大村駅に生け花奉仕活動 60年超 96歳の笹山さん「命ある限り続けたい」

「おもてなしの心」を込め、JR大村駅構内に生け花を飾る笹山さん=大村市、同駅

 長崎県大村市東本町のJR大村駅。朝夕には多くの通勤通学客でにぎわう構内の一角に、華やかな生け花が飾られている。手掛けているのは同市玖島2丁目で生け花教室を営む笹山トヨ子さん(96)。毎週のように花を生け替える奉仕活動を60年以上続けている。新型コロナ禍で社会が暗い空気に包まれる中、「花を見ることで少しでも明るい気分になってほしい」と話す。
 同市出身の笹山さんは大正14年生まれ。11歳で華道家元池坊に入門した。戦時中は佐世保海軍施設部で大村海軍病院の建設事務に従事。道を歩いている時に米戦闘機の機銃に狙われ、大村空襲では犠牲になった遺体を目の当たりにするなど悲惨な戦争体験を持つ。そんな中でも華道を支えに、戦前、戦中、戦後と研さんを積んできた。
 「花を生けることは、花の一生を託されているということ」が信条。生徒には一輪を大切に扱う重要性を説いてきた。市内の病院や特別支援学校などでも指導経験があり、現在も市立大村小で子どもたちに生け花を教えている。
 大村駅で花を飾るようになったのは1958年ごろ。生徒の1人から「店の宣伝用の花を飾ってほしい」と頼まれたことがきっかけだった。「軽い気持ちで始めたけど、だんだんやめるにやめられなくなった」と話す。
 高齢で一時は体力的に限界を感じたこともあった。だが、「学生時代から毎週楽しみにしている」「庭にも同じ花が咲いている」など、駅利用者からの言葉が励みに。「やめようと思った時に限って声を掛けられる」と笑う。活動が評価され、2004年には緑綬褒章を受章している。
 使用するのは季節の花を中心に4、5種類。コロナ禍で外出の機会が減っていることから、自然を感じられる生け方を心掛けているという。今の時季はシオンやニシキギなど秋の気配がただよう植物が中心だ。
 現在は週に1回、生徒を指導。楽しみにしていた稽古後のお茶会も、コロナ禍で開けなくなり寂しく感じている。「生け花とはおもてなしの心を表現するもの。コロナ禍の中、駅利用者の心を少しでも癒やしたいとの願いを込めている。支えてくれる家族に感謝し、命ある限り続けたい」とほほ笑んだ。

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