【大学野球】ドラフト候補の154キロ右腕が挑む最後の秋 亡き祖母の言葉「プロに行ってね」を胸に

東北福祉大・椋木蓮【写真:高橋昌江】

東北福祉大の椋木蓮に注目、仙台六大学リーグ25日開幕

仙台六大学の秋季リーグ戦が25日、2度の延期を経て開幕する。プロ志望の選手にとっては来月11日のドラフト会議に向け、限られた直接のアピール機会になる。ドラフト候補の大学生で注目度が高い東北福祉大の最速154キロ右腕・椋木蓮投手(4年)は「満足いくピッチングが1回もできなかった」と振り返る春から復調し、「最後のリーグ戦なので、悔いなく、楽しみたい」と意気込む。

大学野球のラストシーズンがスタートする。ドラフト上位候補の椋木は「20日の紅白戦で、ストレートが150キロ台に戻ったのでよかったです。変化球も春に比べたら全然、いい」と話し、リーグ戦の開幕に照準が合ってきた様子だ。

1年前の秋、150キロ台のストレートをコンスタントに投げ込み、斜めに落ちるスライダーも冴えて好投を続けた。リリーフで5試合、8イニングを投げ、15奪三振。「抑えられればいいな、くらいの気持ちでしたが、スピードと結果がついてきたので出来過ぎです」。それまで進路は「社会人というのも贅沢。野球は続けたい、くらい」と考えていた。だが、成績を残せたことによる自信やスカウトの評価を得られたことで、3年秋を終えてプロへの思いを強めたのだった。

そこまでの道のりは平坦ではなかった。1年春からリーグ戦に登板し、14年ぶりに優勝した大学選手権決勝のマウンドも経験したが、2年春のリーグ戦中に右肩と右肘を相次いで痛めた。右肩は上がらず、「シャンプーもきついくらい」だった。椋木の特徴である速い腕の振りと筋力のバランスが合っておらず、負担がかかったことが原因。投げられない期間は食事も重視しながら、下半身を中心としたトレーニングで身体作りに励んだ。

中でも仙台市内最長の石段がある亀岡八幡宮でのトレーニングは「自分に合っていて、限界を越えても頑張れる」と熱心に取り組んだ。タイムを設定して走ったり、投球時の股関節の入り方を確認しながら登ったりとさまざまなバリエーションで一段一段、復帰への階段を上がっていった。「自分にとってのパワースポット」と椋木は話すが、奇しくも、亀岡八幡宮の石段は「出世階段」と呼ばれており、復帰後にドラフト候補へと“出世”したのは本人の努力もさることながら、ご利益を感じさせる。

祖母の形見の指輪を持つ東北福祉大・椋木蓮【写真:東北福祉大硬式野球部提供】

最速154キロに伸ばしても「悔しさすら出ない」モヤモヤ続きの春

3年春にはマウンドに戻れる予定だったが、新型コロナウイルスが発生。寮が閉鎖され、故郷の山口県に帰った。その間、高川学園中学・高校の1学年先輩で、昨年のドラフトでヤクルトから2位指名を受けた山野太一投手と練習。秋のリーグ戦で約1年半ぶりの復帰を果たした。

今春は先発に挑戦した。リーグ戦では登板した6試合中、4試合に先発。25回2/3を投げ、40三振を奪ったが、被安打22で9失点(自責5)。「満足いくピッチングが1回もできなかった」と投球内容に納得できなかった。

「1試合ごとに経験を積むのではなく、その試合を凌いで、次の試合を投げて、ただ時間が流れていった感じ。よくて50、60点。仙台大戦はゼロ点ですね」

リーグ優勝をかけた最終節の仙台大1回戦は先発したが、2本塁打を浴びて5回途中6失点(自責4)。攻撃も噛み合わず、1-6で落とした。2回戦は4番手で投げ、味方のエラーで1点を失ったが、7-3で勝利。通算9勝1敗の同率で並び、行われた優勝決定戦は4-1の9回に3試合連続のマウンドに向かったが、2ランを浴びて1点差に迫られてしまう。ここで気持ちを切り替え、変化球と150キロ直球で空振り三振を奪って胴上げ投手となり、仲間と喜びを分かち合ったが、モヤモヤは晴れなかった。

大学選手権1回戦の共栄大戦では4点ビハインドの8回から登板すると、自己最速を更新する154キロを2球計測した。だが、知ったのは敗れた試合後のインタビューの時。この試合もスクイズで1点を失うなど、不甲斐ない投球が続いた春。「選手権で負けても、悔しさすら出なかった」と苦笑する。

春を終え、すべての変化球の握りを見直した。特にスライダーは昨秋、斜めに変化していたが、この春は横に曲がったことで通用しなかったと分析する。投球時の左足の着地と腰の回転など、バランスが崩れたことで肘が下がったことも要因で、そういった投球フォームの微妙なズレも丹念に修正。夏場の練習で光が差し込んだ。

亡き祖母の言葉「プロに行ってね」を胸に…“笑顔”でアピールなるか

10月11日のドラフト会議に向け、春と違った姿を見せるつもりの秋季リーグ戦は新型コロナの影響で2度延期になった。先行きが不透明な中で練習に励んでいた8月31日、母方の祖母、木村勝子さんが亡くなった。翌日、山口県に帰省しお別れをしてきた。教員だった勝子さんのことは「学校のばあちゃん」と呼び、外食でよく回転寿司に連れていってもらったことやオセロをしたことが思い出だ。

仙台に戻る際、母・順子さんから「『プロに行ってね』と伝えてね」と言っていたことを聞かされ、首から下げられるようにとチェーンを付けた形見の指輪を受け取ってきた。プロへの思いはより一層、強まっている。

練習再開から約1週間後の、先週のシート打撃ではストレートの球速が140キロ中盤だったと言うが、20日の紅白戦では150キロ台に戻った。「春はよくなかったのでゼロに抑えられれば」と気合いを入れ直す。好きな言葉は「笑顔」。昨秋は投げられる喜びを胸に投球していただけに、「最後のリーグ戦なので、悔いなく、楽しみたい」とも。

高校1年の秋、内野手から投手に転向し、最速108キロからスタートした投手人生。ドラフト会議まで実戦でのアピール機会は限られるが、気は張り過ぎず。最速154キロ右腕は、迎える運命の時に向かってスパートをかける。(高橋昌江 / Masae Takahashi)

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