プロ野球解説者・鈴木孝政、ピッチングのモデルチェンジは「空振り三振から見逃し三振へ」

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東海ラジオ『荒磯親方 横綱人生道』(月19:00~19:15)は、第72代横綱・元稀勢の里の荒磯親方が、相撲道で培った人生観、さらに幅広く、横綱の人生道を大いに語る番組。ただし、大相撲本場所開催中は、荒磯親方に代わって、プロ野球解説者が「野球人生道」と題して担当している。9月20日は、元中日ドラゴンズ投手の鈴木孝政氏が出演した。

鈴木氏は、千葉県出身で、1970年代中盤から後半を中心に活躍し、速球派として、最多セーブ王や最優秀救援投手などのタイトルを獲得、また、優勝にも貢献した。しかし、その後は、肘の故障に悩まされた。当時を振り返り鈴木氏は「(肘が)痛くて投げられなくなって、痛み止めを打ったり飲んだりして(痛みを)ごまかしながら投げていたが、結局(薬は)みんな効かなくなった」と話した。

そして「ジャイアンツ戦で、王(貞治)さんに、全部フォークボールを投げて三振を奪ったことがあった。翌日の(新聞に載った)王さんの談話は『いつか速いボールがくると思っていた』だった」。このときに鈴木氏は、限界を悟ったという。そこから、鈴木氏の治療と鍛錬の日々が始まった。

手術も勧められたというが、医者からは「手術はできるが(以前のように)150㎞の速球が投げられるかどうかはわからない」と言われ、鈴木氏は「治療しながら、もう一度、鍛え直そう」と決心した。しかし、毎日続く「治療と鍛錬」は、相当きつかったようだ。

そして「再び投げられるようになるまで3年かかった」が「丸1年シーズンを休んだことはなかった。何とかごまかして投げていた。今のような、手術して1年リハビリというようなシステムはなかった」と振り返った。その努力が実り、1982年に先発復帰して、84年には16勝を挙げて「カムバック賞」を受賞した。

復帰後の鈴木氏は、以前の速球派から技巧派への転向を余儀なくされた。そこには「いかに自分自身で変えられるか」という葛藤があったという。「スピードボールが投げられるのに、それを捨てることはできない。切り替えられなくて去って行った選手も多い」とのこと。

しかし、鈴木氏は、自らが変わる道を選んで「空振り三振(を取ること)は、自分の魅力だったが、肘を壊してから、見逃し三振を取るのが楽しかった」という。「打たせて取る。三振は後から付いてくるもんだ」という考え方になったそうだ。

鈴木氏は「打たせて取る」ピッチングのために、3種類のストレートをマスターした。そして、チャンスを迎えて打ち気にはやる打者を、遅い球でまんまと凡打に打ち取ることができた。怪我を機に、ピッチングスタイルのモデルチェンジに成功したわけだが、そこのは、相当の努力と覚悟があったことだろう。

プロ野球解説者・鈴木孝政、ピッチングのモデルチェンジは「空振り三振から見逃し三振へ」

放送局:東海ラジオ

放送日時:毎週月曜 19時00分~19時15分

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