ビッグスマイルの裏に隠されたリカルドの苦悩。自分のレースクラフトを問い続けた数年間

 言葉に尽くし切れない思いを大切に包むように、トリコローレの紙吹雪がキラキラと輝いた。

 2018年モナコGP以来の勝利。マクラーレンにとっては2012年ブラジルGP以来9年続いた未勝利の記録に終止符を打つものだった。しかしダニエル・リカルドにとって意義があるのは、過ぎ去った時間の記録より、その時間をどう過ごしたか、どんな答えを見出したか、という事実だった。

「答えを見出すのに苦労し、フラストレーションを抱え、落ち込むこともあった。思いどおりにならないことはこれまでも毎年、経験してきたけど、今年はこれまでに以上に長く続いた。大切なのは事実を直視し、自分に対して正直であり続けることだったと思う。そんな苦労があってこそ、今日のような日をいっそう素晴らしく感じることができる」

「でも同時に、そんな苦労によって、自分のなかにある質問にも答えを見出すことができると思うんだ。どれだけ欲しているか、どれだけの意味があるのか──スポーツに対する愛情が覚めたように感じた後、はっきりと自覚する。自分がどれほどレースを愛し、どれほど望んでいるのか、という事実を。それがこの週末、僕にとっていちばん大きな出来事だった」

2021年F1第14戦イタリアGP マクラーレンのクルーと勝利を喜ぶダニエル・リカルド

 マクラーレンのマシンはモンツァに合っている。金曜日に走り始めて、その予想は確信に変わった。だからこそ、1000分の29秒差で3位に届かなかった予選の後には激しい怒りを抱え、結果、自分のなかに未知の何かが生まれるのを感じたと言う。

「近くにいた人たちは僕が“憑かれた”ようになっている様子を目にしたと思う。この週末には“何か”をつかめると感じていた。もうこれ以上、時間を費やすわけにはいかない、とも」

 怒りの炎にも似たその感情が5番手スタートから3番手に上がったスプリント予選のスタート、2番手グリッドからトップに躍り出たレースのスタートを生んだ。ストレート速度の高いマクラーレンでは、ミスをしないかぎりコース上で抜かれる不安はなかった。

 鍵となるのはピット作戦。マックス・フェルスタッペン(レッドブル・ホンダ)のアンダーカットを警戒しつつ、ハードタイヤで後方から追い上げてくるバルテリ・ボッタス(メルセデス)の前でコースに戻る、ピットインのタイミングを見出すことだった。その“スペース”を創り出すうえで、リカルドのペースは完璧だった。

 エンジニアとのシンプルな交信は、リカルドのレースクラフトに基づいている。さまざまな要素を消化した上で、最終的に、自分が磨いてきたのは“レースを読み取る力”だと彼は言う。だからエンジニアからの必要最小限の情報に「コピー」とだけ応える。

 思いのほか苦労したマクラーレンでのシーズン前半だった。理由は、マシン特性にドライビングスタイルを合わせる必要があったこと。2014年以来ルノーのパワーユニットで経験を積んできたリカルドにとって、初めてのメルセデスパワーユニットやBBW(ブレーキ・バイ・ワイヤ)も違和感を生むものであっただろう。しかし夏休み以降のリカルドを見て感じるのは、彼自身が見出した答えが、もっと広範な“戦い方”にあったこと──アグレッシブに攻めることでフィーリングは向上し、マシンはドライバーについてくる。

2021年F1第14戦イタリアGP チェッカーを受けるダニエル・リカルド(マクラーレン)

■「思い切ってリスクを冒したときほど、うまくいっていたじゃないか」

 2012年、スクーデリア・トロロッソで初めてのフルシーズンを戦ったリカルドは第4戦バーレーンGPの予選で6番手のタイムを記録。しかし強豪チームに囲まれたスタートで出遅れ、一気に16位まで転落し、挽回することも叶わなかった。失意のなかで1週間考え込んだ後も“バーレーンの失敗”は重くのしかかった。トンネルの出口を示したのは、夏休みだったと言った。

「決して気持ちの良い学び方ではなかったけれど、あの経験は僕に多くを教えてくれた。本当に考えることができたのは夏休みに入り、サーキットから離れたときだった。自分は“必要なだけ”“充分な”リスクを冒していなかったと気づいた。思い切ってリスクを冒したときほど、うまくいっていたじゃないか、と」

 2012年のスパ・フランコルシャンで、リカルドは今年と同じ言葉を口にした。「リフレッシュできた。マシンのフィールが楽しい」──。

2012年F1バーレーンGP ニコ・ヒュルケンベルグと争うダニエル・リカルド

 レッドブルに昇格して初優勝を飾り、セバスチャン・ベッテルを上回った後、何に関してもアグレッシブなフェルスタッペンをチームメイトに迎えると、洗練されたドライビング、オーバーテイクの技に支えられたクリーンなレースが武器となった。しかし挑戦を決意しルノーに移籍してからは、チームを率いて軌道に載せることが大切で、自らの野生を解放する機会が減少した。

 マクラーレンに来てランド・ノリスの自由奔放な走りを目にしたとき、リカルドはきっと、これまで自分が歩んできた道に疑問を抱いたことだろう。2012年とはレベルが違う。だからこそ、答えを見出すにはなおさらパドックから離れることが必要だった。外からの“入力”に対して驚くほど敏感なドライバーは、笑顔のまま、消化しきれない多くの課題を抱え込んでいた。

 コロナ禍に見舞われて以来、ゼロ・コロナ政策を取る母国(オーストラリア)はいっそう遠くなってしまった。「パースで育っただけで僕は恵まれている」とまで言ったドライバーにとって、友達や家族も行き来が遮断された日々は過酷だ。カートを始めたとき「楽しむことだけを優先するんだよ」とアドバイスをくれた父、息子の成長を見守りながら怪我だけを心配していた母は、ともに南イタリアの出身。

「シャルル・ルクレールが2番手にいたときには、フェラーリの1台が表彰台でゴールすると思っていた。それは叶わなかったけど、少なくとも、今日は表彰台にイタリア系の、僕の名前があることを楽しんでほしい」

 ティフォシにイタリア語で感謝を伝え、チームとともに1-2位ゴールを祝った後、少し迷った末、テレビ電話で真夜中のオーストラリアに連絡した。優しい家族は夜明け前の祝杯を挙げていたから、新鮮なままの喜びを共有することができた。

 笑顔に隠されていても、ただ幸福だったパース時代への郷愁はいつもそこにある。幼いころ、一緒にビデオを見ながら父が熱心に語ってくれたアイルトン・セナはもうひとつの郷愁──自分のトロフィーがマクラーレンのファクトリーで同じキャビネットに収まることが、この勝利を“非現実的”にするディテールだと言った。サンパウロの質素なパドックや空気に感激していたリカルドを思い出すと、嘘じゃない。

 勝ってなお、素直な憧れを隠さない。そんなドライバーは、F1をとても素敵なスポーツにしてくれる。

※この記事は本誌『オートスポーツ』No.1561(2021年10月1日発売号)からの転載です。

2021年F1第14戦イタリアGP 表彰台でビッグスマイルを見せるダニエル・リカルド(マクラーレン)
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