地域は人が温かい。自分もその一員となってぬくもりで返したい」。恩返しの気持ちを込めて業務に携わる。

 「震災がなければ、地元で車を扱う仕事でもしていたのかな」。叶さんは今でもふと、自分が進んでいたであろう、もう一つの人生を思う。

 故郷にある福島県立小高工業高校に通っていたころは、機械科で学び、車の整備に携わる未来予想図を思い描いていた。

 5年前の「あの時」はバドミントン部の活動を終え、自宅で遅めの昼食の準備をしている最中だった。激震が襲い、家の壁に亀裂が1本入ったが、立っていられないほどではなかった。すぐに停電となり、沿岸部を襲った大津波の情報などは入らなかった。

 不安な一夜を過ごした翌朝、1本の防災無線が運命を変えた。「原発で事故、山側の方に避難を」 大ごとだとは思わなかった。荷物は何も持たず、とりあえず避難したが、そこで東日本大震災の全容と原発事故の危険性を知り、自宅には帰れないことを悟った。かつて社会科見学で一度訪れたきり、自宅から13キロ以上も離れた原発での事故で、「阪神大震災などテレビで見ていた世界」(叶さん)と人ごとだった避難生活が、わが事となった。

 数カ所をへて、母方の親戚の住む松田町へと移り住んだ。物心両面のサポートを受けながら県立小田原城北工業高校に転校し、卒業後は周囲の勧めで松田町役場に就職した。

 初配属となった税務住民課(当時)の仕事は多忙をきわめた。「実家の事を考える余裕もなかった。明日の仕事どうしようか、とばかり」。これまで2度ほど浪江町へ一時帰宅をしたが「仕事もあったので松田に戻ることに未練はなかった」と言い切る。バドミントンのラケットなどを自宅から持ち帰り、現在は同好会で同僚と汗を流す。

 2015年度からは子育て健康課で健康づくり係を任され、町民の健康診断実施に携わる。「松田に来たときによくしてもらった。サービスをよくして仕事で恩返ししたい」。町民の命を支える側に回り、地域に尽くすことを心に決めている。

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