パラ卓球 日本代表・岩渕幸洋 「金メダル以上」を目指し進む人生の旅路

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障害者という言葉はもう使わずにおこう。

パラリンピックに出るのは一流のアスリートたちだ。開会式で旗手を務めた岩渕幸洋もその一人。

左足はほとんど動かせないのだが、それを克服。前回の世界選手権で見事、銅メダルを獲得した。東京パラリンピックの顔の一人とメディアは認める。

日増しに高まる金メダルへの期待。

だが、カメラは岩渕が直面する悩みを知った。東京に住む彼が宮城県に足を運び、高校で練習するという。練習場所を確保するため日本全国を練習行脚する日々。もう10箇所以上を巡った。

自分は"広告塔"という自覚

先天性の障害で両足首が動かせない岩渕。特に重い左足には装具をつけてプレーする。

「卓球ならあまり足を使わないだろう。」中1の時、そう思ってラケットを握った。

でもそれは大きな間違いだった。最初の頃は何もできず、やられてばかり。それが悔しくて猛練習した。

気がつけば全日本5度制覇。世界ランキングは最高2位で、東京パラリンピックの金メダル候補と呼ばれるように。

学生時代のあだ名は「ぶち」。謙虚な態度はずっと変わらない。

ひとつ変わったのが積極性。パラ卓球を知って欲しいとユーチューバーになり、日々の発信をおこたらない。自分は広告塔。その自覚に突き動かされている。

初めて出場したパラリンピック

生後すぐ、先天性両下肢機能障害と診断された。

両足首が満足に動かず、医師からは、歩けないかもしれないと告げられたが、1歳のとき三度の手術を受け日常に問題はなくなった。加えて何より、本人には前へと進む強い意志の力があった。

運動が大好きでいろいろな競技に挑んだ。スキーも、ゴルフも、野球も必死でやれば、必ずできた。

初めて出たパラの大会は初戦で惨敗。しかしこれには理由があった。心根の優しさが災いし、相手の障害を突くパラ卓球ならではの戦術についていけなかったのだ。

パラ卓球には知的障害を含め全部で11のクラスがあり岩渕は比較的障害の程度が軽いクラス9に属している。

注目すべきは、クラス分けが障害の箇所ではなく、重さが基準になっている点。

その結果、手が不自由な選手と足が不自由な選手とが対戦し、勝敗を競うことがあるのだ。戦術のポイントはずばり「障害を突く」こと。

たとえば右腕がない相手にはそこを狙って打つのが絶対的セオリー。弱点がわかりやすいことがパラ卓球の醍醐味とも言える。

ラケットに導かれて進む人生の旅路。5年前のリオパラリンピックは大きな転機になった。予選リーグ敗退という結果だったが、得た物のほうが遥かに大きかった。

パラ卓球の魅力を広めたい

あれから5年、今は障害を巡る駆け引きさえも楽しめる。パラ卓球の魅力をもっと広めたいしもっと当たり前にしたい。

そう思うからプロになった。チームメイトはみな健常者のトップ選手だ。練習も手加減無用で一緒にしている。

今年4月には歴史を塗り替えた。パラ選手として史上初めて日本リーグに参戦。健常者を相手に熱戦を繰り広げた。

アスリートが発信力を高める近道は強くなること。岩渕はリオを経て成績は右肩上がり。世界選手権でも表彰台に立ち目標の「金メダル以上」へ着実に近づいている。

迎えた東京パラリンピック、岩渕は1次リーグを1勝2敗とし、残念ながら1次リーグでのパラリンピック敗退が決まった。

しかし岩渕の旅はまだ途中。

3年後再び"金メダル以上"を目指す。