【追う!マイ・カナガワ】満州と家族史(上)終わらない戦争、自分のルーツ知りたい

 「自分のルーツが知りたい」─。戦後76年の夏。戦争に翻弄(ほんろう)された家族の歴史に今も向き合う横浜市鶴見区の看護師・鈴木豊子さん(67)=仮名=から、「追う! マイ・カナガワ」取材班に依頼が届いた。「ルーツを知るために、旧満州からの引き揚げ船・高砂丸に乗船していた大阪の男性医師について知りたいんです」。豊子さんは家族が旧満州で過ごした時間に思いをはせながら、情報提供を呼び掛ける。

◆出自に違和感

 豊子さんは福岡県生まれ。成人後に神奈川に移り住み、看護師として働きながら、結婚して2人の子どもを育てる充実した人生を送っていた。

 自分を育ててくれた母親が、実母ではないと知ったのは2017年のことだった。両親だと思っていたのは伯母夫婦で、1982年に亡くなった「叔母」が実母だと、親族から教えられた。

 豊子さんは驚いたが、すぐ上の兄と13歳差だったことから、若い頃から自分の出自に違和感を持っていたといい、告げられた“事実”には納得する部分もあった。親族は胸のつかえが取れたかのように、その後亡くなったという。

◆まさか叔母が

 育ての両親はともに亡くなっている。できる範囲で自分で調べたところ、実母は1953(昭和28)年に、旧満州から引き揚げてくる際、豊子さんを身ごもっていたことが分かった。

 実母に夫はいたが、終戦直後に中国と日本で生き別れていた。親族は「(実母は)大阪の男性医師と偽装結婚をし、引き揚げてきたらしい」と言い残していた。

 生みの親である「叔母」とは、小さい頃から頻繁に顔を合わせ、一緒に旅行もした仲だった。「まさか、叔母が実母だとは思いもしなかった。ずっとおばさんと呼んでいたんです…」

 だれもが長い間、口をつぐんできた家族の歴史に戦争の影が潜んでいたことを、還暦を過ぎて初めて知った豊子さんは、複雑な心中を記者に話し始めた。

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