【寄稿】食われる餌の側から(WEB版)/大﨑一万発 パチンコ共和国の住人より

遊技客代表を気取って長いこと発信を続けてきました。オレは客だ、客の考えは誰よりわかっている。オレが楽しい店を作れ、納得できる業界にしろ。そうすれば結果としてお客さんは増える、業界も潤う……ずっとこう言ってきたし、その主張がピンボケと考えたこともありませんでした。

しかしこのところ、もう疲れたと言うか「そういうのどうでも良くね?」みたいな、一種諦めに近い感情が大きくなっています。ガーガー言ったところで、それはパチンコが本当に好きなお客さんのためになるのか。ひいては業界の隆盛に繋がるのか。よくわからなくなってきたのです。業界のためになどと偉そうなことを言ってはいるけれど、何だかんだ結局、勝たせろってポジショントークを繰り返していたに過ぎないのではないか……そんな、自分の足下が揺らいでしまったような感覚です。

そうなったのは、年齢と経験を経て自身のパチンコ観が変わってきたことに起因しています。今の僕は、「勝つこと」を完全に諦めています。いやもちろんいつも勝ちたいと思って打ちには行きますが、その実、勝てるわけがないと割り切って、でもその上で存分にパチンコを楽しんでいます。言うまでもありませんが、遊技客とは構造的に「負けなければならない」宿命。それをひっくり返すには並大抵ではない努力が必要で、たかが娯楽に過ぎないパチンコ・パチスロをそうまでして打つのはバカバカしい……と言ったら言い過ぎですね、自分にはちょっと無理だとの達観です。

この俯瞰目線のパチンコ観は、「勝ちたい!」と打っている多くの遊技客の動機やメンタルとはかけ離れたものでしょう。しかし、勝てないものだと開き直らなければパチンコは、結局ストレスが勝るエンタメであり、長くは続けられないというのが僕の考え(というか経験から導かれた現実)です。勝ちを諦めた途端、ホールや台に対する大抵の不満は掻き消えます。要するに、出ようが出まいがボッタクリだろうが、あるいはデカ枠よりゲーム性を充実させろとかハイエナを追い出せとか抱き合わせをやめて客に還元しろとか、昨今議論になりがちな業界諸問題が「どうでもいい」になる。だからここぞとばかりに乗っかってギャーギャー騒ぐ客の振る舞いに共感もできなくなっているんですね。
逆に一般客からすれば、あいつの考えはズレている、現実離れしている、となるでしょう。実際その通りですから異論を挟むつもりはありませんが、僕は業界に対するリスペクトも大きいわけで、不満をすべてホールや台に押し付けるクソわがままな遊技客にも我慢ができない。そのホールに行ったのも、台を選んだのも、打ち続けたのも、あなた自身じゃありませんかって話で、パチンコ・パチスロは疑いなく自己責任の遊びですから、回らなきゃヤメればいいし、つまんなかったら打たなきゃいい、それだけのこと。なのに、どういうつもりか知らんが、責任転嫁のひどい悪口を撒き散らす輩が多すぎて気分が悪くなる。自分はバカですよと吹聴してるようなもんで、恥ずかしくないのかなぁと思ってしまいます。

歳をとると人間の性格は二つのタイプに分かれます。意固地になって自分と異なる価値観を認めない老害タイプ。もうひとつは逆に、執着から解脱して何でも受け入れる好々爺タイプ。僕はまごうことなき後者でありまして、すなわち問題意識を持ってガーガー言い続けてきたあれこれが、些事としか思えなくなってきたんですね。そんなのどうでもいいじゃん!不満はゼロじゃないけれど、万事思う通りに運ばないのが世の中であるし、これ以上を望むのはおこがましいよね。今やそんな気持ちでハンドルを握っています。

自分もヤキが回ったなぁ、歳をとったなぁ。そんな寂しさもありますが、でもやっぱり、打つ側は餌の立場から抜けられない厳然たる現実があります。目指すところは1パチにニコニコ興じるお年寄りです。打ってれば何でも楽しい、勝ってるか負けてるかようわからん、そんな仙人の域に到達したい。客がみんなそうなれば、業界はたぶん平和になる。戦いの場でなくなれば、もちろん今より間違いなくスケールダウンしますが、パチンコが必要以上に嫌われることもないでしょう。それでいいのかって?いいと思います。誰もが楽しく集える遊技場に回帰することの何が悪いのだと本気で思っています。

その代わりにですが、御しやすい客だと舐めるのだけはやめていただきたい。やるべきはちゃんとやって、感謝の念を忘れず食っていただきたい。餌から申し上げたいことは以上です。

■プロフィール
大﨑一万発
パチプロ→『パチンコ必勝ガイド』編集長を経て、現在はフリーのパチンコライター。多数のパチンコメディアに携わるほか、パチンコ関連のアドバイザー、プランナーとしても活動中。オンラインサロン『パチンコ未来ラボ』主宰。

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