何事もタイミングがすべてだ。1979年7月2日にリリースされた、ダンスフロアを人々で埋め尽くす名曲「Voulez-Vous(ヴーレ・ヴー)」は、シカゴで行われた悪名高いディスコ・デモリション・デイ(野球場にディスコのレコードを集めて爆破するという、反ディスコ・イベント)と同じ月に店頭に並んだ。
最初の大きなABBAが再評価された“アバ・リバイバル”を盛り上げるために1992年に再発売されたこの人気曲が、発売当時に世界各国のヒット・チャートにてそれまでのABBAのシングル程上昇しなかった理由はおそらくそのあたりにあっただろう。
音楽の潮流は転換しつつあり、少しでもディスコ風な曲は人気を集めるのに苦労し始めていた。それでも「Voulez-Vous」はそうした変化の時期を耐えて、確固として光輝く高い評価を勝ち得たのだ。
<ミュージック・ビデオ:【和訳】ABBA - ヴーレ・ヴー>
初期のレコーディング・セッション
「Voulez-Vous」が生まれたのは、ビョルン・ウルヴァースとベニー・アンダーソンがマイアミに予約してあったスタジオでの時間に先立って、アメリカのラジオでのトレンドを吸収しようと、数日滞在したバハマ諸島での作曲セッションの時だった。ビョルンは、当時本国のスウェーデンではポップ音楽のラジオ局へのアクセスが制限されていたことを、後に説明してくれた。
「別に他の人の作品をパクろうとしていたわけではなくて、いい作品を聴いて刺激をもらおうとしたんです」
ビー・ジーズがその最大のヒット曲のいくつかを作り出したことで有名なマイアミのクライテリア・レコーディング・スタジオでのセッションは、1979年2月の始めにスタートし、後に「Voulez-Vous」となる曲のバック・トラックがそこで録音されたが、最初その曲は「Song X」と呼ばれ、さらに「Amerika」という仮題が付けられた。
この曲のレコーディング・セッションのサポートのために、その前年に「Get Off」の全米ヒットを放っていたフロリダのディスコ・グループのフォクシー(Foxy)が呼ばれ、更にはベテラン・エンジニアのトム・ダウドが、当時世界最大のレコーディング・スターだったABBAとの仕事にために休暇先から呼び戻されたのだ。
地元のプレイヤー達はこの曲のマイアミ・ディスコ的なベースを形作るのに手を貸し、ABBAのメンバーがより慣れ親しんだ自国のポーラー・ミュージック・スタジオで完成された。ビョルンに取ってそのプロセスの中で最もトリッキーだったのは、短いリフにシックリくる歌詞を見つけることだったとビョルンは後にそう語った。
「ありとあらゆるフレーズを試してみたんです…。で、突然僕の頭にフランス語のフレーズが現れたんです。“Voulez-Vous”って。これだ!って思いましたね」
また、ABBAのメンバーとこの曲に取り組むために、スウェーデンのシンガー、ビョルン・スキッフス(Björn Skifs)のバンドであるヴィジョン(Vision)のホーン・セクションが招かれた。彼らの演奏は、『マンマ・ミーア!』のミュージカルと映画を含めて、それ以降何度もサンプリングされたり、再利用されたりした。
多くのカバー・バージョン
1979年4月23日にリリースされたアルバム『Voulez-Vous(ヴーレ・ヴー)』のタイトル・トラックにもなった「Voulez-Vous」は、アルバムからの3枚目のシングルとしてリリースされ、それ以来何度もカバーされ続けている。
1992年のABBAのリバイバル・ブームの仕掛人として知られるエレクトロ・ポップ・バンドのイレイジャーは、ヒット・チャートの1位を記録した彼らによるABBAのカバーEP『Abba-esque』にこの曲を収録し、カルチャー・クラブからアイスランドのロック・バンド、ハム(Ham)といった様々なアーティストがこれまでこの曲に挑戦してきている。
当初7インチと12インチの2つのフォーマットでリリースされた「Voulez-Vous」は、本国スウェーデン以外で録音されたという意味でABBAにとっては珍しい曲だ。
発売当時、世界の多くはディスコから離れようとしていたのに、世界最大のポップ・グループはまだまだダンス・シューズをしまい込もうとはしていなかった。ただ、ABBAはこれ以降、彼らがこれまで手慣れていたユーロ・ポップのサウンドにまた舵を切って行くことになる。
Written By Mark Elliott
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**40年ぶりの新作アルバム
ABBA『Voyage』
**2021年11月5日発売