原田知世主演「早春物語」自ら主題歌も歌う角川映画10周年記念作品  36年前の今日 1985年9月14日 ― 角川映画「早春物語」が劇場公開

角川春樹事務所創立10周年記念作品「早春物語」

1985年9月14日『早春物語』『二代目はクリスチャン』が角川春樹事務所創立10周年記念作品として劇場公開されました。

角川映画の始まりは1976年、株式会社角川春樹事務所の設立、『犬神家の一族』で映画製作へ参入します。アイドル映画の方の始まりは1978年『野性の証明』公開オーディションで選ばれた薬師丸ひろ子。『翔んだカップル』『ねらわれた学園』『セーラー服と機関銃』と主演作品が作られていくものの、大学受験のため1年休業。新たなスターを発掘する為『角川・東映大型女優一般募集オーディション』を実施。グランプリに渡辺典子、特別賞に原田知世が選ばれます。

特別賞にもかかわらず原田知世はテレビドラマ、映画と主演作品が作られます。映画は薬師丸ひろ子主演映画の同時上映として公開。第1作『時をかける少女』でいきなりブレイク。『愛情物語』『天国にいちばん近い島』と続きます。

原作は赤川次郎、原田知世をイメージした書下ろし

1984年末、薬師丸が事務所を独立。原田知世は事務所の看板を背負うことになります。

そして10周年記念作品として製作された『早春物語』。赤川次郎の原作は彼女をイメージした書き下ろし。鎌倉の女子高校生・瞳が42歳の商社マン・梶川と偶然知り合い、恋に落ち、でも梶川は亡くなった母親を捨てた元カレだったというかなり強引な偶然。

原作小説は姉妹の話で、両親も健在。文庫本のあらすじを引用すると―― もし、私の声が母に似ていなかったら、何も起こらなかったかもしれない。でも、そんなことを今さら言ってみても仕方がない。家にかかってきた1本の電話。それは私の心に初めてある疑惑を芽生えさせ、大人の世界に迷い込ませるものだった――

映画の方は、瞳・梶川の人物設定だけを残す事で二人の恋愛を濃く描く計算だったのかもしれませんが、赤川次郎なのに推理要素を削った結果、全体的には地味な印象の脚本になってしまったように思います。

監督は澤井信一郎、演技指導に苦労した原田知世

監督は澤井信一郎。約20年の助監督生活の後、松田聖子『野菊の墓』で監督デビュー。続く『Wの悲劇』で薬師丸ひろ子をアイドルから女優に開眼させます。人間を観察し、撮影現場では演技者がその気持ちになるまで説明をし、待ち、時には追い込むといった監督の演出法。

澤井組撮影日誌にはクランクイン早々「ダメだなお嬢さん、声がぜんぜん出てないな。芝居すると思うな、芝居は演出家の俺が付けてやるんだから、もっと腹から声を出してみろ、ダメダメなってない」と言う監督の言葉。

それに対して、これまで大林宣彦監督、角川春樹監督に甘く指導されてきたであろう原田知世にとっては、監督の演技指導には苦労した模様。「厳しくて、厳しくて」「とにかく全部が全部疲れました。苦労続きで。いつもいつも緊張感が張り詰めていて。」「今までは10回も20回もテストを繰り返すようなことってあまりなかった」と。

結果、作品の評価はその年のキネマ旬報評論家9位 / 読者10位と高いものの、賛辞は “愛すべき小品” 等、周年記念作品に求められるであろう大作感とは逆の地味で小粒なものになってしまいます。

原田知世が歌う主題歌「早春物語」

主題歌は本人歌唱の「早春物語」。映画同様目標は“アイドル卒業”。曲は3拍子の社交ダンス調。構成は「サビ→A→B→サビ→A→B」。大村雅朗アレンジのイントロ “♪ジャジャジャジャン” は派手なものの、全体的には低めのキーで平坦な感じ。

詞は『愛情物語』『天国にいちばん近い島』に続く康珍化。使用されている単語が古風なひらがな言葉。

 逢いたくて 逢いたくて 逢いたくて

… と3拍子に併せたのか3回繰り返し、

 想う気持ちは海の底まで  胸のせつなさ 空の上まで    せめて星のかけらになって

… と恋する気持ちを海や空や星で比喩。「太陽のような明るい笑顔」「月のように静かに見守る」という現代の高貴な表現に通ずるのか。

引きでとらえた印象的なシーン、カメラワーク、そして劇中音楽にも注目!

興行の方は配給収入12.5 億円。『愛情物語』(同時上映『メインテーマ』)18.5億円、『天国にいちばん近い島』(同時上映『Wの悲劇』)15.4億円から下げ止まらないものの、大台は死守。

この年、角川映画は長年配給窓口だった東映洋画部を離れ自社配給を開始。東宝興行部に新宿プラザや北野劇場等洋画系の戦艦級の劇場を開けてもらうため、前売り100万枚を約束。角川氏自身の50万枚のノルマは果たせたものの、残りの半分を引き受けた名古屋の実業家がそこまで捌けずギブアップしたという苦労話もあったようで。

私がこの作品を初めて観たのは1985年8月SABホールでの試写会。以後機会ある毎にスクリーンで観るくらい好きな作品。春の鎌倉、早朝の銀座で赤いボールをポンと蹴る、レトロな喫茶店での長い会話、天から俯瞰で瞳を見下ろす構図等人物を引きでとらえた印象的なシーンの数々。クレーンを多用することでカメラが自由自在に動き、過剰な台詞を台詞劇に見せないというベテランのテクニック。

加えて劇中音楽。担当は『風の谷のナウシカ』『Wの悲劇』を手掛けた時点の久石譲。その後のジブリ作品や北野武監督作品に引き継がれていく幻想的な旋律。

今回改めてサントラを聴いてみて、プロローグから台詞(「品川、との5963の車の方いませんか~」「これ、恋だと思う」等)までなぜかしっかり記憶に。うちの弟が原田知世ファンで写真集やらレコードは常備されていたのでした。次回実家に帰った時は屋根裏を探してみよう。

最後に、澤井信一郎監督のご冥福をお祈りします。多くの素晴らしい作品ありがとうございました。

カタリベ: 高橋みき夫

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