「書ける候補者名は1人だけ」でない時代があった?!「連記投票制」とは

投票,選挙イメージ

投票したい人が何人もいて、困ったことはありませんか。1人が投票できるのは1人の候補者だけなので、このような場合はさんざん悩み、誰か1人に決める必要があります。選挙の時にもし、複数の候補に投票することができたら……と思った人も多いと思います。実は過去の選挙を見ると1人が複数の候補者に投票できた選挙がありました。今回はこのような選挙を紹介します。

連記投票制とは

1人の有権者が複数の候補者に投票できる制度を連記投票制と呼びます。この中でも1人が投票できる候補者数が定数と同じ場合(例えば3人当選できる選挙区では1人の有権者が3人の候補に投票できる場合)は完全連記投票制と呼びます。一方で1人が投票できる候補者数が定数より少ない場合(例えば3人当選できる選挙区では1人の有権者が2人の候補に投票できる場合)は制限連記投票制と呼びます。また、1人の有権者が1人にしか投票できないのは単記投票制と呼びます。

連記投票制は広い範囲で定数の多い選挙区に対応した制度ですが、完全連記投票制はその性質上、同一政党から複数人の立候補者が擁立しても定数までであれば、その政党の支持者はその政党の候補者全てに投票でき、同一政党内に属する候補者で同士討ちになることが基本的にはありません。つまり、完全連記投票制の場合は定数1の小選挙区制に近い性質を持ち、その選挙区で一番支持されている勢力が全議席を取る可能性が高くなります。一方、制限連記投票制は同一政党が定数目いっぱいに候補者を擁立した場合、その政党の支持者はその政党の全ての候補者に投票することができないため、同一政党に属する候補者で同士討ちになるリスクがあります。このため、選挙区で一番支持されていても1つの勢力が全議席を独占することは難しくなり、少数派の候補も当選できる可能性があります。

日本においては、衆議院選で完全連記投票制、制限連記投票制の2つとも採用されたことがあります。第1回の1890年から第6回の1898年までは全ての選挙区の定数は1か2となっていましたが、定数2の選挙区では1人の有権者が2人の候補者に投票することができる完全連記投票制を採用していました。また、戦後初の衆議院選である1946年衆議院選では制限連記投票制を採用していました。

1946年衆議院選での採用

この1946年衆議院選において、連記投票制の採用に至るまでの経緯は紆余曲折がありました。この選挙は戦後初の国政選挙として新たな制度を作る必要がありましたが、選挙区は基本的には都道府県を単位(一部の都道府県は二分割)とした大選挙区制を採用することとなり、半分弱の選挙区の定数は10以上で各選挙区の定数は今までと比較してかなり多いものになっていました。このため、1人にしか投票できない単記投票制では不都合が生じると政府は考えたのです。

政府は比例代表制が理想であると考えていたものの、現在の状況では難しいと考え、折衷案として制限連記投票制の導入を決定しました。しかし、この決定に各政党は反発します。主要政党は比例代表制の導入を訴え、政府案では少数派の意見を封殺すると主張しました。しかし、最終的に衆議院は政府案の一部修正という形で制限連記投票制の採用を決定し、まだ存在していた貴族院も制限連記投票制に同意しました。

このように決定された1946年衆議院選のルールですが、有権者は定数10以下の選挙区は2人、11以上の選挙区は3人の候補者に投票することができました(この時、選挙が行われた選挙区の最小の定数は4、最大は14でした。なお、最小の定数は2の沖縄県でしたが、アメリカ占領下のため、選挙が行われませんでした)。また、投票用紙に投票可能な人数より少なく書いた場合は有効、多く書いた場合は上位と判定された投票可能な人数までの投票が有効とされました。このほか、候補者と候補者でない人物を混ぜて書いた場合、候補者への票は有効とされました。

連記投票制の廃止

このように行われた大選挙区制限連記投票制ですが、日本国憲法施行直前の初の衆議院選となる次の1947年衆議院選を控え、選挙制度を改めるべきという意見が政府や各政党から出るようになりました。各政党は選挙区の範囲が広く定数が多すぎるとして縮小を訴えました。投票方法については、与党の自由党と進歩党は単記投票制に、社会党は制限連記投票制を訴えました。また、当初政府は完全連記投票制の採用を考えていました。

その後、単記投票制と制限連記投票制のどちらを採用するかということで衆議院は大いにもめ、議事進行が不可能になった上に殴り合いが起こるほどの混乱をきたしました。一時、選挙区の定数は7以下で2人に投票できる制限連記制という妥協案が出て、この案に落ち着くかと思われました。しかし、与党側が強硬に押し切る姿勢に出たため、最終的には単記投票制を採用した衆議院議員選挙法改選案は可決し、現在に至るまで日本の選挙では全て単記投票制を採用しています。

この連記投票制の廃止は別の影響も生みました。1946年の衆議院選は国政選挙で初の女性参政権が認められた、つまり女性が立候補できる選挙でした。このような中、複数の候補に投票できるのであれば、女性候補にも票を入れてみようというような雰囲気や女性候補側も男性候補の名前を書いたらもう1票は女性候補へ、というような宣伝をした結果、女性候補に有利に働き、39人の女性議員が誕生しました。しかし、単記制に戻した1947年衆議院選では15人に減少しています。

なお、このように1946年を最後に日本の選挙からは姿を消した連記制ですが、現在でも定数の多い地方議会選挙で連記制の採用を検討すべきという意見があり、完全にその火が消えたというわけではないことを付記しておきます。

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