メクル第576号 昔話研究の開拓者 “関敬吾”って知ってる?

関敬吾

 「桃太郎(ももたろう)」「一寸法師(いっすんぼうし)」「かちかち山」…。これらの昔話に関する本を100冊(さつ)以上書き、世界から注目される研究をした雲仙(うんぜん)市小浜(おばま)町出身の関敬吾(せきけいご)という人を知っていますか?
 今回は同市教育委員会生涯(しょうがい)学習課の丸木春香(まるきはるか)さんに詳(くわ)しく教えてもらいました。

 教えてくれた人 雲仙市教育委員会生涯学習課 丸木春香(まるき・はるか)さん

  心のふるさと富津(とみつ)

 関敬吾は1899(明治32)年、同市小浜町富津(とみつ)の網元(あみもと)の家に10人きょうだいの末っ子として生まれました。港町なので家族以外にも身近にいた漁師(りょうし)たちからいろいろな話を聞いて育ったのだと思います。昔話を聞くのも語るのも好きで、小学校の先生から「よく知っているな」とほめられたこともあったそうです。
 両親は敬吾に漁業を継(つ)ぐよう望みましたが、大学に行きたかった敬吾は兄を頼(たよ)って上京し、東洋大学に進学しました。しかし、在学(ざいがく)中も漁が盛(さか)んな時期には列車で片道(かたみち)28時間かけて富津に戻(もど)り、経理(けいり)を手伝っていました。
 晩年(ばんねん)、都内での入院中にも「外を通る車の音が富津の波の音に聞こえる」などと話し、何かと富津を思い出していたそうです。

  「何とか残したい」

 大学卒業後、敬吾は東京大学付属(ふぞく)図書館の司書をしていた時に昔話研究の第一人者である柳田國男(やなぎたくにお)と知り合い、昔話の世界と出合います。以来、他の研究者らとともに戦時中から戦後にかけて日本中の昔話を集めました。「日本昔話集成」(全6巻(かん))では8700話、「日本昔話大成」(全12巻)では3万5千話が収(おさ)められています。
 今でこそ絵本や紙芝居(かみしばい)になっている昔話ですが、もともとは文字で書かれたものではなく親から子、子から孫へと語り継(つ)がれてきたもの。当然、話せる人がいなくなれば、そのお話は消えてしまいます。また昔話にはその時代、土地の方言、生活の知恵(ちえ)などがたくさんつまっていて、敬吾は「何とかして残したい」と生涯をかけて多くの昔話を集めました。

  外国の昔話も研究

 大学時代にドイツ語を学んでいた敬吾は諸外国(しょがいこく)の昔話についても研究しました。グリム童話と日本の昔話が似(に)ていると気付いたときは、心臓(しんぞう)が高鳴ったそうです。そして、外国の昔話研究で使われていた分類方法を参考にして日本の昔話を整理しなおしました。世界中で使われている分類方法を使うことで、海外の研究者らが日本の昔話に興味(きょうみ)を持つきっかけを作りました。

  紹介動画を制作中(しょうかいせいさく)

 研究に打(う)ち込(こ)む一方で昔話を子どもたちに広めたいと願う敬吾は、「笠地蔵(かさじぞう)」や「こぶとり爺(じい)さん」などの絵本も書いています。島原半島内だけでも117の話を収めた本も出しています。
 雲仙市では、関敬吾の紹介(しょうかい)動画を制作(せいさく)中です。市の特設サイトで近日中に公開します。

◎小浜の民話 伝える活動

 旧小浜(おばま)町教育委員会は関敬吾(せきけいご)の「全国昔話資料(しりょう)集成21島原半島昔話集」をもとに絵本「おばまの民話」を発行しています。また、小浜図書室(同市小浜総合支所(ししょ)内)では、月1回の読み聞かせ会を開き、地元の昔話を語り継(つ)ぐ活動をしています。

  六角(ろっかく)井戸(いど)の由来 

 今から千二百年ほど昔、一人のお坊(ぼう)さんが富津(とみつ)の坂を歩いていました。
 そのころの富津は、いくら井戸(いど)を掘(ほ)っても、出てくるのは潮水(しおみず)ばかりで大きな川もないし、今のように水道もなかったので、炊事(すいじ)だけでなく、そうじやせんたくの水にも大変苦労していました。(中略(ちゅうりゃく))
 お坊さんも疲(つか)れと、のどのかわきで動けなくなり、近くのお百姓(ひゃくしょう)さんの家で「お水を一杯いただけませんか」とお願いしました。(中略)
 山を越えて水をくんで来てくれたおばあさんの親切に心を打たれたお坊さんは、浜辺(はまべ)に出て、持っていた金剛杖(こんごうづえ)で砂(すな)の上に六角の形をえがきました。「ここを掘ってごらんなさい。必ず清水(しみず)がわいてきますから、仲良くみなさんで使ってください」と言い残して行ってしまいました。土地の人がそこを掘ってみるとお坊さんの言葉どおりきれいな水がわき出したのです。
 これが、今も残っている六角(ろっかく)井戸の始まりだと言い伝えられています。(「おばまの民話」より)

  読み聞かせ会

 同町の読み聞かせグループ「おはなしのろうそく」は町内で30年以上も絵本の読み聞かせ会を開いています。宮本志津子(みやもとしずこ)代表は、これからもお話の魅力を伝えるために活動を続けていきたいと話してくれました。
 10月は20日の午前11時から11時半まで。

◎息子、関信夫さんが語る父 「とにかく研究熱心」

 私(わたし)が小学生の頃(ころ)、父は気が向くと近所の子どもたちを集めて昔話をしてくれました。その時はお菓子(かし)が出るのでみんな喜(よろこ)んで集まってきていましたよ。
 父は昔話を1話ずつカードに書いて分類していました。何万枚(まい)ものカードをコンピューターのない時代に「どこの箱の何枚目に入っている」とほぼ正確(せいかく)に覚えているのには驚(おどろ)きました。
 とにかく研究熱心で一日15時間以上も書斎(しょさい)にこもって論文(ろんぶん)を書くことも珍(めずら)しくありませんでした。入院中も、消灯後に廊下(ろうか)で原稿(げんこう)を書いていて看護師(かんごし)さんに怒(おこ)られたことがあります。
 昔話に関する生前の父の資料(しりょう)のほとんどは、岩手県の遠野(とおの)市立博物館に寄贈(きぞう)しましたが、雲仙市で父の動画が作られることは、大変にうれしく思います。

◎関敬吾 略歴

1899年 現在(げんざい)の雲仙(うんぜん)市小浜(おばま)町富津(とみつ)に関家の五男として誕生(たんじょう)
1924年 東洋大学専門(せんもん)部文化学科卒業後、東京大学付属(ふぞく)図書館の司書に
1935年 「島原半島民話集」発表
1950~58年
「日本昔話集成」全6巻(かん)発表
1977年 柳田賞(しょう)受賞
1978~80年
「日本昔話大成」全12巻発表
1990年 死去

現在の富津港

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