モアザンハウス インタビュー vol.2「FUCKER×藤原亮」- モアザンハウスをパンクムーブメントとして全国に波及させたい!

モアザンハウス インタビュー vol.1「ANTAGONISTA MILLIONS STEPS」はこちら。

それぞれがそれぞれでオーケーな場所

──今日のインタビューはモアザンハウスの藤原さんの部屋でやらせていただきます。キレイじゃないですか! 物は多いけどキレイにしてる!

FUCKER:凄いスペースを有効に使ってますよね。

藤原:まさにこの部屋で録ったんですよ、今回の僕の曲。せっかく住人なんで家で録ろうと。

FUCKER:そこがこの作品の肝だよね。家で録ってるっていうのがね。

──モアザンハウスという「家」を作ったときも驚いたけど、今度はレーベル。第1弾は、FUCKER/藤原亮(フジロッ久)の3曲入りスプリット『モアザンハウス EP vol.1』と、札幌のANTAGONISTA MILLION STEPSの『ファイトバック EP』の2枚同時発売。アンタゴニスタとはどういう繋がりで?

FUCKER:札幌に「まちかど荘」ってところがあって、映画『MOTHER FUCKER』でも「まちかど荘」に住んでるTHE人生ズを訪ねるシーンがあるんですけど。「まちかど荘」は施設とかグループホームとかじゃなくてシェアハウスなんですよ。デカいシェアハウス。

藤原:どのくらい部屋があるんでしたっけ?

FUCKER:10部屋以上あるよ。もとは旅館みたいなとこだったらしいんですけど。THE人生ズは「まちかど荘」の住人たちが中心になって組んでいるバンドなんです。前にFUCKERの北海道ツアーをANTAGONISTA MILLION STEPSのトザワ君が組んでくれたことがあって、そのときもTHE人生ズと共演して。アンタゴニスタのリリースに関しては、優生思想を叩き潰す! という点で考えが一致しているというのが大きいんですが、THE人生ズ、まちかど荘という繋がりもあって。まちかど荘は、モアザンハウスを作るきっかけになった場所なんで。

──THE人生ズのメンバーは障がいを持つ人と介助の人がメンバーで?

FUCKER:いや、介助っていうか、作業所で一緒に働いてるのかな? 友だちなんじゃないですかね。

──パンクバンドっていいですよね。全国各地にツアー行くからバンドが繋がっていく。札幌のアンタゴニスタとも繋がっていく。東日本大震災以降の各地の災害では、バンドマンが駆けつけてボランティアしている。ホントに素晴らしい。

藤原:海外にも友だちができますもんね。台湾にツアーに行って友だちができて。台湾のニュースを気にするようになった。すごく身近に、自分ごととして感じるようになったから、自然と政治の感じとか気になったり、歴史調べたり。バンドやってて一番嬉しいのって実はそうやっていろんなところに知り合いができることだったりします。

FUCKER:あの、今日のインタビューの最後に言おうと思ってたんですけど、流れ的に今かなと。考えてることがあって、モアザンハウスの活動を一つのパンクムーブメントと位置付けて、全国に波及させてやろうと思っていて。

──おぉっ!

FUCKER:モアザンハウスはただの家なんです。障がいを持った人や住むところに困っている人が暮らす、ただの家。入所施設でもグループホームでもなく、シェアハウスなんです。そういう場所を全国各地に作りたい。パンクスたちが先頭に立って。

──バンドマンは介助の仕事をしている人も多いし。

FUCKER:そうなんですよ。モアザンハウスでもまだいろいろやりたいことがあって。今はコロナでできませんけど、リビングを使ってイベントとか、友だちの家に遊びに来た感覚でねって話していて。友だちの家ってのがいいんですよ。ワークショップとか堅苦しい感じじゃなくて。

藤原:予約はいらない的な。

FUCKER:そうそう。ただの家に友だちが、友だちの友だちが、全然知らない人が、遊びに来る感じ。家から始まる何か、家で始まってる何か、みたいなことをやりたくて。ただ来たい人が来るっていう。何もしない人がいたり。やってることに参加しなくてもオーケー。ただいるだけでオーケー。

──レスザンTVのライブがまさにそういう雰囲気ですよね。リミエキのライブ中に共鳴君がライブ見ないでゲームやってたり絵を描いてたりしてるっていう。両親がライブやってるのに(笑)。その光景を思い出した。それが凄くいいんですよ。一緒にいるんだけど一人一人自由で。

FUCKER:ライブハウスってそれが成立する場所なんですよね。それぞれがそれぞれでオーケー。ま、共鳴には少しくらい観ろよと思いますけど(笑)。

管理人と住人のスプリットが最初のコンセプト

──私は以前はライブハウスに子ども連れて来ちゃいかんって思ってたけど、そうじゃない、子どもが来て全然オーケーなんだって、谷ぐち家に教わりましたよ。

FUCKER:前にも「レスザンTVのライブって、子どもが走り回ってたり車椅子の人がいたり。いいですよね~」って言ってくれた人がいて、そう思ってくれてるんだって嬉しかったんですけど、こっちは特に意識してたわけじゃなかったんで、びっくりもしました。

藤原:僕もまだ谷さん(谷ぐち)と面識ない頃、ライブで谷さんが車椅子の人と一緒にいるのを何度か見て。初めは一緒に見に来てるのかな? って思ったんですけど、ライブハウスでバンドマンやレスザンTVの人が車椅子の人と一緒にいることは、谷さんの中で当たり前に共存してるんだろうなっていう雰囲気を感じました。

──やりたいことならなんでもオーケーだし、なんでも当たり前にやってしまうのがレスザンTVですしね。

藤原:僕はたまたま住む所に困っていたタイミングでモアザンハウスに世話になって、こうしてスプリットまで作ることになったんですけど、普段から繋がりが濃いわけでもなくて。客として見に行ってた頃と一緒なんですよね。谷さんやレスザンに対する自分の距離というか。

FUCKER:でも俺はフジロッ久はレスザンTVだと思ってるよ(笑)。

藤原:え!(笑) モアザンではあるけど、レスザンもですか?(笑) でも、なんかその、もっと「俺たちがレスザンTVだぜ」みたいな連帯感があるのかなって思ったら、全然違うんだなっていうのは、ここに住んですぐ分かりました。誰かに紹介されたりとかもないし。自分が勝手にレスザンを集団として捉えていただけで、たぶんみんな個人で、それぞれ自由にやってんだろうなって。

──うんうん。別に濃い繋がりとか関係なく、薄くてオーケー(笑)。

藤原:客としてレスザンを見てた頃は、「なんと突き抜けたかっこいい集団だ、すごい、特別な人しか仲間になれないんだろうなあ」、みたいな感じに思ってましたけど、でも僕らもレスザンTVだと思われていたんですね。そんな感じだったんですね(笑)。

FUCKER:うん(笑)。

──今やFUCKERと藤原君はスプリットを出すまでの仲に(笑)。

藤原:今回のリリースも最初にコンセプトとして管理人と住人のスプリットでっていうのがあって。住人であり部屋で録れるスタイルの音楽をやっているのが、たまたま僕だっただけです(笑)。

FUCKER:違うよ! たまたまではあるんだけど、スプリットを作るにあたって、この組み合わせなら間違いない! 絶対いいものができる! っていう確信があったからふじふじ(藤原)にオファーしたんだよ。

──絶妙な3曲です。

FUCKER:ふじふじの2曲が凄くいい。FUCKERの曲はミックスを馬場友美さんが、けっこう思い切った感じでやってくれて。モノ凄い気に入ってます。なんかね、「寅さん」風(笑)。

──確かに!

FUCKER:最高に気に入ってるんです。今まで録った音源の中で、これが一番好き。

藤原:初めて聴いたとき、コレなんの音? って思いました。アコギなんだろうけど、どう録音したらこの音になんの? って。歌詞も凄くいいし。

──まさにモアザンハウス、まさにレスザンTVな歌詞で。ちゃんと怒ってもいるし。

藤原:僕は自分の曲には歌詞カードとライナーノートというか本も付けたんですけど、谷ぐちさんは、「意外と聴き取れるから歌詞カードはいいや」って言って。確かに聴き取れるんですよね。あんなグシャっとした音で始まったのに(笑)、歌詞はずっと聴き取れる。

FUCKER:最初は各々1曲ずつって言ってたんだよね。ふじふじは2曲録ってどちらかを収録しようと思ってたみたいで。聴かせてもらったら、コレ3曲で完璧な流れになるぞ! って。ぜひふじふじは2曲入れてくれって。

──3曲目の藤原さんの「dear punks」は1曲目にきそうな曲だけど、最後なのが凄くいい。

FUCKER:でしょう? 曲順も完璧かと。「dear punks」はもともとはただの弾き語りだったんですよ。

藤原:最初はギターと歌だけの録音でした。大河ドラマというか、人が生きてきたこの何千年と自分が死んだあとも、人が生きていく時間の中の壮大なバトンを、その途中にいる自分が繋いでいるっていう超大作オペラみたいな歌なんで。バンドで録るなら情念バリバリにしたくって。弾き語りで情念が出せなかったんすよ。で、部屋で、自分の出した音だけ入れるって決めてたんで、こうやるしかなくて(笑)。

FUCKER:ボイスパーカッションならぬスクリーミングパーカッション(笑)。この部屋で録音してる風景を想像するといいよね。

藤原:遠藤さんが今座ってるそのソファで腹ばいになって、布団かぶってMacの内臓マイクに向かって直に叫んでて(笑)。

悪しき自己責任論では「助けて」と言えない

──この部屋で、音と情念が渦巻いてる(笑)。もともとフジロッ久ってバラエティあるけど器用にやってる感じじゃなく、はみ出しちゃうとこが面白い。

藤原:はみ出したくなっちゃうんですね。最初ははみ出すつもりなくっても、なんか違うなんか違うっていじくり回していくと、はみ出していくんです。メンバーには嫌がられてたこといっぱいあると思います。そもそもパンクの何が好きかって、汚い音がかっこいいとか、尖りすぎてて笑えてかっこいいってとこなんで。今回、はみ出し者の生き様のまんま。食べにくくても生のまま、素材のまま出すぜ! みたいな。

──FUCKERの曲もまさにそうですしね。

藤原:僕自身は声は細いし声質もこんなだし、ガーッと叫ぶよりもメロディをしっかり唄うほうが持ち味を活かせるんですけど、それだけだと自分的には物足りないときもある。自分の特徴を変えずにいかにそれを超えるものを出すか。伝えたいのはこっちだよって。なんでそこにそんなにラー油入れちゃうの? でもそこにラー油を入れることが大事って思っちゃうときがあるんですよ。

FUCKER:俺もそういうことよく言われる。「谷ぐち君、なんでそこでそういうふうにしちゃうかなぁ」って(笑)。パンクバンドあるある(笑)。

藤原:いつもキレイな靴を履いてる奴はなんか信用できないような気がする、みたいな感覚ですかね(笑)。自分も新品のキレイな靴を履いてるときは気持ちいいし、その気持ち良さも知ってるんだけど、バンドとなると、キレイな靴はちょっと恥ずかしいから、その靴汚していい? って。前に、ドラムの音がキレイすぎて曲に合わないって独断で汚しちゃって、めちゃくちゃ嫌がられました。本人は汚す前の音をすごく気に入っていて。

FUCKER:そりゃ怒られるわ(笑)。でも汚い音を作るにも、キレイに録れてたほうがいい汚い音が作れるんだよね。

藤原:そうなんですよね。僕にとってそのキレイな音は素材で。でも自分の価値観を一方的に押し付けちゃダメですよね。メンバーが辞めていった理由のひとつだと思います。

──藤原君はこのライナーノート的な本にあるように、今回はどん底のときに作った曲で。

藤原:そうなんです。メンバーが抜けて5年経つんですけど、自分が根底から変われないとダメだと思ったんです。みんなが辞めてった理由の根っこは繋がってる気がして。自分のことちゃんと見ないとダメだなと、それで奥のほうに向き合っていくと、子どもの頃からの逃げてきたことや自分の根本的な生き方と繋がってる。じゃあもう生き直す覚悟で、全部変えるつもりでやらないといけないぞって。で、「その結果、音楽をやらなくなってもかまわない」「すぐに変われるわけないから、どれだけ嫌になっても不安になっても5年間は取り組む」って決めて。この本には生存的に行き詰ったときのことだけ抜き出して書いてるんですけど、それと同時進行にいろんなことがあって、それも含めてが曲になってると思います。で、これ2曲とも作ろうとして作った曲じゃないんですよ。バンドを動かしてるときは締め切りがあって、作らないといけない中で作ってたんですけど、これは「作ろうとしないと出てこないなら出さなくていい、自分の中からどうしても出てくるものがあるかを見てみたい」って思ったときに、出てきた曲なんで。すごく自分にフィットしてます。

──曲ができたこととモアザンハウスに住むことによって、どん底から脱することができた。

藤原:生存的などん底のときは、そのことしか考えられなくて音楽どころじゃなかったんで。家が確保できて、やっと自分と、人生の課題と向き合える余裕が持てて、しっかりと絶望に取り組めました(笑)。でもね、俺は住居にありつけたけど、実は今もそういう状況の人が近くにいるかもしれない。気づかないだけで友だちが苦しい状況にいるかもしれない。というのも、俺が苦しいときに「助けて」って言えなかったから。

FUCKER:俺もふじふじのこの本を読んで、初めて知りました。

──友だちだからこそ、助けてってなかなか言えない。

藤原:誰にも言えなかったんですよね。自分が社会的に不利な状況…。自分は、生まれながらあからさまなマイノリティとかではないから、それで助けてって言うのは、なんか、年齢的にもアウトすぎるんじゃないかとか。

FUCKER:それは完全に自己責任論だよ。

藤原:そうなんですよ。今なら分かります。悪しき自己責任論にハマッてたってことが。でも渦中にいると分からなくなる。自分のことをまだ正常だと思いたがってる。たとえば、ギャンブルですっちゃったなら「金貸して」って言えるんですよ。ギャンブルしなければ翌月返せますから。けど、普通に生きてたつもりが、「生きていくためのお金がなくなったから貸して」とはなかなか…。

──自分でも平気な顔しちゃったりね。

藤原:そうそう。音楽活動も、サポートでギター弾いて活動してたんで、平気の体で人前には現れたり。

福祉の仕事をするパンクスが全国各地にモアザンハウスを作っていく

──音楽があるから正気でいられたっていうのと、音楽があるからカッコつけてしまったっていう。

藤原:そうなんですよ。定期的に人との関わり合いがあって、それが支えになってたけど、だからこそ強がってしまって。生活保護の申請に行っても良かったんですよね。数カ月生保で暮らして、その間に浮上すればいい。だけど平気の体でみんなの中に入っていってるんで、自分でもなんだか分かんなくなってるんですよ。たぶんね、二度と会わない人には話せたかもしれないけど、たまに会う、今後もずっと会い続けるであろう人には何も話せないし、「助けて」なんてとても言えない。だから谷さんには家まで紹介してもらったけど、本当の理由は言えなくて。

FUCKER:まだまだだってことですよね、俺が。ホント、気軽に言ってもらえる存在になりたい。

藤原:本当は誰かに全部話したかったし、そうしたら良かったんですよね。プライドって言えば分かりやすいんだろうけど、プライドだけじゃないんですよ。何かに負けてるんですよ。呪いとか後ろめたさが凄いあったし。

──さっき谷ぐちさんは自己責任論って言ってたけど、社会が「自己責任だ」って空気を作っているのはありますよね。

FUCKER:ありますよね。追い詰めてるのは絶対社会ですよ。ホント、クソ。一人の人間っていうのはいろんなものが積み重なってできてるんだから、甘えだって断罪したり、表面的に線を引いたり、そういったものは絶対に良くない。人間ってそんなに簡単なもんじゃない。

藤原:あとこれは、語弊を招きそうだと思いつつも言っておきたいんですけど。モアザンハウスは障がいを持つ人と住む家に困ってる人が入居してるじゃないですか。下の階に住んでる佐山さんは、生まれながらに脳性麻痺なんです。でもね、困ってるときの僕と佐山さんと、その困り具合は佐山さんのほうがより困っているってことはないと思うんです。

FUCKER:そうだね。

藤原:僕は健常者として、困ってない側の人間として、ここに住んでるわけじゃないんです。

──障がいのある人のサポートをするために住んでるわけじゃない。

藤原:そうです。自分だけでなんとかならないんだったら助けが必要っていうのはみんな一緒です。人は誰しも困り事がある。個人である以上、それぞれにマイノリティのところはあるし、マイノリティの瞬間って誰でもあると思うんです。マイノリティとマジョリティって分けられるものではない。それぞれ一つに括ってはならない一人一人なんだけど、でも全部を自分一人だけで抱えなくていいってことも意識していければ……。だから、当時の俺のような、健常者であってもどん底の人に、我慢しなくていい、助けてって言っていいって分かってほしい。

──誰もが劣っているわけじゃなく、ただ困り事があるってだけなんだから。

藤原:そうなんですよ。それって、全部が繋がってることだから。俺がパンクに居場所を見つけたことと、生活に困窮したことって、社会がこんなだからっていう意味で一緒だなって今は分かる。パンクが居場所になっていったのって自分にとってはとてもピュアな行為だと思っていて。でもピュアな行為をしていると困ることになるのが今の社会で。

──ピュアな行為というのはわがままで甘えだってなるのが、今の社会ですよね。

藤原:社会と全く接点を持たずに生きていくことは難しすぎるなって思うから、どうしたって困ったり傷ついたりすることはある。そのとき、「そうは言っても何とかなることだから、自分が何とかすることだ」の圧は強すぎるんです。それで、実名で、できるだけ生々しく、「分かってたつもりだったけど、いざ自分がなってみると全然だめだった」っていう文章で、対抗できる強度が出せたらと思いました。もし追い込まれたときは助けを求めてくれって。

FUCKER:俺はね、もちろんCDを出す以上、音楽を聴いて欲しいというのはあるんだけど、レーベルやるってことで活動を広くアピールしたいっていうのがあるんですよ。さっき言ったように、パンクムーブメントです(笑)。福祉の仕事をやってるパンクスやこれから福祉の仕事を始める人たちが一軒家を借りて、全国各地にモアザンハウスを作っていく。

藤原:うんうんうん。

──しんどかったら、しんどくなくても、来なよって場所がモアザンハウス。

FUCKER:もうモアザンハウスを全国に広げたい。自分は、津久井やまゆり園事件のことがあってモアザンハウスを作ろうって発想になったんです。障がいを持ってる人って生き方の選択肢が極端に少ない。特に知的障がいを持っている人なんかは、地域で生活していくのが難しくて、最終的に入所施設に行かなきゃいけないってケースがメチャクチャ多いし。入所施設を否定してるわけじゃないんですけど、それ以外の選択肢があまりにも少ない。たとえば親に介助されながら生活していて、親が歳を取って介助できなくなったら施設に行ってそこで一生過ごすってことが多い。本人の意思とは関係なくね。言ってしまえば押し込められるんですよ。それは絶対におかしい。

藤原:僕、学生時代とかは障がいを持った人と知り合うことはなかったし、街で見かけることもなかった。障がいのある人の人数って少ないんだろうって思ってたんです。そしたら全然そんなことなくて。いっぱいいるんですよ。毎日必ず街で一人は見かけるぐらいの数いるんです。それが街で会わない、なかなか見かけないっていうのは、選択できる場所が少な過ぎるからで。

パンクスやバンドマンに介助の仕事はおすすめです!

──迷惑になるから外出は控えようと思ってる人もいるでしょうし。そう思わされてるっていうか。

藤原:精神科の考え方って、病気を治そうっていうんじゃなく、「何に困ってるのかを伝えてほしい。その困り事をどう解決していくかサポートする」って感じなんですよ。

──うんうん。困り事なんですよね。

藤原:困り事って誰でも起こりうることで、それをシェアしてサポートするってことが大事だなって。それってバンドやってると凄い実感できる。ツアーに行って各地に友だちができると、どこかで災害が起きると何かしなければ、何ができるかなって考える。それは全てに繋がっているんですよね。障がいを持つ人が身近にいれば、何に困っているのか気づける。僕、一緒にモアザンハウスで暮らしてる車椅子ユーザーの佐山さんのために特別に何かしようって気持ちはないんです。偶然近くのスーパーで会ったりして一緒に帰って、そのまま佐山さんの部屋でご飯食べたりとか。そのくらいの接点。シェアハウスしてるな~って感じで。ただね、最近落ち込むことがあって部屋で一人で過ごしてる、みたいな話をしてたときに、佐山さんに「健常者は一人になれていいな」って言われて、一瞬で酔いが醒めてしまって。

──分かります。私も昔、障がいを持つ人との音楽イベントで、隣でライブを見てた車椅子の人に、「楽しいよねー、いい曲だよねー」って言ったら、「僕はこのタイプの音楽はあまり好きじゃないんですよ」って言われてドキッとして。こっちは障がい者のためにやってあげてるって意識があったんだなって。楽しいって答えてくれるのが当然って思ってたんですね。

藤原:はいはい。

FUCKER:押し付けなんだよね。

藤原:楽しい人ももちろんいるけど、つまんねえって思ってる人もいる。文化祭のクラスの出しものとかそうですよね。やりたくないことでも参加させられちゃう。

FUCKER:モアザンハウスはそのへんそれぞれ勝手に(笑)。

藤原:俺はモアザンハウスで、単なる同居人として一緒に暮らしてることが凄く良かったなって。

FUCKER:シェアハウスで暮らさない限り、そういう関係にならないよね。

藤原:声をかけたりしなくても、どっかの部屋から聞こえてくる生活の音っていうのがね、安心するんですよ。あ、居るな。人が居るんだな。って。

FUCKER:佐山さんも言ってたよ。「車椅子で帰ってきて、上に灯りがついてたらホッとする」って。これが全然知らない人の部屋の灯りだったら別にホッとはしないよね(笑)。

藤原:部屋で人に会える気分じゃないときに、食器の音が聞こえてきて、「そこに同じような誰かが居る」ってことに漠然と包まれたりとか。

FUCKER:だからホント全国に広げたい。パンクが好きだったりする人に、いやジャンルなんて関係ないんですけど、介助はおすすめです! 実際、全然人が足りないんですよ。24時間介助が必要な人が自分でアパート借りて住むとなると多くの介助の人が必要で。ニーズはあるんですよ。でも圧倒的に担い手が足りない。介助は凄い必要な仕事だし、何より楽しいですよ。

──今まで気づかなかったことに気づけるし、視野が広がるでしょうし。

FUCKER:グンと広がると思います。全国的にもパンクスやバンドマンは介助をやる! そのぐらいアピールしたいしムーブメントにしたい。実際に、今もたくさんやってる人がいるんで。

──ムーブメントになったら、福祉の状況、介護士の待遇も良くなっていくかもしれない。

FUCKER:アンダーグラウンドのネットワークを使って、それを実現させたい。地域ごとにそれぞれのモアザンハウスができて、違う新しい何かが生まれる。思い切ったアプローチをしてみんなを巻き込んでいきたい。夢みたいな話だけど、本気です。

──分かりました! 最後に本作のジャケット、メチャメチャ凝ってるしカワイイですね。

藤原:いいですよねー! デザインのくまがいなおさんがバツグンで。モアザンハウスを再現してくれました。

──それで、なんか米粒が入ってたけど……(笑)。しかもなんか字が…?(笑)

FUCKER:ふじふじの本によって、モアザンハウスに繋がっていって作品としても凄い立体感のあるものになったと思って。コレは俺もなんか入れなきゃいけないぞって、米にしました(笑)。ふじふじが1万字以上の本なら、俺は情報量の少なさで勝負しようと(笑)。米に字っていうのはずっと温めてたアイディアなんです。米って生活の断片で、どこの家にもあるものだし。まさに「家」を表しているなと。

藤原:うちも、絶対そのへん(台所)のどっかに何粒か落ちてます(笑)。

FUCKER:ほらね(笑)。

© 有限会社ルーフトップ