現在、スイス1部リーグで活躍中の鈴木冬一(21)=ローザンヌ・スポルトDF=は異色の経歴で注目を集めた。
高校3年になる春、セレッソ大阪から小嶺忠敏(76)がいる長崎総合科学大付へ“電撃移籍”。第97回全国高校選手権(2018年度)に出場し、文字通り「最初で最後の選手権」を経験した。Jリーグから高校サッカーへの転身は当時、少なからず物議を醸したが、1人のサッカー選手にとって大きな転機になったことは確かだ。
「僕の未来に光をともしてくれた。人生の懸け橋になってくれた。今までで一番濃い1年間です」
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15歳から年代別の日本代表に毎年選ばれ、17歳の時に2種登録でJリーグデビュー。周りからはエリート街道を歩んでいるように見えたが、世界大会で同年代と体をぶつけるたびに危機感を募らせていた。
「今のままの成長速度では、たぶん俺は通用しなくなる」
サッカーも私生活も不自由なく過ごせている。だが、何か物足りない。180度違うような環境こそ、今の自分に必要なんじゃないか。そう思い立って「部活」の世界に飛び込んだ。
実績を見れば、青森山田など選択肢は他にもあったが、欲していたのは自らの壁を壊してくれるような場所。「日本一の練習をやる」という小嶺の存在が決め手になり、単身長崎へ渡った。
求めるものがそこにはあった。公式戦の2倍近い時間設定の紅白戦をこなし、終了後はそれ以上に過酷なフィジカルトレーニングが待っていた。理不尽にも映る練習を乗り越えるうちに、仲間との絆が育まれた。新鮮だった。
「練習は苦しい。だからこそ支え合える。途中から入ってきた俺を、みんな快く受け入れてくれた。絶対にみんなと全国優勝したい。そんな気持ちにさせてくれた」
走り込みの際、自然と先頭で引っ張る自分がいた。泥くささ、自己犠牲の精神。勝つために必要なメンタリティーが養われた。小嶺から「勝負の根底にあるのは人間力」だと学んだ。
選手権本番で背番号18を背負ったのは「先生に18度目の全国優勝を届けたい」という恩返しの気持ちから。開会式の入場行進で誰よりも腕を振り上げ、直後にインフルエンザで寝込んでも試合に強行出場した。帝京長岡(新潟)との3回戦は自らの足で先制ゴール。逆転負けしても気丈に振る舞い、仲間の肩を抱きかかえながら去る姿に充実感がにじんでいた。
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昨年末。20歳になっていた鈴木は、3年前と同じくらいの大きな決断をした。J1の湘南ベルマーレから、欧州へ移籍。そして7月に今シーズンが開幕すると、早速主力の座をつかんでいる。
「今は、やれるところまでとことん突き進もうと思う」
あの春と変わらず、自らの可能性をたくましく切り開いている。(敬称略)
【略歴】すずき・といち C大阪の下部組織で育ち、17歳の時にC大阪U-23に2種登録してJ3デビュー。高校最後の1年間を長崎総合科学大付高で過ごし、全国選手権3回戦まで進んだ。卒業後、J1湘南で2年間プレーして、スイス1部ローザンヌへ移籍。大阪府出身。