欧州に“夜汽車ブーム”が再来した理由 「鉄道なにコレ!?」(第23回)

By 大塚 圭一郎(おおつか・けいいちろう)

電気機関車EF66がけん引する寝台特急「なは」と「あかつき」の併結列車=2008年3月2日、大阪府島本町(土居武文氏撮影)

 日本では機関車が青い寝台車を引く列車「ブルートレイン」が2015年に全廃されたが、欧州では最近、夜行列車が復活する動きが相次いでいる。全米鉄道旅客公社(アムトラック)も夜行列車の寝台車利用者向けのサービスを改良し、客車の改装を進める。なぜ海外で“夜汽車ブーム”が再来しているのか?(共同通信=大塚圭一郎)

 【夜行列車】日をまたいで夜間に運転される列車のこと。客室にベッドを備えた寝台車が中心の列車は「寝台列車」と呼ばれる。寝台車は昼の走行時は下段のベッドを座席に変えたり、上段のベッドを収納したりできる。夜行運転をするため、食堂車を連結していたり、食事や飲料などを販売したりすることが多い。欧州や米国で走っている夜行列車は、寝台車と、割安に乗れる座席車を連結している場合が多い。

 ▽日本からブルトレが消えた理由

 JRグループのブルートレインは主に東京や上野(東京)、大阪をそれぞれ発着して地方都市と結んでいたが、順次運転を終了。2015年8月、上野(東京)―札幌間の寝台特急「北斗星」の臨時運転を最後に全廃された。国内に残る寝台特急の定期列車は、寝台電車285系で運行する東京―出雲市(島根県)間の「サンライズ出雲」と、東京―高松間の「サンライズ瀬戸」だけだ。

寝台特急「サンライズ出雲」で運行する電車285系=2019年5月1日、松江市(筆者撮影)

 ブルートレインが消えた背景には、新幹線の路線網が広がったため顧客が流れたのに加え、割安な運賃の夜行高速バスや格安航空会社(LCC)などにも乗客を奪われ、競争力が低下したことがある。ブルートレインに広く使われていた客車24系25形が老朽化していたことも、“退場”へと背中を押したが、さらにそれぞれの事情もあったようだ。

北海道北斗市で保存されている寝台特急「北斗星」に使われている客車24系25形=2018年10月28日(筆者撮影)

 「北斗星」の場合、北海道新幹線の新青森(青森市)―新函館北斗(北海道北斗市)間の16年3月開業を前に、青森県と北海道を結ぶ青函トンネルの電圧の引き上げが決定。従来の電気機関車が使えなくなったのも大きな契機となった。

電気機関車EF66がけん引する寝台特急「富士」と「はやぶさ」の併結列車=2009年2月20日、名古屋市(土居武文氏撮影)

 一方、「富士」や「はやぶさ」、「さくら」といった伝統的な列車がかつて走り、ブルートレインの“ゴールデンルート”だった東京と九州を結ぶ列車の廃止が相次いだ一因を、JRグループの当時の首脳が06年にこう打ち明けていた。

 「JR東日本が東京都港区の車両基地を取り壊して跡地を再開発したがっている。このため、車両基地を使っているブルートレインを廃止したがっている」

 かくして、くだんの車両基地の跡地に20年3月開業したのがJR山手線と京浜東北線の高輪ゲートウェイ駅。大型再開発の工事が周辺で進んでいる。

JR東日本が昨年3月に開業した高輪ゲートウェイ駅=2020年10月17日、東京都港区(筆者撮影)

 ▽ブルトレの“元祖”の地で復活

 欧州でも高速列車やLCCなどとの競争激化で夜行列車の廃止が相次いだ。しかし、最近になって復活の動きが目立っている。中でも注目されるのがブルートレインの〝元祖〟の地、フランスだ。1886年に運行を始めた青色をベースにした外観の客車を連結した夜行列車が、フランス語で「青い列車」を意味する「ル・トラン・ブルー」(Le Train Blue)の名称で親しまれた。

 AFP通信や米誌フォーブスなどによると、フランスでは2017年末までに夜行列車の廃止が相次ぎ、その後は首都パリと、イタリア国境に近いブリアンソン、ピレネー山脈を望むセルベールをそれぞれ結ぶ2本が残るだけとなった。

 その流れが一転して、フランス国鉄(SNCF)は21年5月20日、首都パリと南部の保養地ニースを結ぶ夜行列車の運行を約3年半ぶりに再開した。東海道・山陽新幹線の東京―博多(福岡市)間とほぼ同じ1088キロで、所要時間は約12時間。航空機の約1時間半に比べてはるかに長い時間を要する。

 ただ、背もたれをリクライニングできる座席なら19ユーロ(約2500円)から、寝台利用でも29ユーロからと、航空券平均価格の81ユーロ程度(航空券予約サイト参照)より格段に安い。新型コロナウイルス感染拡大対策として利用者にマスクの着用を義務付け、寝台車の二等車は六つのベッドがある相部屋の利用を4人に制限している。

 運行を再開した最初のニース行きの列車には、フランスのジャン・カステックス首相も乗り込んだ。動画を見たところ、運行中に自ら車内放送のマイクを握って「あなたと一緒にこの旅ができることを光栄に思います」と語り掛けた。その上で、夜行列車の運行を再開できたことは「政府のトップとしてはもちろん、鉄道愛好家であり、また寝台列車を長年使ってきた利用者としても大きな誇りです」と訴えた。

 SNCFのジャンピエール・ファランドゥー最高経営責任者(CEO)も、夜行列車復活が「一部の人が時代遅れと考えていた移動手段の再生を意味するシンボルになる」と強調。「『スローライフ』の復活だ。ゆっくりと時間をかけて、旅の楽しみを見つけるショートクルーズのようなものだ」と売り込んだ。

 フランス政府はパリと、スペインの国境に近い都市のタルブ間でも夜行列車を年末に再開させる計画で、30年には計10以上の区間で運転することを目指していると報じられた。

寝台特急「日本海」=2013年1月5日、大阪府島本町(筆者撮影)

 ▽復活の理由

 夜行列車復活の背景には、地球温暖化対策の国際的な枠組み「パリ協定」に沿い、二酸化炭素(CO2)の排出量を航空機より低減できる鉄道の利用を政府が後押ししていることがある。欧州連合(EU)は50年に温室効果ガス排出の実質ゼロを目指しており、30年には1990年時点より55%減らす目標を掲げている。

 EUでは、通常ならCO2排出量全体の4%を航空機が占めている。このため、特に短距離の移動では、航空機と比べてCO2排出量が少ない鉄道の利用を促す動きが出ている。環境活動家のグレタ・トゥンベリさんが「飛び恥」という言葉で航空機利用を避けようと呼び掛け、共鳴する若者が航空機に代わって鉄道を使う動きも夜行列車復活の背中を押した。

 フランスのマクロン政権は昨年、夜行列車のための1億ユーロを含め鉄道に53億ユーロを投入する支援策を公表した。

 鉄道事情通が「夜行列車のブーム再来の火付け役になった」と見るのが、オーストリア連邦鉄道の夜行列車「ナイトジェット」だ。欧州の幅広い都市と結んでおり、今年5月25日からは首都ウィーンと、ベルギーの首都ブリュッセル、オランダの首都アムステルダムをそれぞれ結ぶようになった。

 欧州の国境を越える夜行列車はほかにも、ブリュッセルとスウェーデン南部のマルメ、スウェーデンの首都ストックホルムとドイツの都市ハンブルクをそれぞれ結ぶ列車が2022年から運行される計画が報じられている。

 筆者も11年にドイツを訪れた際、成田空港からの航空便で到着したフランクフルト空港から首都ベルリンまで鉄路を利用した。フランクフルト空港からドルトムントまでは高速列車「ICE」に乗り、ドルトムントで夜行列車に乗り換えた。

ドイツの高速列車「ICE」=2011年9月4日(筆者撮影)

 計6台のベッドを備えた二等車の相部屋で、検札に来た車掌に「早朝に着くベルリンで降りるので、到着前に起こしてください」と頼んだものの寝過ごさないかと不安感に襲われた。というのも、その列車で終点まで行くと、チェコの首都プラハに着いてしまうからだ。

 ▽アムトラックも積極投資

 一方、米国はマイカーが普及している“自動車大国”だが、意外にも計14種類もの夜行列車(マイカーを運搬できるオートトレインを含めると15種類)が走っている。いずれもアムトラックの運行だ。

アムトラックの夜行列車。先頭はアムトラックの発足40周年を記念して旧塗装を復刻したディーゼル機関車=2021年3月14日、米メリーランド州(筆者撮影)

 アムトラックは、客単価が高い長距離列車の寝台車利用者に提供する食事メニューを今年6月23日から改良した。また、枕などの寝具を改良して8月から全面的に採り入れた。1980~90年代に製造された寝台車や客車の内装も更新し、今後3年間に450を超える車両を2800万ドル(約31億円)かけて改装する。

 そんなアムトラックの夜行列車旅はどのようなものなのか。筆者は今年の夏に2本の列車を乗り継ぎ、3泊4日かけて米大陸を横断してきた。次回から詳しくお伝えしたい。

 ※「鉄道なにコレ!?」とは:鉄道と旅行が好きで、鉄道コラム「汐留鉄道倶楽部」の執筆者でもある筆者が、鉄道に関して「なにコレ!?」と驚いた体験や、意外に思われそうな話題をご紹介する連載。2019年8月に始まり、ほぼ月に1回お届けしています。ぜひご愛読ください!

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