“10月2日”を過ぎても戦いは終わらない オリックスは7年前の悔しさを晴らせるか?

オリックス・安達了一、T-岡田、後藤駿太(左から)【写真:荒川祐史】

目を見張るT-岡田の充実、起死回生の逆転3ラン、試合の流れ引き寄せる適時二塁打…

■オリックス6ー0 ソフトバンク(2日・京セラドーム)

1996年以来25年ぶりのリーグ優勝へ向け首位に立つオリックスは2日、本拠地・京セラドームでのソフトバンク戦に6-0で快勝。2位・ロッテとの差を1.5ゲームに広げた。まだまだ予断を許さない大接戦が続くが、オリックスの原動力となっているのは、ちょうど7年前、2014年に“10・2の悲劇”を体験した選手たちだ。

オリックスは初回、ソフトバンク先発のスチュワートを攻め、モヤの右前適時打で先制。続く紅林も右犠飛を打ち上げた。さらに2死一、三塁から、T-岡田が内角高めの速球を一閃し、打球は右翼フェンスを直撃。三塁走者に続き、一塁走者も右翼手・柳町のファンブルに乗じて生還した。この回一挙4点を奪い、試合の流れをつかんだのだった。

ここに来て、T-岡田の充実ぶりは目を見張るものがある。9月30日、当時首位で優勝マジック点灯を目前にしていたロッテとの対戦(ZOZOマリン)では、2点ビハインドの9回2死一、三塁で、相手の守護神・益田から右翼席へ起死回生の逆転15号3ラン。チームに勝利をもたらし、一気にペナントレースの流れも引き寄せた。

「T-岡田をはじめ、7年前の悔しさを知る選手たちの力がモノを言う気がします」。そう語るのは、現役時代にヤクルト、日本ハム、阪神、横浜(現DeNA)で計21年間捕手として活躍した野球評論家・野口寿浩氏である。

オリックス・平野佳寿(左)と比嘉幹貴【写真:荒川祐史】

2014年10月2日・ソフトバンク戦は延長10回にサヨナラ負けでV逸

1996年を最後に優勝していないオリックスだが、実はその間、限りなく近づいた年があった。2014年、森脇浩司監督(現ロッテ野手総合兼内野守備コーチ)の下で、ソフトバンクと壮絶なデッドヒートを展開。2位・オリックスは首位のソフトバンクにわずか勝率1厘差と肉薄し、10月2日の直接対決(ヤフオクドーム=現PayPayドーム)を迎えた。この1戦がシーズン最終戦のソフトバンクは、勝てば優勝決定。逆にオリックスが勝てば、残り2試合で優勝マジック1が点灯する瀬戸際だった。

この大一番に、T-岡田は「6番・一塁」でスタメン出場し4打数無安打。安達は「2番・遊撃」で5打数2安打。後藤は途中から中堅守備に就いた。平野佳は当時も守護神で、1-1の同点で迎えた9回1イニングを無安打1奪三振無失点に抑えている。そして延長10回、マエストリが作った1死満塁の大ピンチでマウンドへ送られた比嘉は、松田に左中間を破るサヨナラ打を浴びた。試合終了直後、勝ったソフトバンクも、負けたオリックスも、号泣する選手が続出。T-岡田はベンチに戻るとタオルで顔を覆い、しばらく動かなかった。

いまやオリックスは、2015年ドラフト1位の吉田正、16年4位の山本らが主力のチームだが、少数派となった“14年10月2日の悲劇”を知る選手たちにも、7年前のリベンジへ向けた特別な思いがある。

プロ野球選手にもたいていは、忘れられない悔しい記憶があるものだ。野口氏の場合は、開幕直後のトレードでヤクルトから日本ハムへ移籍し、正捕手の座に就いた1998年。日本ハムは7月終了時点で、2位の近鉄に7.5ゲーム差をつけ独走していたが、終盤にまさかの大失速を演じ、西武に抜かれて2位に甘んじた。「私には残念ながら、あの時の悔しさを晴らす機会が訪れなかった。T-岡田たちは、チャンスが目の前にある。同じ悔しさを繰り返したくないという気持ちは非常に強いと思います」と見る。

今季のペナントレースは、東京五輪開催に伴う中断期間を挟んだ影響で、あの10月2日を過ぎても、まだ決着がつかない。悔しさを晴らすための戦いは、これからが正念場なのである。(宮脇広久 / Hirohisa Miyawaki)

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