ABBAの「S.O.S.」:ユーロビジョン優勝の後、ようやく当たったシングル

1974年のユーロビジョン・ソング・コンテストで「Waterloo(恋のウォータールー)」によってセンセーショナルな優勝を成し遂げたABBA(アバ)だったが、それがすぐさま長きに亘る世界的な成功につながる保証にはならなかった。優勝の翌年からしばらくは、地元のスカンディナビア諸国でもう何枚かのシングルが人気を得た他は、このスウェーデンの4人組を受け入れてくれた他の国はオーストラリアとニュージーランドくらいだったのだ。

そうした頃、彼らの世界における運命を永久に変えることになるあのシングルが生まれた。1975年9月20日、イギリスがABBAの「S.O.S.」に答えたのだ。

<動画:ABBA – SOS (Official Music Video)> 

今にして思えば、そしてその後のABBAの驚異的な成功のことを考えると、ABBAの「S.O.S.」はとても魅力的に聞こえるが、この曲も直ちにヒットしたわけではなかった。9月20日に「S.O.S.」は全英トップ50の47位に辛うじてチャートインしたが、次の週には31位に上昇して彼ら初のトップ40ヒットとなり、チャート上昇の勢いを見せた。「S.O.S.」は次の週再び16位に上昇し、その後13位で立ち止まるように見えたが、再び7位に上昇してトップ10に躍進。そして最終的には最高6位を2週間記録した。

この曲は、デヴィッド・エセックスやデヴィッド・ボウイ、スモーキーといったイギリスのヒットメイカーたちをはじめ、ドリフターズやこの頃「I Only Have Eyes For You(瞳は君ゆえに)」のリメイク・ヒットで全英1位を記録したアート・ガーファンクルなどのアメリカのアーティストたちとチャートの上位を分け合ったのだ。

ちなみに9月6日に全米チャートに登場したこの曲は、そのタイトルとアーティスト名が両方とも回文である唯一のヒット曲として知られている。しかしこの曲が、メンバーのアグネタ・フォルツコグがスウェーデン語で歌うバージョンでもリリースされていたことは必ずしも広く知られていない。メンバーのベニー・アンダーソンとビヨルン・ウルヴァースが曲を書き、バンドのマネージャーのスティッグ・アンダーソンが詞を書いたこの曲は、アグネタのソロ・アルバム『Elva Kvinnor I Eet Hus(訳:同じ屋根の下に11人の女性)』に収録されていた。そのアルバムは、ABBAの「S.O.S.」のバージョンがヒットした直後の1975年後半にリリースされた。

Written By Paul Sexton

___

ABBA 40年ぶりの新作アルバム

ABBA『Voyage』

**ABBA『Voyage』
**2021年11月5日発売

© ユニバーサル ミュージック合同会社