5年近くもあったドラッグラグを1年にまで短縮した製薬産業の課題

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現在成長を遂げている産業のひとつが製薬産業。人類と病原菌の戦いは古くから、コロナ禍の現在まで続いており、新薬の開発を担う製薬産業は経済とも人命とも密接に関係しています。しかし、医療先進国であるはずの日本の製薬産業は元気がないようです。プロフェッショナルな投資家向けの講師として活躍する、国際政治アナリストの渡瀬裕哉氏に聞いてみました。

※本記事は、渡瀬裕哉:著『無駄(規制)をやめたらいいことだらけ——令和の大減税と規制緩和』(ワニブックス:刊)より一部を抜粋編集したものです。

日本の製薬産業はまだまだ成長する!

現代の成長産業のひとつに、製薬産業があります。人類と病原菌との闘いは歴史が古く、資料が残っているケースだけでも紀元前から存在しています。現代医学の劇的な進歩には、細菌感染を制御し、感染した際にはきちんと治癒させる技術が大いに貢献しています。大きな契機となったのは、1928年にイギリスのA・フレミングが発見したペニシリンの実用化です。

▲アレクサンダー・フレミング 出典:ウィキメディア・コモンズ

▲ペニシリン イメージ:PIXTA

ペニシリンの臨床実験が成功したのは1941年のことで、第二次世界大戦で傷病兵の治療に用いられました。日本でも昭和19年(1944)に、陸軍軍医などによって開発に成功しています。

ペニシリンは、現在でも改良が続けられ、すぐれた細菌感染治療薬として使われています。その一方、ペニシリンが開発されたあとは、この特効薬でも治療できない感染症が判明していきます。ウイルス感染です。

科学や医学が発達した現在でも、ペニシリンに対する耐性を獲得した耐性菌や、これまでヒトへの感染例のなかったウイルス感染などが次々と現れ、人類と感染症との戦いは今後も続くと言われています。つまり、さまざまな感染症に対する治療薬の開発は今後、より一層重要になっていくとともに、新薬の開発を担う製薬産業は私たちの健康とも密接に関係している分野だと言えるのです。

既存の病気や症状、新しい感染症に対して、新しい薬の開発を担っているのが製薬企業です。新しい薬は、いくつものテストを経て、効果や安全性を厳しく検査されます。一定の検査基準をクリアすれば、実際に人体での投与と効果の確認を行い、正式に新薬として政府から承認を受けて市場に出ていくこととなります。政府からの承認を得るための試験過程を治験と言います。

2020年来の新型コロナウイルス感染症の世界的流行に際しては、この対応が各国政府の重要な課題となりました。ワクチンや治療薬の開発を政府が支援し、通常よりも優先的に承認して感染症の蔓延に対処しようとしたのです。

▲新型コロナウイルスのワクチン開発は早かった イメージ:PIXTA

たとえばアメリカは、ドナルド・トランプ政権のもとで「オペレーション・ワープ・スピード」と呼ばれるワクチン計画を実施しました。既存の民間企業の研究や生産体制を基盤としながらも、170億ドル(約1兆8000億円)の資金投入、産官学の連携、手続きの簡素化により、通常は5年から10年かかると言われるワクチン開発を1年以内に実現する成果を上げています。

一般的に、新薬の開発には基礎研究から実際に市場に出るまで、10年ほどかかると言われています。さらに、海外ですでに販売されている医薬品のうち、日本では未承認となっている未承認薬の問題や、海外に比べて日本での発売までに時間がかかるといった問題もあります。

アメリカで医薬品の審査を行うのはFDA(アメリカ食品医薬品局)です。アメリカでFDAが承認した薬を日本国内でも流通させる場合は、厚生労働省の承認を受けるため、日本国内でも治験を行う必要があります。

同じ医薬品が市場に出るまで、他国に比べて長い時間がかかることを「ドラッグラグ」と言います。日本製薬工業協会によると、一昔前の2010年の時点の比較で、世界の市場に初めて登場した医薬品が、各国で承認発売されるまでの平均期間は、もっとも早いアメリカで0.9年、当時の日本は4.7年でした。

より効果のある医薬品による治療を待つ患者さんにとっては、この4.7年のタイムラグは非常に長いものです。医療先進国と言われる日本でも、当時は新しい医薬品の普及の面では世界で38位と決して良い環境ではなかったのです。

現在は、政府と審査機関が協力して、承認スピードを速めるための取り組みが行われています。国際共同治験への積極参加や、病院ごとに行われてきた臨床試験をネットワーク化することで、一度に多くの試験ができるようにするとか、審査員を増やすことによる審査の迅速化など、規制も緩和しながら効率的な審査・承認プロセスの整備を行っています。その結果、5年近くもあったドラッグラグは1年にまで短縮されました。

国内で新しい薬を開発しやすい環境をつくれるか?

ところが、問題はそう単純ではなかったのです。承認までの期間が短縮・効率化され、薬は作りやすくなったはずなのですが、日本の製薬メーカーがアメリカなど海外で薬を作るようになってしまったのです。代表的なものが抗がん剤です。

アメリカのほうが市場規模も大きいため、それらの海外市場でのビジネスを優先するようにならざるを得ないのです。日本の製薬企業がアメリカで共同開発し、海外で効果が認められて使われている医薬品が、日本では手に入らないということすらあります。未承認薬の問題です。

製薬会社は、時間や資金の面でも莫大なコストをかけて薬を開発しています。たとえ日本の製薬会社が国内で新薬の開発に成功したとしても、治験の規格が日本と国際標準で異なると、海外市場で流通させるために、さらにコストがかかります。手続きが規制によって非効率だったり、国内の医療・医薬品の市場に魅力がなければ、製薬会社も国内で新しい薬を作ろうと考えなくなってしまうのです。

これもまた、病気で苦しんでいる人や、まだ治療薬のない病気を抱えている人たちにとっては深刻な問題です。また、今は健康でも、病気にかかる可能性は誰にでもあります。そのときに、他の先進国には効き目の高い薬があるのに、日本では手に入らない場合もあるのです。

▲国内で新しい薬を開発しやすい環境をつくれるか? イメージ:PIXTA

日本の製薬産業が元気をなくしている問題は、社会保障の仕組みにも原因があります。
令和3年(2021)度予算の一般会計に占める社会保障関係費の割合は33.6%で、一般的な税金の使途のおよそ3分の1にあたります。社会保障関係費の内訳で大きなものは年金と医療で、両方合わせると約75%となっており、いずれも年々増え続けています。

一方、政府の税収は無限に増えるわけではありません。無理矢理にでも取ろうとすれば、経済活動が停滞して国民生活が成り立たなくなってしまいます。すると、増え続ける部分をどう削ろうか、抑制しようかという話になります。医療費の場合、税負担抑制のためにターゲットとして狙われるのが薬価です。

日本は国民皆保険制度のもとで、医療サービスへの対価が一定の割合で税負担となっています。自己負担の割合は、75歳以上で1割、70歳から74歳までは2割、それ以外の人たちは3割です。

税金で負担する割合が大きければ大きいほど、予算に占める医療費の割合は大きくなります。すると、政府は医療費抑制のためにさまざまな手法を用いて薬価を下げようとするので、製薬会社は新しい薬を開発するだけの利益が生まれなくなってしまうのです。これでは悪循環です。

政府の予算に対して、無駄に使っている部分を改めてもらうことと同時に、国民の側ももう少しだけ自己負担を増やしていくことができれば、薬価に対する引き下げ圧力が緩和され、製薬会社が新しい薬を開発しやすい環境に近づきます。薬価の自由度は新薬の開発に直結する問題です。

同時に治験や承認の規制を緩和しつつ、できるだけ海外市場に合わせた形とすることで、効率化する努力も続けていけば、今まで治療薬がなくて困っている人や、もっと早く病気を治したい人たちに、日本国内で薬を提供できるようになることはもちろん、日本で開発された優れた医薬品を持って、世界の市場に打って出る展望も開けます。そうすれば、日本の製薬産業は良質の医薬品だけではなく、関係企業も含めた多くの人たちの雇用も作っていくことになります。

製薬産業は今でもすでに十分大きな産業ですが、より大きく強くなって、文字通り人を癒し、日本経済を癒すことに貢献できるのです。

▲日本の製薬産業はまだまだ成長する! イメージ:PIXTA