力道山 幻のスイス移住計画! 夫人の田中敬子さん明かす驚きの新婚旅行エピソード

新婚旅行に出発する力道山と田中敬子さん、後方には馬場正平(ジャイアント馬場)の姿も(1963年6月7日)

日本プロレスの祖・力道山が、1956年10月にプロレスラーとしてデビューしてから今年で70周年を迎える。夫人の田中敬子さん(80)は唯一、2人きりの時間を過ごした約1か月間の新婚旅行の秘話や、幻に終わった「スイス移住計画」を明かしつつ、貴重な写真の数々を公開。後編では、力道山の後継者となるべきレスラーたちの名を挙げてプロレス界のさらなる発展を託した。

【力道山夫人・敬子さん独占インタビュー後編】

――力道山の魂の告白を聞き、結婚式を迎える

敬子さん あっという間にゲットされた感じですよね(笑い)。婚約発表後は、めまぐるしいうちに6月5日の結婚式を迎えました。招待客は約2500人。ホテルオークラの大広間に人が入り切れず、引き出物(ベルトをあしらった宝石箱)も足りなくなった。もう一大イベントですよ。

――3日後に新婚旅行へ

敬子さん あの約1か月間が主人を独り占めできた幸福な時間だったかもしれません。パリまではエアフランスが招待してくれた。主人はスイスが気に入ってモンブランを訪れると「中立国だし景色も最高だ。スイスに家を買おう。いずれ住もう。空気はいいし、人も優しい」と言っていました。私は「ハワイじゃなかったの?」と笑いましたけど。子供(浩美さん)が産まれたらスイスに留学にさせると言ってましたから、本気だったみたいですよ。

――貴重な時間だった

敬子さん スイスではパティック・フィリップで時計を買ったんですが、当時500万円。「汗をかくので皮はダメだからベルト部分を替えてくれ」と言うと、帰路の際のオランダの空港まで届けてくれた。驚きですよね。

――今なら億単位だ…

敬子さん 旅行中は私が引っ張っている感じでした。行きたかったコペンハーゲンを訪れ、その後は主人の希望でスペインで闘牛を見に行き、パリでは大好きな競馬をやっていました。

――新婚生活はたった半年で63年12月15日に不慮の死を遂げられます。当時妊娠7か月。苦労も相当だったのでは

敬子さん 残務処理と子育てで無我夢中。借金も完済しました。その後、何人かの男性に近寄られましたが、私の〝守護霊〟にみんな追い払われてしまいました。だからずっと1人です。主人以上の人はいませんしね。

――傘寿を迎えてなおお元気そうです

敬子さん (新日本プロレスの)闘魂ショップに週2~3回出勤しています。若い方と接していると元気をもらえるし、今のプロレスの状況も分かるので。トークショーをやったり、週2回の水泳、ウオーキング、それと麻雀(笑い)。健康を保って元気で(生誕100年目を)迎えたいです。

――期待する選手は

敬子さん 私はオカダ・カズチカ君(新日本)が好きです。それと闘魂ショップのリニューアル時に来てくれた棚橋(弘至=新日本)君と(WWEの中邑)真輔君。2人ともハンサムだし、いい子。みんな本当に頑張っていますよ。それとノアの清宮(海斗)君がまだ新人の時「あなたいい体してるわね、頑張りなさい!」と励ましたことがあって。その後に(東京スポーツ新聞社制定「プロレス大賞」)新人賞を受賞しました。私がいいと思った子は大体成長しますね。主人が私に言わせてるのかもしれませんけど(笑い)。

――改めて力道山とは

敬子さん 表つきはゴツくて乱暴者で怖い印象でしょうけど、私にとっては真逆でした。燃えている魂と優しさと気遣いが同居していた人でした。私のその後の人生も学ばせてもらいました。

――現在は新型コロナウイルス感染拡大で暗い世相が続く

敬子さん 中身は違うけど、戦後の暗いムードがまた訪れてしまった気がします。主人は日本の復興のため、全身全霊で空手チョップに魂を込めて勇気と元気を与えようとしていた。東京五輪も終わったばかりですし、今度はプロレスラーの皆さんが戦うことで、世の中が活気づくよう元気と勇気を発信してほしいと願います。(敬称略)

☆りきどうざん 本名は百田光浩(ももた・みつひろ)。1924年11月14日、朝鮮・咸鏡南道洪原郡新豊里(現・北朝鮮)出身。15歳で大相撲の二所ノ関部屋に入門し初土俵。最高位関脇で50年9月場所前に引退。51年にプロレスに転向。54年2月19日蔵前国技館で日本初の本格的プロレス大会を成功させた後に一大ブームを築き、国民的英雄となる。63年12月8日、暴漢に刺され同年12月15日に急逝。享年39。日本プロレスの祖。得意技・空手チョップ。

☆たなか・けいこ 1941年6月6日、神奈川出身。県立平沼高校時代はテニスでインターハイ出場。卒業後の60年に日本航空に入社し国際線を担当。63年6月に力道山と結婚。夫が死去した後の64年3月に長女を出産。会社経営を経て現在は社会貢献活動、公演活動を行いながら東京・水道橋の「闘魂ショップ」に勤務する。

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