絵になるナロー 三岐鉄道北勢線

 【汐留鉄道俱楽部】かつて国内にたくさん存在した線路幅わずか762ミリのナローゲージ鉄道。経済が発展し自動車の利便性が高まると、輸送力が中途半端なため次々と廃止され、いまや一般の乗客を乗せる鉄道としては三重県北部を走る三岐鉄道北勢線と四日市あすなろう鉄道、富山県の黒部峡谷鉄道の3線しか残っていない。黒部は人気の山岳観光路線という特殊事情があるが、生活の足としてのナローが三重県にだけ残ったというのは不思議なことだ。それだけ地域に親しまれてきたのは確かだろう。 

 一昨年のあすなろう鉄道のレポートに続き、今回は北勢線の見どころをピンポイントだが紹介したい。 

 北勢線は、近鉄名古屋線、JR関西本線、養老鉄道が連絡する桑名駅(桑名市)に隣接した西桑名駅(事実上桑名駅と言ってよい近さ)を起点に、西方へ約20キロ、鈴鹿山脈の麓の阿下喜(あげき)駅(いなべ市)までを約1時間かけて走る単線の電車だ。曲折を経て1965年からは近鉄の一支線だったが、近鉄が経営上の理由で廃止を打ち出したことから地元で協議が進み、2003年、鉄道用地は自治体が負担し運行は近くを走る三岐鉄道が引き受けるという珍しい「上下分離」に似た方式での存続が決まった。 

3連アーチの「めがね橋」を渡る北勢線の電車

 西桑名から路線の中間を過ぎた楚原辺りまでは都市近郊の景観だが、その先は豊かな田園風景が広がってくる。そして楚原から1キロほど走ったところ(駅から徒歩約15分)に、最大の見どころである「めがね橋」と「ねじり橋」がある。両橋とも開業時の1916(大正5年)年完成で、コンクリートブロックを積んで造られたところが珍しく、めがね橋は3連のアーチ、ねじり橋は用水を斜めに横断するためアーチがねじれているのが特徴だ。いずれも2009年度の土木学会選奨土木遺産に選ばれている。 

 めがね橋の南側の周囲は開けているので、さまざまなアングルで絵になる写真が撮れる。コトンコトンと水田脇の土手を走ってくる電車は、見慣れた都会の電車よりずっと小さくてかわいい。あざやかな黄色の車体も周囲の緑によく映える。 

 めがね橋のすぐ近くに大きな鳥居があり、近付いてみたら、下笠田八幡という神社があった。線路が参道を横切っている。驚いたのは社殿前の左右に鎮座する砲弾と機雷のモニュメントだ。いなべ市観光協会の資料によれば、「通神」と記された機雷は戦艦陸奥、「至誠」と記された砲弾は戦艦長門で使われたもので、山本五十六と海軍兵学校同期で中将まで務めた和波豊一が、退役の記念として1936(昭和11)年に郷里の氏神にまつったものだという。戦いを礼賛するものではなく、鎮めるための奉納であろうか。 

(上)砲弾と機雷が鎮座する下笠田八幡神社境内(下左)手入れの行き届いた線路(下右)快走する4両編成の電車

 私が知っている和波と言えば、盲目のバイオリニストとして著名な和波孝禧さんだが、なんと豊一は孝禧さんの祖父だった。私は高校のころ、ラジオで聴いた孝禧さんが弾くバッハの無伴奏バイオリンパルティータが気に入って、以来バッハ好きのクラシック音楽趣味は変わっていない。不思議な縁を感じた。 

☆共同通信・篠原啓一(編集局予定センター長)

© 一般社団法人共同通信社