「早期認定へ基準改定を」 カネミ油症次世代調査 未認定女性が思い語る

次世代被害者の健康状態などを問う調査票。多種多様な症状が当てはまる=五島市内

 1968年に発覚したカネミ油症事件で、「次世代被害者」の実態調査が全国各地で進んでいる。全国油症治療研究班(事務局・九州大)が認定患者の子(2世)、孫(3世)を対象に実施中。幼い頃から多様な症状に悩まされてきた長崎県五島市在住の2世で未認定の高浜千恵(仮名、50代)は、40代でがんも発症。「親が(汚染油を)食べていたから影響があるのかも」。長い歳月、抑えてきた思いをぽつぽつと口にしながら調査票と向き合った。
 認定患者である親世代に調査票が送付され、子や孫が記入する流れ。体のだるさ、頭痛、手足のしびれ-。今月、千恵は母(70代)の家で記入。症状の項目はいくつも当てはまる。千恵は次女で、生まれる数年前まで家庭では、地域で出回っていたカネミ倉庫(北九州市)製食用米ぬか油を天ぷらなどに使用。その油がダイオキシン類などに汚染されていた。母、父(故人)や兄2人が直接口にした。当時、母のおなかには姉がいた。出産すると生まれつき腸の異常で便が出ず、2歳で手術。さらに目が見えないことも分かった。千恵の後に生まれた弟も重度の視覚障害を抱えていた。
 母は20代で千恵らを産んでから、30代辺りで特に体がだるくなり、手足の爪が黒くなったり、脇に吹き出物ができたりした。千恵も、物心ついたころから肩こりがひどく、じんましんが頻繁に出た。原因は分からなかった。症状が和らげばと、母はよくお灸(きゅう)をしてくれた。
 中学生の頃、同世代の知人の首回りに吹き出物の痕が黒く残っているのに気付いた。「母親が出産前に火事を見たからだ」。地域ではそんな迷信のような話さえあったと記憶している。
 父もだるさなどがあり、事件から40年近くたってから、父母は油症検診を幾度も受けるようになった。しかし却下。千恵はその通知内容を父に伝えてあげたりするうち、カネミ油症を意識するようになった。父は結局認定されないまま2012年に他界。翌年、母と兄2人は認定された。
 千恵は6年前に乳がんが見つかり、摘出手術を受けた。膝も弱く軟骨はすり減っている。4年ほど前、思い切って油症検診を受診。診断基準はダイオキシン類などの血中濃度が重視される親世代と同じもので、認定されなかった。「父が何回も受けたのに認定されなかったので、簡単にはいかないとは思っていた」
 乳がん手術後は、ホルモン剤による薬物療法で副作用がきつい。長崎市に定期的に通院し、宿泊代もかさむ。加えて糖尿病。医療費はこれまで数百万円はかかった。夫に支えられ、母も「命には代えられない」と医療費をなんとか工面してくれる。千恵自身、家族の経済的負担を減らそうと体の痛みに耐え、立ち仕事を続けている。
 千恵や姉、弟妹ら事件発覚後に生まれた世代は全員未認定のまま。母は自分の体内のダイオキシン類が母乳などを通じて子どもたちに移行した可能性を思い、悔やみ続けている。「やっぱり、この子たちにも(影響が)あると思う」
 次世代調査に「少しでも役に立つのなら」と協力した千恵。「私たち(子ら)も早く認定につながるような基準の改定をしてほしい」。記入を終えた調査票を手に、切実な思いを吐露した。=敬称略=

© 株式会社長崎新聞社