反省の日々を過ごし、教え子と野球支援で“再出発” 前横浜高監督・平田徹氏の今

横浜高の監督を務めた平田徹さん【写真:中戸川知世】

教え子たちが運営するYouTubeに出演し、卓越した指導論を披露

横浜高の前監督だった平田徹さんは今、野球人口の回復を目指して再スタートを切っている。現在は教育関係の仕事をしながら、教え子と協力して、これまでに培った知識や経験をSNSで発信。収益で未就学児へ野球用具をプレゼントし、競技の裾野を広げようとしている。その再出発に迫った。

平田さんが野球に恩返しする機会として選んだのは、かつてのような選手の育成や技術指導と無縁な場だった。加速する野球人口減少を食い止めるには、「幼少期が大切」と考えているためだ。

「楽しいと感じてもらうだけでいいんです。子どもたちがバットやボールに触れるきっかけをつくりたいと思いました。もちろん、他のスポーツでも構わないのですが、自分は野球に育てられ、野球が素晴らしいスポーツだと思っているので普及させたいんです」

平田さんは高校野球の名門・横浜で2度、甲子園に出場し、3年時には主将も務めた。国際武道大を卒業後、母校・横浜高でコーチや部長を歴任。2015年秋に監督に就いた。激戦区の神奈川県で2016年から夏の甲子園に3年連続出場し、プロ野球選手も輩出した。

しかし、2019年秋、選手への暴言などが報道され、監督を解任。高校も退職した。騒動から約2年が経ち「報道が大きく、気が動転してしまいました。ただ、選手に厳しい態度で詰め寄ったのは事実です。甲子園で思うような結果が出ない中で、私自身も気持ちの余裕を失いつつありました。選手を感情的に怒ってしまうこともあって、小さな亀裂から問題が起きたのかもしれません。厳しく叱りすぎたと反省しています」と選手と信頼関係を築いていたが、このような事態を招き、謝罪の言葉を述べた。

横浜高の歴史を作った渡辺元智・元監督と小倉清一郎・元部長とは10年以上、毎日一緒にグラウンドに立ち、勉強させてもらった。「当然のことながら、お2人の野球がベースにあることは間違いありません。その中で私はこれからの時代に必要なパワーとスピードを求めていきました。それが見ている人から引き継いでいないと評されたことと、全国大会での結果に結びつけられなかったことを残念に思っています」と反省しながら、振り返った。

そんな中、当たり前だった野球中心の生活を失い、今後が見えない中で声をかけてくれたのが横浜高時代の教え子・高橋亮謙氏だった。野球への恩返し、社会貢献活動の1つとして野球の技術指導をYouTubeで配信する誘いだった。野球に携わる場をつくろうとする教え子に感謝しながらも、平田さんには迷いもあったという。

保育園や幼稚園に寄贈した野球道具で子どもたちが楽しむ姿に喜び

「自分の顔と名前をさらして活動するのは抵抗がありました。そんなつもりはなくても、『今度は野球で金儲けか』と思われるかもしれないと不安がありました。ただ、教え子に背中を押してもらい、勇気を出して前に進もうと思いました」

批判の声は必ず上がる。それでも覚悟を決めて、新たな一歩を踏み出した。少年野球の子どもたちに技術指導して、その動画を教え子が運営するYouTubeチャンネルで配信。平田さんは出演料を断り、収益は野球用具の購入費にあてることを提案した。教え子たちも賛同し、収益でスポンジのバットやティースタンド、ゴムボールなどを購入し、保育園や幼稚園に寄贈している。ボールやバットを使って遊ぶ楽しさを知った子どもたちが将来、野球に熱中することを願っている。

再び野球と関わるチャンスをくれた教え子だけでなく、平田さんの野球理論に共感するアマチュア野球指導者も増えてきている。教え子たちが運営するYouTube「やきゅうbeちゃんねる」に出演した時も「ロングティーの重要性」「スローイングの悩みを解決」「状況判断」「素振りのポイント」など、卓越した技術理論で解説している。子どもたちにもわかりやすく指導し、すぐに形として現れているから興味深い。

自身の反省も踏まえながら、少年野球指導者と育成論について1時間以上、議論することもある。「皆さん、熱のある方たちばかりなので、こちらも真剣に、押し付けることはせずに『私はこう思います』というような話をさせてもらっています」。2年前と立場は変わった。だが、変わらないものもある。ユニホームを脱いだ平田さんは、教え子とともに新たな道を歩んでいる。(間淳 / Jun Aida)

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