水や空60年

 見分けがつかず、ぼんやりしていることを「髣髴(ほうふつ)」と言うらしい。江戸後期の史家で文人、頼山陽はこんな漢詩を残した。〈雲か山か呉か越か、水天髣髴 青(せい)一髪〉▲はるかに見えるのは雲か山か、それとも呉の国、越の国か。海と空の境目はおぼろげで、青く一筋の髪の毛を置いたような水平線がかすかに見える…。内輪の話で恐縮だが、この欄「水や空」の初回は、この詩の引用で始まった。きょうで開始から60年になる▲その前は別名だったが、本社の先輩である故松浦直治氏が主筆として他紙から本紙に迎えられ、改題した。松浦氏はコラムを13年続け、第1回日本記者クラブ賞を受けている▲水平線を表す「青一髪」を和風にしたら「水や空」になる、と初回のコラムは続く。海とも空とも見分けのつかない境目に引かれた、青い一筋。コラムはそうでありたいと願いを込めた▲政治であれ何であれ〈良識にもとづく批判や感想が水や空なる一線をつらぬいているとき、読者に信頼感をもたらす〉と。身を縮ませて、60年前の“宣言”を読み返している▲物事には光と影、ほんととうそ、本音とまやかし-と、境目があいまいで、見分けのつかないことはいくらでもある。微力と知りつつ、そこに青一髪を引き、はっきりさせること。往時の宣言は教訓でもある。(徹)

© 株式会社長崎新聞社