女性皇族を苦しめるメビウスの輪 一時金支給は違憲・不支給は違法か ジレンマ幾重にも 

By 佐々木央

2017年9月、婚約内定後の記者会見=東京・元赤坂

 分かりやすいので、お金の話から始めたい。

 誰かと誰かが結婚しようと決める。新生活を始めるためにお金が必要だ。自分たちの貯金で足りなければ、借金するか、親族に援助を求めるか。だがこの2人の場合、女性の側が皇族であることを理由に、国がそれを出すことになっていた。(共同通信編集委員、47ニュース編集部=佐々木央)

 これは国による特別扱いであり、憲法に違反するのではないか。念のため、憲法14条1項全文を掲げる。

 ―すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分または門地により、政治的、経済的または社会的関係において、差別されない―

 「すべて国民は」という主語には、この2人も含まれる。しかし、憲法の下位にあるはずの皇室経済法6条7項は次のように定める。

 ―皇族がその身分を離れる際に支出する一時金額による皇族費は、左の各号に掲げる額を超えない範囲内において、皇室経済会議の議を経て定める金額とする―

 憲法と皇室経済法の間の矛盾撞着(どうちゃく)があらわになる。もちろん、この特別扱いに正当な目的があって、手段も相当であれば、許容される余地がある。

 しかし、ほとんどの報道は皇室経済法そのものを問題視しない。本稿も取りあえず、この疑問を抱えたまま先に進む。

 報道によれば、その額は1億3725万円の予定だった。ところが、女性はこれを受け取らないと伝えた。そこで政府は支給しないと決める。支給額を決める皇室経済会議は、開いても仕方がないので、当然ながら開かない。

 格差社会にあって、多くの人が貧困に苦しんでいる。税金の節約にもなって良かった。そう見るべきか。

 だが、この法律のどこにも、一時金を支給するかどうかを、国が勝手に判断してよいとは書いていない。皇室経済法の定めを無視して恣意(しい)的に運用していいなら、他のどんな法律も、国は無視していいことになる。だから、なんとしても国は一時金を支給するべきだった。

 国は公然と法を犯した。しかし、それもほとんど問題にならない。この国は法治国家といえるのか。

 一時金不支給の決定は別の問題も惹起する。憲法4条1項を引用する。

 ―天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行い、国政に関する権能を有しない―

 天皇の政治的な行為や政治的発言を制限した条文だ。法の名宛て人は天皇だが、有力な学説は、皇族も自由に政治的な発言をすることができるわけではないと解する。公金を誰にいくら支出するか、しないかは、十分、政治的だ。その運用が当の皇族の意向に左右されるなら、この憲法条項に反する疑いが浮上する。

 一時金の不支給は憲法レベルでも、皇室経済法のレベルでも違法の可能性があるのだ。

 ここで、さらに思考は反転する。飛躍するようだが、夏目漱石の「坊っちゃん」を引用したい。愛媛・松山の中学校に赴任した坊っちゃんは教頭の赤シャツから、数学主任の山嵐は悪者だと唆される。そして、松山に来て最初に氷水をおごってくれたのが山嵐だと思い返す。その後の坊っちゃんの独白。

 ―そんな裏表のある奴(やつ)から、氷水でも奢(おご)ってもらっちゃ、おれの顔に関わる。(中略)たとい氷水だろうが、甘茶だろうが、他人から恵(めぐみ)を受けて、だまっているのは向こうをひとかどの人間と見立てて、その人間に対する厚意の所作だ。割前を出せばそれだけの事で済むところを、心のうちで難有(ありがた)いと恩に着るのは銭金で買える返礼じゃない。無位無冠でも一人前の独立した人間だ。独立した人間が頭を下げるのは百万両より尊い御礼と思わなければならない―(一部表記を改めた)

 そして、翌日返金すると心に決める。このとき、坊っちゃんが守ろうとしたのは、大げさでなく自らの尊厳であった。自分をおとしめ、陥れようとする者に、決して借りを作ってはならないと考えたのだ。

夏目漱石

 皇室離脱の一時金に戻る。

 彼女がどのような理由で一時金を辞退したのか、本稿を書いている段階では明らかでない。しかし、金額は天と地ほど違っても、坊っちゃんのように自らの尊厳をかけて、辞退することはあり得るだろう。例えば「私の選択を認めないあなたたちから、受け取ることはできない」と。あるいは「お金をもらったために、今後の生き方についてとやかく言われたくない」と。

 人間の尊厳をかけた選択を、法が認めていないからといって、むげに否定できるのだろうか。あるいは「あなたが一時金を受け取るかどうかについて、あなたが決定する権利はないんだ」と、彼女の意思を葬り去ることはできるのだろうか。

 わたしにはそうとは思えない。憲法13条は次のように規定する。

 ―すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由および幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする―

 さらに民法2条も、民法全体の解釈原理として「個人の尊厳と両性の本質的平等」を掲げる。つまり財産の収受についても、個人の尊厳、すなわちその人の自己決定が大切にされなければならない。そうだとすれば、彼女の辞退の意思こそ、自らの尊厳を守る行為として最大限尊重されなければならない。彼女には、受け取らない自由がある。

秋篠宮ご一家=2020年11月14日(宮内庁提供)

 皇族が皇籍を離れる際の一時金支給について、以上に述べた論点を抽出する。

 皇族への一時金支給は憲法14条(法の下の平等)違反の疑い―しかし、不支給なら皇室経済法違反の疑い―支給辞退の意思表示は憲法4条(政治的行為の制限)違反の疑い―しかし、無理に支給すれば憲法13条(個人の尊厳)に反する疑い

 事態はメビウスの輪のように入り組んで、何が正で何が非なのかが判然としない。なぜ、これほどやっかいなことになるのか。

 憲法は基本的人権を尊重する。ところが憲法1条から8条は、それとは別に天皇条項を定めた。それは皇室典範、皇室経済法などと一体となって、別の原理に基づく世界を形作っている。その原理は、憲法1条に即して言えば、意思を持って行動する生身の人間を「象徴」として固定する。2条に即して言えば、その地位を「世襲」として、桎梏(しっこく)から逃さない。

 このたびの結婚が問題を引き起こした根本には、その二つの世界の相克があったと思う。

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