独特すぎる経歴?!経営者・教育者から、なぜ政治家に?そしてなぜ蝶ネクタイ??乙武洋匡が自民党・山田太郎氏に迫る!

選挙ドットコムでは、乙武洋匡氏をMCに迎え選挙や政治の情報をわかりやすくお伝えするYouTube番組「選挙ドットコムちゃんねる」を毎週更新中です。

今回は2021年7月13日に公開された対談の様子をご紹介。ゲストは自民党・山田太郎議員です。経営者・教育者時代の話や、政治家を志した理由について伺いました。

 

蝶ネクタイをつけ始めた理由

山田議員と乙武氏は、5〜6年の付き合いになるのだそうです。冒頭で乙武氏は、「1対1でじっくり話す機会はなかなかないので、楽しみにしていました」と話し、この日の対談がスタートしました。乙武氏が、「700人近くいる国会議員の中で独自の存在を築き上げてきましたね」と投げかけると山田議員は、「変わり者なので」と答えます。

続けて乙武氏は、「チャーミングな風貌も人気の秘訣だと思う。蝶ネクタイをつけ始めたのはいつからですか?」と尋ねます。山田議員は、「以前、みんなの党にいた頃に予算委員会へ出席した。その際に『山田さんは名前は派手だけど顔とか風貌は地味だよね。蝶ネクタイとかつけたら目立つんじゃない?』と言われた。実際に蝶ネクタイをつけてみたら馬鹿受けして、『これはイケた』と思った。大事な質疑をする時には、国会でも蝶ネクタイをつけている」と明かしました。

「蝶ネクタイの話が出た時、『さすがにジョークかな?』とは受け止めなかったのですか?」と乙武氏が尋ねると山田議員は、「私に選択肢はなかったです」と答えました。

旬なものに身をおくのが私のやり方

政治家になる前は、ビジネス業界で活躍されていた山田議員。ネクステック株式会社の創業社長として東証マザーズ上場も経験されています。そのままビジネス業界に残るお考えはなかったのでしょうか。

山田議員は、「ビジネス業界もそうだが、東大の講師をはじめ学校の先生も私は経験している。〝旬なものに身をおく〟というのが私のやり方で、MBAの世界に入った時はMBA講師を務めたし、東証マザーズができて数年後に(自分の創った会社が)上場した。今は政治が旬だから身をおいた。というのは建前だが、上場した会社が債務超過に陥って、なんとか会社は立て直したが責任を取って辞めた。

そんな時、以前みんなの党の代表もされていた浅尾慶一郎氏に『アジェンダを作って党を立ち上げるから、アジェンダ作りを手伝って欲しい』と声をかけられた。実際に手伝ったら『これを作ったんだから責任を取って選挙に出ろ』と言われた。2010年の選挙は落選したが、そのあと比例復活した」と答えました。

独特すぎる!経営者・教育者としての経歴を持つ山田議員

山田議員の経歴表を見た乙武氏は、「独特過ぎる」と感想を漏らします。山田議員は、「実家がビルの経営をしている。食べるのが趣味だから、日本一美味しい中華料理店を自分で作ってやろうと思った。中華料理店は5〜6年続けたが、ネクステック株式会社の上場時に利益相反になったらいけないということで店を売却した。

他にも背広屋さんやヘッドハンティング会社など色々経営したが、接骨院が一番儲かった。高齢化が進んでいることもあり、接骨院は街の寄り合い場になる。今は数も増えているから競争が激しいと思うが、僕が始めた頃はまだ接骨院の数も少なかった」と話しました。

山田議員は教育者としてのご経歴も目を見張るものがあります。「私はベンチャーの事業も持っていた。東大工学部では14年間講師を務めてきたが、ベンチャー企業を上場させた教え子も結構いる。株式会社Gunosy(グノシー)の福島良典氏もその一人だ」と山田議員は話しました。

乙武氏は、「経営者と教育者、どちらが楽しかったですか?」と尋ねます。山田議員は、「経営者7割、教育者3割ぐらい。経営だけやっていたら煮詰まってしまう。議員活動を始めてからも東大講師は続けていたが、委員会や本会議に参加する中で東大の授業に出られなくなった。東大講師は14年目に辞めてしまったが、もう少し上手くやれたらまだ長く続けられたと思う」と話しました。

なぜ政治家をめざしたのか

乙武氏は、「山田さんほど賢い人であれば、政治家がいかに割りに合わない仕事か想像できると思うのですが」と切り出します。山田議員は、「ビジネスも割りに合わない。私は上場も経験したが、中国進出のタイミングが早過ぎて債務超過になると全財産を失った。仕事をやる上ではどれもリスクがある」と話しました。

続けて乙武氏は、「浅尾慶一郎氏に誘われた時、躊躇しなかったのですか?」と尋ねます。山田議員は、「私はチャンスだと思ったら掴むタイプ。某外資系企業の副社長に就任する際も、ある講演会でモデレーターを務めた時にアメリカのCEOから『お前は面白いから副社長をしてくれ』といきなりオファーされ、その場でサインした。浅尾氏から誘われたのは経営者も辞めていた時だったから、すんなり決断した。でも、やってみたら大変だった」と答えました。

初出馬の2年後に繰り上がり当選した山田議員。当時の状況を伺いました。「初出馬の結果は10位だった。当時、みんなの党はすごく人気で7名が当選した。『さすがに3番目だから繰り上げ当選はないだろう』と思っていたが、上位当選者が衆議院へ鞍替えすることになり、2012年12月にいきなり『明日から参議院議員になるぞ』と言われた。

私は最小得票当選者最多得票落選者という面白い記録を持っている。最初の選挙に対して、その後の選挙で10倍の票を獲得したのも憲政史上ひとりしかいない」と話しました。

乙武氏は、「政治ファンにとって、みんなの党は魅力的な党だった。中から見ていた当時の雰囲気はどんな感じでしたか?」と尋ねます。

山田議員は、「入った時は『すごく良い党に入れた。ラッキーだ』と思っていた。経営者など民間の世界で活躍されていた人も多く、政治っぽくない雰囲気があった。ただ、野党も与党も良いところがあれば悪いところもある。(みんなの党は)マジメだった

そうすると意見が合わなくなった時に『あの野郎、この野郎』と始まってしまう。そのようにして最後は分裂して党がなくなってしまった。〝一度、党で決めたことは守る〟のが大事で、自民党の強さはそこにある。政治家は一国一城の主だから『自分の力で上がってきた』という想いも強い。

野党は長くやるということが想像つかないから、この瞬間を生きている。でも、与党には将来総理や大臣をめざしている人もいるから、従うべきものには従って、『ここは勝負に出るべきではない』という判断ができる。(経営者集団は)『今、勝負しないと来月も来年もない』という考えがあるから、組織として一枚岩になることは難しい」と話しました。

山田太郎氏プロフィール

1967年東京都生まれ。慶応義塾大学経済学部卒、早稲田大学大学院博士課程単位取得退学。外資系コンサルティング会社を経て製造業専門のコンサルティング会社ネクステック社を創業、3年半で東証マザーズに上場。国内・海外企業を買収、中国を含むアジア各国に積極展開。その後日本企業の海外進出支援会社を創業。東京工業大学特任教授、早稲田大学客員准教授、東京大学工学部非常勤講師などを歴任。

2010年、参議院議員通常選挙にみんなの党から立候補するも落選。2012年に繰り上げ当選となる。これまでの経営者・教育者の経験を活かすステーツマン(政治家)として活躍中。

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