大石規湖(映画『fOUL』監督)- ライブにバンドのすべてが詰まったfOULの真髄を伝えるドキュメンタリー映画という名のライブ

映像には「残す」「伝える」力がある

──最初にfOULの映画の話を風の噂で聞いたとき、「え?」って驚いたんです、凄く嬉しかったんだけど、「え? なんで今、fOUL?」って(笑)。

大石:ですよね(笑)。

──なんで今fOULなんでしょう? 何かニュースがあるわけでは……

大石:なんにもないです(笑)。

──なんにもないけどやりたいからやる。素晴らしいです。大石さんはずっとfOULを好きだったんですよね?

大石:はい。もうホントに大好きで。

──fOULは2005年3月から活動を休憩していますが、fOULへの思いはずっと変わらず続いてあって?

大石:はい。自分はなんで映像をやっているのか? って思い返してみたら、音楽の仕事に就きたくて映像の業界を選んだのはあるんですけど、映像の仕事を始めたのがYouTubeが出てきて盛り上がってた頃で、いろんなライブを見直す機会が増えてきた時期っていうのもあって…。

──その頃はすでにfOULを知っていて?

大石:はい。fOULが休憩に入った時期ぐらいが大学卒業の年だったんですよ。私、軽音楽部の卒業のライブでfOULのコピーバンドをやって(笑)。

──凄い!(笑)

大石:私はギターとボーカルで、ベースとドラムは後輩にやってもらって。卒コンの2カ月ぐらい前にfOULが休憩して。もうライブは観られないんだって思っていて。映像の仕事に就いてだんだん年月を重ねていくうちに、「あ、あれって残せるものだったんだ」って。仕事を続ける中でいろいろなバンドの解散ライブや活動休止のライブを撮ることもあって、「残す」っていうことの意味…、意味っていうか、「伝え方」っていうことを考えるようになったんです。もう観られなくなったライブをまた観ることができる、映像にはそういう力があるんだってことを、仕事をしていく中でどんどん感じるようになって。だんだん自分も力をつけてきて、監督として2作の映画を作らせてもらって。1作目の『MOTHER FUCKER』のときに今回のプロデューサーでもあるキングレコード映像制作部の長谷川英行さんと出会ったんです。そういう出会いや経験を経て、やっとここに辿り着いた、そんなタイミングのような気がします。

──映像の仕事への意識が高く強くなって、「残す」ことだったり「伝え方」だったりを考えるようになったときに、fOULへの思いも改めて大きくなっていったという。

大石:それはあると思います。まず私を映画監督にしてくれたのは、『MOTHER FUCKER』の谷ぐち家(Less Than TV主宰・フォークシンガー“FUCKER”の谷ぐち順、その妻でありバンドマンであるYUKARI、一人息子の共鳴)だと思ってるんです。谷ぐち家を撮ることで、映画を撮り続けていきたい、映像という手段で伝えたいことを伝えていきたいって強く思うようになった。そういう意識が出てくるのと同時に、方法論や技術的なことも身についていったと思います。すると、「あのときのfOULはもう観られないのか」ってずっと思っていたけど、「何か方法があるんじゃないか」ってどんどん思うようになっていったんです。あと私、fOULが好きってずっといろんな人に言い続けていたんですよ(笑)。だけどだんだん時が経って「fOUL好きなんですよ」って言っても「え?」って(笑)。そうか、もう知らないんだって。こんなバンドだよって説明するんですけど、説明できないじゃないですか。とても言葉では説明できない。

──だったらもう、映画を作って観てもらおうと。

大石:そうです(笑)。

ほぼライブだけの映画にした理由

──今回の『fOUL』は、谷ぐち家を中心とした『MOTHER FUCKER』とthe原爆オナニーズを撮った『JUST ANOTHER』、前2作と全く違いますよね。3作とも好きなバンドを撮っているんだけど、『MOTHER FUCKER』はバンド、家族、Less Than TVを中心としたシーン、女性の生き方。『JUST ANOTHER』はバンドを続けていくこと、音楽と仕事、地元や地方でのバンドの在り方。両作品ともバンドという一つのものを撮りながら、様々なことを見せてくれた。今作は、もう、fOULだけじゃないですか。

大石:そうですね。

──だから最初、今作は大石さんの原点なんだと思ったんですよ。原点を意識した作品だって。でもそうじゃなく、進化形であり、これからも進化していくその過程なんだなって。前2作と違う作風ってこともチャレンジだし。方法論としてもチャレンジをしている。

大石:作風は確かに違うんですけど、自分の中では繋がってるんです。昔、学生の頃に音楽雑誌でfOULは仕事をしながらバンドをやってるっていうのを読んで、そういうことが『JUST ANOTHER』のテーマに後々繋がってたり。あと家族のことも雑誌で話していて、そういうところが『MOTHER FUCKER』のテーマに繋がってたり。fOULから繋がっていって原点であることには間違いないです。でもやっぱりアウトプットはそれぞれ違っていて。『MOTHER FUCKER』は初期衝動が強かったんです。谷ぐち家のスピード感、生活のトラブルがいっぱいある空気感をすべて編集で落とし込むことって、かなり初期衝動的なことだった。2作目の『JUST ANOTHER』はTAYLOWさんという理屈っぽい人(笑)、頭のいいクレバーな人がいるバンドの考えを、どう表現するかって考えたら言葉が必要だな、言葉で伝わるようにしたほうがいいなって。いわゆるスタンダードなドキュメンタリー映画の作りにしたと自分では思っていて。今回は、前2作があったからこそチャレンジできるところではあったと思うんです。

──ライブを一本の映画にする。チャレンジですね。

大石:長谷川さんの後押しが大きかったです。長谷川さんはキングレコードの方で。fOULもベルウッド(キングレコードのレーベル)からリリースしていて、直接は関わってはなかったそうですけど当時からfOULの大ファンで仲も良かったらしいです、一緒に飲みに行ったり。長谷川さんと『MOTHER FUCKER』で出会えて、『MOTHER FUCKER』公開中の時期に、「fOULの映画、作っちゃいます?」って話になったんです。しかも「売れるような映画にしなくていいです」って言ってくれた。いわゆるドキュメンタリー映画の方法論から逸脱したところでやっていいんだ、思い切りやっていいんだって。長谷川さんが背中を押してくれたんです。

──これまでは撮影する対象とリアルタイムに向き合ったけど、今回は過去のライブの映像と向き合うわけで。その映像は大石さんが撮ったものではないけど、それも含めて大石さんがすべてを担っているわけですよね。ライブを中心とした、というよりほぼライブだけの映画にしようと決めたのは、どういう思いがあったのでしょう?

大石:最初、迷ったところもあったんです。迷いを断ち切る決定的なことだったのは、メンバー個人個人にインタビューして気づいたことがあって。メンバー3人の個人個人の感情、思想、哲学、音楽に対するスタイル、3人の関係性とか、そういうことはすべてライブに出てる、fOULというバンドはすべてライブに出てるなって。会社員の格好でライブをやることが自分のスタイルっていう(谷口)健さんの考え方や、ライブ中に3人がホント楽しそうなのも、まさしく3人の関係性が表れてるからですよね。健さんの哲学や思想も歌詞やライブのMCから感じるし、でも難しく考えることなんかないよって感じの人柄もライブから滲み出てくる。すべてライブから伝わってくるんですよ。

──ライブだけで充分! って思えた。

大石:そうです。実際3人にインタビューしてますますそう思いました。全部ライブで伝わるなって。映画にはインタビューも少し入ってますけどね。

──嘘がないバンドってことなんでしょうね。

大石:そうなんですよ。

今なお聴くたびに新たな発見があるバンド

──ほぼほぼライブで素晴らしいんですが、公式サイトの皆さんのコメントはとても良かったし、先日の配信『fOULとわたしたち―下北沢シェルターより―』で大石さんがバンドマンなどにインタビューしてそれぞれのfOULへの思いを聞くのもとても面白かった。でも映画ではやらなかった。

大石:そうなんですよね。コメントも配信での話も、皆さんとても素晴らしいしずっとfOULの話をしていたかったんですけど(笑)、映画では関係者や友人やメンバー以外の人の話は必要ないなって。「その音楽性と佇まいに言葉が追いつかない」って映画のキャッチにも入ってるんですけど、本当に言語化しにくいバンドだし、ジャンルに分けるのも難しい。あと捉え方によって曲の感じが凄く変わっていくし。受け取る人それぞれで感じ取れる余白をちゃんと作ってるバンドだと思うんです。fOULにそういう姿勢を感じる。だから私も観た人が各々で感じられるものを作りたくて。言葉や説明は必要ないなって。

──バンドにとっても監督にとっても、理想というか夢のようなことだなぁ。ライブだけで充分! って思えるバンドに出会えたのも幸せなことだと思うし、バンドにとってもとても幸せなことだと思うし。

大石:そういう意味で言えば……、先輩の川口潤監督が山口冨士夫さんを撮った『皆殺しのバラード』を観たことも、踏み切れたきっかけだと思います。私は山口冨士夫さんのことを全然知らなくて、川口さん映画だし観たい! って観に行ったら、もうほとんどがライブで。ライブ映像に残された冨士夫さんのギラギラした目の輝きとかライブでのMCとかMCを入れるタイミングとか。ライブだけで冨士夫さんのことが凄く伝わってきて。

──私も観ました。冨士夫さんは原発事故と放射能のことをMCで言ったライブがあって。一人のお客さんが「真面目なこと言っちゃって~」って感じのことを言ったんですよね。そしたら冨士夫さん、一瞬本気で怒った。あの瞬間で冨士夫さんの思いが伝わってきた。

大石:そうなんです。ライブだけで伝わってくるんですよ。記録して人に伝えるっていうのは映像が持つ一つの原点で大きな役割だと思うんです。『皆殺しのバラード』はそれを果たしてる映画だと思った。自分の中であの映画を観て、前に踏み切れたっていうのはあると思います。

──人との出会い、映画との出会い、音楽との出会い。刺激を受けて吸収して消化して。改めて、fOULを最初に知ったのって…?

大石:初めて買ったのがLess Than TVから出たbloodthirsty butchers × fOULのスプリットで、凄い衝撃を受けて。ジャケもカッコイイ、中ジャケもカッコイイ。音も海外で録音したかのようにカラカラに渇いてるっていう。今思えば谷さん(谷ぐち順/Less Than TV 主宰)らしいミックスで。ブッチャーズもfOULも凄い衝撃で。私は大学が山梨だったんですけど、お金もないのに東京までライブに行くようになって。fOULを最初に観たのは54-71がゲストの後期の頃の『砂上の楼閣』で。シェルターという空間で何が起こるか分からない、凄いドキドキして、想像以上の凄さでした。シェルターの狭い空間での音圧、爆音。しかも凄くいい音なんですよね。そこでfOULを体験した。54-71も凄かったし。ぶっ飛ぶってこういうことかって。心臓がキューッとして意識がどっかいきそうになるっていう、あの感覚はずっと覚えてます。

──公式サイトのコメントは共感したりなるほど~って思ったりするんですけど、herAxさんのコメントの一節の「不思議なくらい懐かしさがない。(中略)一昨日やったライブを観てるみたいだった」っていうのがホントそう! って思った。大石さんも懐かしさって感覚はないですよね。

大石:ないです、全然。ずっと聴いてるんで。ずっとiPodかiPhoneに入れて聴いてるんですけど、何も古くならないし聴くたびに新しい発見がある。今回、映画編集で過去のライブ映像を数多く観て思ったのは、ライブごとにまったく違うんですよね。健さんの弦が切れて(平松)学さんがつま弾き始めて大地(大介)さんが叩き出す。予測できないことが毎回起こって。楽曲も聴くたびに発見がある。なんでこういうアンサンブルで、こういうアレンジで曲が完成していくんだろう? その理解できない感じとか。歌詞も、健さんの哲学的な姿勢…、哲学的だけど生活に根差してる感じとか。哲学的なものを自然と壁なく自分の生活や話の中に入れられる、しかもイヤミなく。

ライブのような音響と空間でfOULを体験できる

──うんうん。逆から言えば、ドストエフスキーやフッサールといった昔の哲学者たちも、私たちと同じように実は生活に根差したことを考えてたんじゃないかって。時代を飛び越えてる感じで痛快。

大石:それを体現できる健さんって凄いですよね。その世界観を3人が共有して作ってる感じも凄い。実はfOULの曲って映像的だと思うんです。曲を元に一つの映像が作れる曲、一本の映画が撮れるような世界観がありますよね。

──大石さんにfOULのMV作ってほしいな~。いつかfOULの休憩が終わったらもちろんライブも撮ってほしいし。こうして話してても、思い出話というより今として語れるのが不思議ですよね。不思議なバンド。

大石:そうですよね。曲も歌詞も、時を経れば経るほど気づくことがあったり染み入っていくようだったり。「あ、この曲、今のこのタイミングなら分かる!」みたいな。だから、青春のあの頃を聴き直すって感覚には全くならないんですよね。先日の配信でいろんな方にインタビューさせていただいて、やっぱり皆さん、懐かしい感じはしないって言ってました。NRQの吉田(悠樹)さんが「fOULの曲は消化できないし、今でも理解できないからこそずっと新しい状態で聴ける」みたいなことをおっしゃっていて。私もそういう感じで。ずっと現在進行形なんですよね。fOUL本人たちにとっても現在進行形なんだなって、3人それぞれにインタビューして感じましたし。私はインタビューで、やっぱり昔の話を聞くって感じで質問していたんですけど、自然に、ネタバレになるとアレなんですけど、大地さんが「やりたいねぇ」って言って。自然にぽろっと出てくる感じなんですよ。学さんもfOULを日常的に聴いたりするって言ってたし。3人ともfOULは続いてるんだなって。

──解散じゃなく休憩ですもんね。

大石:ですよね。それで…、ドキュメンタリー的な性質として、カメラを人に向けると何が起こるか分からないっていうことがあると思うんですけど、最初、3人別々にインタビューしていて、大地さんが「3人が一緒のところは撮らないの?」って。私がびっくりしちゃって。「え? いいんですか!?」って。この映画は再活動を目論んだものではないし、なにか含みのあるものにはしたくないって長谷川さんと話して進めていたので、3人を会わせようとは思わなかったんですよ。それがサラッと大地さんが「3人のところ撮らないの?」って。もしかしたらカメラを向けなければこういうことにはならなかったかもしれない。「撮る行為」があったから、そこから動き出すこともあるって、私は思っているので。

──まさにドキュメンタリー。

大石:大地さんに助けられたっていうのは凄いあります。それによって、私にとっても予想し得なかったことが起きた。人生の面白さ、みたいなものも感じて。

──うんうん。ところでそもそも最初fOULの3人には、映画を作るってことをどんなふうに伝えたんですか?

大石:『MOTHER FUCKER』を公開している頃に長谷川さんと「fOUL、作っちゃいます?」ってなって、水面下で映像を集めていて、『JUST ANOTHER』が終わって本格的に編集作業に入って。3人に話をしたのは、『MOTHER FUCKER』が終わってからかな。で、その後、BEYONDSのライブで健さんと大地さんに「来年には公開するようにしたいんでお願いします」って挨拶したら、「え? DVDじゃないの?」って(笑)。

──まさか映画とは! って(笑)。そもそもDVDって発想はなく?

大石:DVDって選択は全くなかったです。同じ空間で観るっていうことが大事なので。ライブと同じような空間で、ライブのような音響でライブを体験できる、fOULを体験できる、それが大事ですから。ライブと近い体験ができるのってDVDとかではなく映画館ですよね。

──まったくそうです。音も迫力あって素晴らしい。

大石:二宮さん(二宮友和/PANICSMILE, ex-eastern youth)とPAの今井朋美さんのミックスが素晴らしくて。ホントにライブを体感しているようにしてくれて。自分がシェルターにいるような、ここはシェルターだ! って感じました。ミックスは誰がいいですか? ってfOULの3人に聞いたら、「ジョー・チカレリかニノさん」って。fOULだからこそ大切な人たちが揃った感があるんです。

曲をちゃんと聴かせることを徹底して意識した

──いいですね~。肝心の中身ですが、本当に一本のライブのようだけど、でもfOULの軌跡みたいな起伏も感じられる。選曲も流れも素晴らしい。

大石:自分の中で『砂上の楼閣』の再現をしたいなって。当時の素材にはライブがまるまる一本分残ってる映像はなかったし、あっても引きカメだけだったり。だからたくさんの映像素材を見て、そのたくさんのライブのセットリストを書き出して。この曲は多めにやってるな、この曲は後半にやってるなって、実際の『砂上の楼閣』の流れを意識しました。ただ1曲目に関してはfOULを観る上で大事な1曲目なので、私の意思はあります。映画としても1曲目はコレだなって。

──凄くいいです! こう、コラージュ的な映像を入れてないのも凄くいい。純度が高いっていう。でも編集は大変だったでしょうね。

大石:映像としては使えるけど音がバキバキに割れて使えなかったり。逆に音は使えるけど映像は使えなかったり。使えるもの同士をパズルしていったんです。音と映像のパズルが合わなければどうにもならないんですけど、奇跡的なものもあって。まさに発掘作業でした(笑)。

──映像も音も、ライブなんだから粗くていいって選択はなく?

大石:なかったです。曲をちゃんと聴かせたかったんです。あとライブをちゃんと見せたかった。このライブのこの曲でしかできないテンションがあるっていうのがfOULのライブだと思うので、それをぶつ切りにしたり手を加えたりすることは絶対にしたくなかった。だからライブの映像の中からどうにか一曲通して使えるものを探して。曲をちゃんと聴かせるってことを、映像の編集として徹底して意識しました。

──fOULを好きな人にはたまらないし、知らない人でも…、公式サイトのISHIYAさん(FORWARD, DEATH SIDE)のコメントに「fOULが好きな人間には、たまらない作品であるが、fOULを知らない人間にとって、この作品は賭けである。そしてその賭けには、勝ち負けは存在しない」って一節があって、最高ですね(笑)。

大石:最高ですよね(笑)。

──ライブハウスがそういう場所だし、『砂上の楼閣』だってそうかもしれない。ライブハウスに行くと目当てのバンドは最高だけど対バン何あれ? ってことはあるし。でもその対バンを後々好きになることだってある。

大石:そうですよね。何が起きるか分からないのがライブハウスの面白さで。

──この映画もfOULを知らないで観て、なんだか分からなくてもいつかfOULを好きになることがあるかもしれない。

大石:ホントそうですよね。実際、fOULって聴いてすぐに好きになるというより、何かずっと引っかかってる感じというか。そうやって好きになっていく人が多い気がする。

──そうかも。棘が刺さったままずっと抜けないっていう。『fOUL』を観てやっと棘が抜けたー! とか(笑)。

大石:引っかかってたのはコレかー! とか(笑)。

映画作りのきっかけをくれた吉村さんには絶対観てほしい

──観終わったら何か語りたくなりますね。

大石:絶対に語りたくなると思います。fOULのことを語ったり、あのときのライブにいたの? 俺も私もって(笑)。あと未来に向けても…、音楽はいろいろ溢れていて、新しいものもどんどん出てきてますけど、3ピースのバンドでこれだけのことができるってことを、今バンドやってる人たちに観てほしいです。面白い発見があると思う。音楽としての、バンドとしての醍醐味を感じられると思います。

──大石さんにとってライブハウスは最も大事にしている場所ですよね。今はまだライブハウスは以前と全く同じってわけにはいかない。そういう現状も含めて、『fOUL』はライブハウスに対する大石さんの熱い思いを感じます。

大石:私にとって…、ライブには人生が全部詰まっていて、受け取る側も自分の人生を重ねるじゃないですか。そういう時間って凄く大事だと思う。今回、映画を観に来てくれる人たちも、それぞれの想いがあって観に行くと思うので、その時間を大事にしてもらいたいです。知らないけどちょっと行ってみようって感覚で来てもらっていいんです。なんだコレ? ってびっくりしてもらっていいし、ISHIYAさんのコメントみたいに拷問って思う人がいるかもしれないけど(笑)、そういう人も観てほしいんです。何が起こるか分からないっていうのがライブハウスだし、そういうライブが凄く心に残ったりするし。今はまだコロナでそういう体験がなかなかできないし。

──だからこそ、そういう楽しさを伝えたいし守りたいし続けたいですよね。

大石:そうですね。

──大石さんは最初に好きになったものをずっと好きでい続けて、そしてまだまだ発見があるし、それって素晴らしいな。なかなかできない。

大石:ちょっと気持ち悪いぐらい好きなんです(笑)。

──私もfOUL大好きなんですよ。でもずっと聴き続けてるわけでもないし、部屋のどこにあるのか分からないCDもある。改めて最後に聞きますが、ずっと聴き続ける、ずっと好きでい続ける、その理由ってなんでしょう?

大石:3人それぞれが活動していてくれてるっていうのもあると思います。健さんも大地さんも学さんも、今もそれぞれで音楽を続けている。自分の昔の日記を見たら、健さんがfOULを休憩してしばらくして、ブッチャーズの吉村(秀樹)さんとソロのライブに出演していたことがあって、当時観に行ったんですが。吉村さんが、健さんに向けて唄ったと思えるような曲があって。当時の私には「音楽続けていけよ」って言ってるように捉えられたんです。

──うわぁ。ジンとくる。

大石:3人がどこかしらで活動していて、ずっと音楽をやり続けているっていうのを見ているので、fOULへの思いはずっと繋ぎ止められて…繋ぎ止められてっていうか、ずっとあるんですよね。

──自分自身の感性を信じ続けられるのも、表現者の強さだと思います。そのへんがfOULと共鳴したんだろうな。

大石:私、映画を作るきっかけが、吉村さんが直電してきて、「オマエ、『kocorono』(川口潤監督)手伝え」って。それでお手伝いさせてもらったんです。そういう濃い体験をさせてもらって。濃い体験や多くの人たちとの出会いに、私は育てられてきたんだなって思います。だから、吉村さんにはこの『fOUL』を観てほしいんです、絶対に。

__【大石規湖 プロフィール】
フリーランスの映像作家として、SPACE SHOWER TVやVICE japan、MTVなどの音楽番組に携わる。怒髪天、トクマルシューゴ、 DEERHOOF、DEATHROなど数多くのアーティストのライブDVDやミュージックビデオを制作。2010年、bloodthirsty butchersのドキュメンタリー映画『kocorono』(川口潤監督)で監督補佐を担当。2017年、音楽レーベルLess Than TVを追った映画『MOTHER FUCKER』で映画監督デビュー、the原爆オナニーズの今の姿を描いた『JUST ANOTHER』(2020年)に続き、本作『fOUL』が3作目となる。__

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