負けて突然遠征延長 山田耕介(61)=前橋育英監督= 「太陽に勝って、勝負に勝つ」 選手権と小嶺先生・3

1977年の岡山インターハイで九州勢として初優勝した島原商。山田(前列左端)は主将だった

 小嶺忠敏(76)がまだ血気盛んな30代前半だったころ。1977年の岡山インターハイで小嶺率いる島原商(長崎)は初優勝した。サッカーの優勝旗が関門海峡を渡るのは全年代を通じてこの時が初めて。当時の主将、山田耕介(61)=前橋育英監督=が今も覚えているのは、快挙からちょうど1年前の出来事-。
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 76年の新潟インターハイ。島原商は準々決勝で帝京(東京)に2-3で敗れ、夏の遠征が終わりを告げた。はずだった。だが、小嶺が運転するバスは出発から程なくして突然、北へとハンドルを切ったのだ。
 「これはまずいぞ」
 後部座席から、ざわざわと耳打ちが聞こえる。惜敗に納得いかない小嶺が、急きょ練習試合を組んだことを誰もが理解した。疲れ切った体にむちを打ち、そのまま東北行脚へ。徹底的に精神力が磨かれ、それが翌年のリベンジにつながったと山田は感じている。
 「どこよりも鍛えられてきた。夏は暑ければ暑いほどうちに有利になると思っていた。『太陽に勝って、勝負に勝つ』が合言葉だった」
 指導者自らマイクロバスを運転して、全国各地に遠征する-。今でこそ見慣れた部活のスタイルだが、全国に先駆けて始めたのが小嶺だ。移動中に公衆電話で全国各地の強豪校と交渉して、近くの神社や寺に寝床を借りる。西の端にある長崎の地理的不利を情熱で埋めた。
 主将の山田は助手席が定位置だった。地図を片手に、時には夜通しで道案内をしながら小嶺をサポート。長時間の運転中に会話を重ねて感じたのは、武骨な九州男児の繊細な一面だった。
 部員一人一人の普段の様子を念入りに聞かれ、どう接すればモチベーションが上がるかを真剣に考えていた。「豪快で厳しいイメージが先行しているけれど、実は緻密で神経質で、いろんなことが頭に入っている」。小嶺が結果を残してきた最大の理由は、その人心掌握術なのかもしれない。
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選手としてインターハイで優勝してから40年後、指導者として選手権優勝を果たした前橋育英監督の山田=前橋市内

 法大卒業後、長崎に戻って小嶺の後を継ぐつもりだった山田だが、長崎県の教員採用試験と大学の公式戦が重なって実現せず。地元国体を控えていた群馬からの誘いを受けて、前橋育英へ赴いた。そして、当初は「スクールウォーズさながらだった」という荒れた学校をサッカーで再建。恩師と同じように、寮で部員たちと共同生活するサッカー漬けの日々を送った。「島商」と同じ縦じまのユニホームにも縁を感じさせる。
 冬の選手権は準決勝敗退4回、準優勝2回と頂点にあと一歩届かない年が続いたが、2017年度、ついに悲願を達成した。高校卒業から、ちょうど40年目だった。
 「何年かやったら長崎に帰ろうと思っていたんだけど、無理だった。毎年入ってくる生徒たちと接していると、かわいくて仕方がなくなってしまう。でも、それが高校サッカーの一番の魅力でしょうね」
 還暦を過ぎ、校長職を退いた今も、故郷から遠く離れた地でグラウンドに立ち続けている。(敬称略)

 【略歴】やまだ・こうすけ 島原商高3年時にインターハイ優勝、法大3年時に総理大臣杯優勝。前橋育英高に社会科教諭として赴任し、全国選手権に23回出場、2017年度に初優勝した。故松田直樹ら70人以上のプロ選手を輩出。17~20年は校長を務めた。雲仙市出身。

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