不死鳥・山本リンダは令和もとまらない! コロナ禍の充電期間経て再び羽ばたく!

目を輝かせて今後を語った山本リンダ

【直撃!エモPeople】デビュー55周年を迎えた山本リンダ(70)はこれまで“第3次ブーム”まで巻き起こし、祖父母から幼稚園児世代まで4世代にわたって知られる希有な存在だ。そのリンダが半生を振り返る本紙独占インタビュー。コロナ禍でどんよりする人々へ元気を届ける。(後編)

1972年の「どうにもとまらない」発売に向け、イメージチェンジを図ろうとしたリンダだったが、作曲家・都倉俊一氏のレッスンは厳しさを極めた。「もっと声をぶつけるように歌え!」「腹から声は出ないのか!」「笑うな! にらみつけるように歌え!」

完成披露イベントでも「満席の報道陣にうれしくなった私は間奏で笑顔になったんです。すると都倉先生は『笑うなと言っただろ!』と激怒されて、私も平謝り。それほど徹底して“強い女”を演出していただきました」。

赤いシャツを結んでヘソを出し、パンタロンには深いスリットを入れた“攻め”の衣装。何かが憑依したような歌い方は強烈なインパクトを放ち、見事“大人のリンダ”へと変身を遂げた。

「サイン会を開くと、ビルの7階の店から地上までファンの方が並んでくださった。レコード1枚売る大変さが身に染みていた私はうれしくて涙を落としながらサインしたのを覚えてます。あの時の感謝の思いが原動力です」

「どうにもとまらない」「狙いうち」などでのセクシーな衣装に激しい歌とダンスは「アクション歌謡」の先駆けとなり、その後のピンク・レディーなどが影響を受けた。

「狙いうち」は周知の通り、高校、大学、プロと野球の応援曲として定番。最初は明治大学応援団がチャンス時のテーマ曲として導入したとされる。リンダは「私もイントロを聴くだけで体中からエネルギーが湧いてきます。元気の秘訣」と語る。

第2次ブームの後はミュージカル、レビューなどの舞台、シャンソンにも力を入れた。

「舞台では、忙しい時にはできなかったしっかりした稽古、みんなで作り上げる楽しさを知りました。ヒット曲は出なくてつらかったけど、苦しい時こそ自分が楽しめることを見つけるのが大事」

90年に入ると、第3次ブームが意図せず湧き起こった。ある時、友人から「幼稚園児の娘にサインが欲しい」と言われ、不思議に思っていると、その要因が国民的人気漫画・アニメ「ちびまる子ちゃん」だと判明した。

作者のさくらももこさんは作中に70~80年代のスターと熱狂する子供たちを描き、山口百恵さん、西城秀樹さんらに加え、リンダを数多く登場させた。95年にはアニメにリンダ本人が登場。平成の子供たちにも歌と踊りが認知された。

同じころ、米米CLUBがカバーし、クラブシーンでもリンダの歌がアレンジされ、盛り上がりを見せた。「深夜というか、早朝4時半が出番のクラブイベントにもゲスト出演し、若い人たちと大盛り上がりできました」

若者の間で“歌姫ディーバ”となったリンダは17年ぶり、5回目のNHK紅白歌合戦出場を果たす。ステージを開けば、祖父母から未就学児まで4世代の観客が集まった。

近年「どうにもとまらない」をロックバンド「9mm Parabellum Bullet」、韓流男性アイドル「BIGBANG」のD―LITEがカバー。リンダがライブで共演するなど、再び若い世代がリンダの歌のパワーを取り入れている。それだけに“本家”として現役を続けるという強い意志がある。

「振り(ダンス)もそのままやり続けたい。シャンソンの第一人者・石井好子先生は86歳まで現役で歌ってらした。私もあと15年を目標にします。それが励みにもなりますから」と目を輝かせた。

コロナ禍では活動の場も少なくなり、世の中はまだどんよりしているが、そんな時こそ、歌の大切さを力説した。

「歌は口ずさむだけでも元気になります。以前、自宅に空き巣が入った時も、荒らされた室内を片付けながら、当時練習中だったフランス国歌『ラ・マルセイエーズ』を歌ったら本当に勇気が湧いたんです。みなさんもコロナ禍でも好きな音楽を歌って聴いて元気になってもらいたい。最高の薬になりますよ」

来年発売予定の新曲には、今月から「OCN」のCMに使われている「こまっちゃうナ」のニューバージョンも収録予定。第4次ブームの兆しもある。

コロナ禍の充電期間を経て“不死鳥リンダ”がまた走りだしそうだ。

☆山本リンダが理事を務める一般社団法人「日本歌手協会」(田辺靖雄会長)は29、30の両日、毎年恒例の「歌謡祭」(計5回公演)を東京「中野サンプラザホール」で開催する。コロナ禍で同協会は「歌で元気を取り戻そう!プロジェクト」と題し「歌の学校」を開催。リンダも講師を務めたレッスンのDVDも発売中。

☆やまもと・りんだ 1951年3月4日生まれ。福岡県北九州市出身。63年、ファッション誌「装苑」でモデルデビュー。65年、NHKの音楽番組「夢のセレナード」のカバーガールに抜てき。66年、デビュー曲「こまっちゃうナ」が100万枚を超えるヒットとなり“第1次ブーム”。68年「てなもんや三度笠」(ABC)レギュラー出演。71年「仮面ライダー」レギュラー出演。72年「どうにもとまらない」、73年「狙いうち」などがヒットし“第2次ブーム”。82年、初レビューショー。89年、シャンソンの祭典「パリ祭」出演。91年、若者を中心に“第3次ブーム”が湧き起こる。2001年、7歳年上の大学教授と結婚。

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