韓国ドラマ、K-POPに続け!激動の歴史の中で進化を続けてきた韓国アニメーション

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ドラマ、映画に続くコンテンツとして成長への挑戦を続ける韓国アニメーションだが、韓国社会が歩んできた道と同じように、その過程は苦難と逆境の連続だった。

韓国にアニメーションがやってきたのは、約90年前。植民地時代の朝鮮半島で、ディズニー作品や日本製のアニメーション映画が紹介され、短編が制作された記録が残っている。その後、解放から朝鮮戦争、南北分断を経て1960年代にテレビ放送が開始されると、アニメーションを用いたCMが流れるようになった。このころ、本格的にアニメ制作が始まったと言われている。

1967年には、古くから伝わる英雄譚をモチーフにした韓国初の劇場用長編アニメーション『ホンギルドン』が公開された。当時の映画興行成績で第2位となる大ヒットを記録したことからも、作品が韓国社会に与えたインパクトの強さがうかがえる。

一方で1965年に日韓の国交が回復すると、経済交流の一環として、日本のアニメ業界との合作が試みられる。『黄金バット』(1967)や『妖怪人間ベム』(1968)は、この時期両国で共同制作・放送されていた。その後アニメーション産業は、日本やアメリカの下請けを中心に成長していく。

そんな時期に制作された映画『ロボットテコンV』(1976)は、初のオリジナル巨大ロボットアニメーションとして子どもたちから熱烈な人気を獲得。シリーズ化され、韓国アニメーション史に残る作品となった。

軍事独裁政権による政情不安が続き、大衆文化が検閲されていた1970〜80年代の韓国では、自由な制作環境も消費市場も育たず、質の高いオリジナル作品は生まれにくかった。海外の下請け作品を元ネタにした、いわゆる「パクリ作品」も乱造された時期だ。

「赤ちゃん恐竜ドゥーリー」(1987〜88年放送分まとめ)KBSアーカイブ公式YouTubeチャンネルより

その後、学生や市民の力によって民主化への足掛かりをつかんだ1987年には、放送局KBSで人気漫画を原作としたアニメーション「赤ちゃん恐竜ドゥーリー(原題)」が放送開始。子どもたちから人気を集め、主人公のドゥーリーは現在でも、韓国を代表するキャラクターとして親しまれている。

1988年のソウル五輪、1989年の海外旅行自由化などを経て、海外の文化が一斉に流入すると、アニメーションをめぐる環境も大きく変わり始める。

1990年代後半には、金大中(キム・デジュン)大統領のもとで、文化コンテンツを輸出産業に育てるための「コンテンツ振興政策」が本格化した。

アニメーション業界も、下請け中心の産業構造から脱して、質の高いオリジナル作品を制作し輸出することが目標となる。このころから、日本やアメリカのような、幅広い年代に支えられたアニメ消費市場の成功にならい、ヤングアダルト向けの作品も制作され始めた。

2002年公開の長編『マリといた夏』は、自主制作アニメーションの先駆者と言われるイ・ソンガン監督のファンタジー作品。イ・ビョンホンが声優として出演し、アヌシー国際アニメーション映画祭で受賞するなど、韓国作品が海外で注目されるきっかけを作った。

21世紀に入ると、アニメーション業界にも思わぬ追い風が吹いてくる。ドラマやK-POPなどの韓流コンテンツが、アジアから世界へと広がり始めた。同時に、インターネットやスマートフォン、衛星放送によるテレビの多チャンネル化など、コンテンツを早く効果的に届けられるメディアも急速に普及する。

そこで、韓国の商業アニメーションは、ドラマなどと合わせて輸出しやすい幼児・児童向け教育用テレビシリーズの制作に、力を入れ始める。欧米との合作でノウハウを得ながら、先述した「ポンポンポロロ」などで、海外市場への販売を成功させた。


Text:田中恵美(ライター・編集者)

Edited:佐藤結(ライター)