2021年限りのスーパーGT活動終了を決めた星野一樹。決断の理由と父からの意外な言葉

 9月7日、2021年限りでスーパーGTから退くことを自身のSNSで報告したGAINER TANAX with IMPUL GT-Rの星野一樹。その最後のスーパーGTでのレースまで残り4戦となる、発表をしてから最初のレースとなる第5戦スポーツランドSUGOを前に、サーキット入りした星野一樹に、その理由と父、星野一義監督からの言葉、気になるレーシングドライバーとしての今後を聞いた。

 2008年、2010年のGT300チャンピオンで、これまでトップドライバーのひとりとしてGT500クラスで1勝、GT300クラスで12勝と長年活躍してきた一樹。しかし9月7日、「今シーズンを最後に、スーパーGTのドライバーを降りることを決断しましたことを、ご報告致します」と自身のSNSで2021年限りでスーパーGTを退くことを発表した。

「第3戦鈴鹿の前には決まっていたんです。第4戦もてぎの後にニスモには思いを伝えました」と今回の決定について語った一樹。最も気になるのは、やはりなぜその思いに至ったかだ。7日の発表のなかでは「さまざまな理由はありますが、ここ数年ずっと考えてきました」と記されていたが、やはり知りたいのはその『さまざまな理由』だろう。

 一樹は現在、レーシングドライバーとともにインパルの社員としての顔をもつ。「インパル、ホシノレーシングの一員としての自分と、個人のレーシングドライバーとしての自分と、“3つの自分”があるんです。インパルはすでに7〜8年前からやってきて、レーシングドライバーとしてもやってきた。でも、ホシノレーシングとしてはスーパーフォーミュラしか行けていなかったんですよね」と一樹は言う。

「もっとこっち(ホシノレーシング)にも入っていかなければいけない。いつかはそうなるんでしょうけど、レーシングドライバーとして乗れるうちは乗りたい。その間インパルとレーシングドライバーの“二足のわらじ”だったのですが、ずっとホシノレーシングの存在が頭にあったんです。それを2〜3年前から考えてきました」

 また今年6月、一樹はオートスポーツwebの取材に対し、自身のパフォーマンスについて「ピークが出せなくなってきた」と吐露していた。その悩みに対し、大先輩の本山哲は「あまり考えすぎずにもっと思いきり走ればいい」とアドバイスしていたが、その後迎えた7月の第4戦もてぎで、星野は公式予選Q1でアタッカーを務めながらも、11番手でQ1突破はならなかった。

「もてぎの予選で、ハードタイヤでアタックに行ったんですが、そのタイヤでタイムが出せなかった。ソフトタイヤで行っていれば出せたんです。チームは『ハードだからどうやっても無理だよ。仕方ない』と言ってくれましたが、それでもなんとかハードタイヤでQ1を通ることが“プロの仕事”だと思っていましたし、昔だったらたぶん通っていたと思うんです。『すごいね。通ったね。ありがとう』と言ってもらうのがやっぱり仕事だから」

「『ハードで通らないなら誰でも一緒じゃないか』と、自分の中でこれじゃいけないな、という思いがあったんです。それで決断したんです。トップチームで乗っている以上、ニッサンとドライバー契約をしてもらっている以上、自分のピークが出せないのでは示しがつかないと思ったんです」

■大きな決断に対する、父からの「僕も驚いた」言葉

 そんな思いから、大きな決断を下した一樹。誰からも愛される存在だっただけに、その決断を伝えた反響は大きなものだった。「ハンパじゃなかったです。ビックリしました。こんなにすごくなってしまうとは(笑)」と一樹自身も驚いた様子だ。

「ネガティブなコメントはほぼ見かけませんでしたし、『もっと見たい』と言ってくれる声もあった。僕もそんなに暗く言ったつもりはなかったのですが、『自分は“星野一義”にはなれませんでしたが』という言葉に対しても、みんなが『一樹は一樹だったよ』と言ってくれたのがメチャクチャ嬉しくて。それは本当に良かったと思います」

 ベタな質問であるとは重々承知しながらも、その言葉にも出てきた父、星野一義インパル監督には思いを伝えたのだろうか? と聞くと、「もちろん」と一樹。

「最初は逆に僕も驚いたのですが、『お前、もっとやれるだろう』と言われました。『乗れるうちはもっと乗った方が良いんじゃないか』と言うのでビックリしたんです。逆だと思っていたので。でも、『いや、オレはもう決めたから』と伝えました」

「そうしたら、『それは尊重する。そして決めたのだったら本音を言うけど、何年か前から、もう少し(インパルの)経営をやって欲しかった』と言われました」

 一樹は父から、レーシングドライバーになるためには大学卒業が条件とされていた。将来のために、大学は出て欲しいという父親の思いからの条件だったが、他の多くのトップドライバーが幼少期からレーシングカートを戦っていたなかで、一樹のキャリアのスタートは非常に遅いものだった。

「『(キャリアの)スタートを遅らせてしまった分、お前を追い込んで早めに(経営を)させたくはなかった』と言ってもらいました。ありがたかったですね」と一樹は笑顔をみせた。

 最後に一樹に、今回の発表に対して気になっていたことを聞いた。それは、スーパーGTでのキャリアを終えても、レーシングドライバーとしての引退ではないということで合っているのだろうか? ということだ。

「もちろんです。一生レーシングドライバーとしていたいですから。第一線で契約してもらって乗るというのはスーパーGTというかたちがありましたが、それはケジメをつけたかったので。でも、例えばスーパー耐久とかでジェントルマンドライバーを教えたり、若手を教えたりという需要があれば、それは喜んで乗りたいです」と一樹。

「ただ『勝て』と言われて、お金をもらって乗るのであれば、スーパーGTで僕は乗れないと思ったんです」

 スーパーGTの舞台で、星野一樹の熱いレースが観られるのはあと4戦だ。「もう気持ち良くやりますよ。プレッシャーもなくなりましたし。思いっきりやります。勝ちたいですね!」と一樹は頼れるチームメイト、石川京侍とともに決意を新たにしていた。

GAINER TANAX with IMPUL GT-R

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