昨年夏に新潟県上越市高田地区に古い町家を購入した、上越観光案内協会会長の永見完治さん

上杉謙信をモチーフにしたTシャツを着る永見完治さん

新潟県上越市の春日山や高田城址公園を案内するボランティアガイドの組織、上越観光案内協会会長(新潟県上越市)の永見完治さんは、昨年夏に新潟県上越市高田地区に古い町家を購入した。現在は事務所として活用しているが、1階の広い部屋に大画面の薄型テレビを設置したり、天井にスピーカーを取り付けたりするなど、ミニ講演会や勉強会用にこの部屋をレンタルするという構想もある。

永見さんは市内のカルチャースクールの歴史を教える講師もしており、受講生たちを対象に永見さんの町家のある地域の神社や寺院をめぐる体験型授業を行っている。「江戸時代の高田城の殿様は頭が良かったと思う。私の町家周辺は、江戸時代は町人町だったが、米屋、醤油屋、桶屋とエリア別に配置されていた。私の町家は元タンス店だったが、これは木材店が集まる地域だったためだ」(永見さん)

江戸時代の儒学者、倉石典太が永見さんの町家がある東本町に住んでいた。倉石は江戸で学んだ後、現在の上越市高田地区に帰省し、私塾・文武済美堂を開いた。現在の上越市出身で、日本郵便制度の父と言われる前島密もこの私塾で学んだとされている。永見さんは「私がこの町家を買うことになり、知識人の倉石が地域にいたこともある意味で運命的だ。私の町家に人が賑わうような、東本町のまちおこしをしたいと思っている」と意気込む。

近く、文化庁から担当者が来て、永見さんが購入した町家の価値を評価し、文化財として認定される可能性もあるという。

永見さんが所有する町家

新潟市が県の中心になってから100年だが上越市は1,000年

一方、上越市の春日山を居城にした越後の戦国武将、上杉謙信の遺徳を称える祭り「謙信公祭」は今年、96回目を迎えた。4年後には大きな節目となる100回目を迎えることになる。これまで、2007年放送のNHK大河ドラマ「風林火山」で上杉謙信を演じた歌手で俳優のガクトさんが計7回に渡って馬上に乗り、多い時は2日間で20万人規模の入り込みがあった。

そのほか、歴代の上越市長や、上越商工会議所会頭のほか、近年では一般公募に変更となり、コロナ禍で縮小した昨年と今年を除いて、その前の年の2年間で上越市民の一般男性と女性1人ずつが上杉謙信役となった。しかし、永見さんは「100回目は特別。その時は誰がやっているか分からないが、新潟県知事がよいのではないかと思っている。また、一部では、上杉おもてなし武将隊の謙信役を推す声も出ている」と話す。

永見さんは現在の長岡市生まれで、県立長岡高校を卒業後上京し、国学院大学へ進学。大学の後輩には、のちに角川書店社長となる角川春樹氏がいた。学生時代から親交を深め、角川氏が製作した川中島の合戦を描いた映画「天と地」では、カナダでのロケに招待されたという。「ロケ地では主役の渡辺謙がついたての向こうにいたが、その後に白血病になり、代役に変わってしまった」と永見さんは思い出を語る。

さらに、国土交通省選定のにいがた観光カリスマでもある永見さんは、上越市の観光政策についてこう提言する。「市役所は3年で異動するので、専門職が育たない。観光については、専門職種を置くべきだ」と主張する。また、こうも言う。「新潟県は新潟市が中心になってから100年だが、上越市は越後の中心だった時代は1,000年ある。特に260年間の江戸時代は高田が中心だった。そのことを市民が知らないといけない。私は『温故知新』と言っている。まず、古きを知らないと新しさが生まれない」と説く。

最後に「自分の足で歩き、見て確認すること。とくかくこれに尽きると思う」と話した。上杉謙信に関する著書「謙信公賛歌」もある永見さんは、「現場に行き、取材する」というまさにジャーナリストの基本に徹しているが、年を重ねても精力的な活動をする永見さんには頭が下がるばかりだ。

春日山にある上杉謙信の銅像(新潟県上越市)

越後上杉おもてなし武将隊の上杉謙信

上杉謙信を祀った春日山神社(新潟県上越市)

(文・梅川康輝)

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