自衛隊は便利屋でいいのか|岩田清文 新型コロナウイルスワクチンの大規模接種センターは新たな延長期間に入り、対象年齢もが引き下げられ16歳と17歳への接種が始まった。自衛隊が運営しているだけに、接種会場はシステマティックで、見事な運営がされているという。だが、その一方で「近頃、何でもかんでも自衛隊、これでいいのか?」という危惧の声も聞かれる。自衛隊元最高幹部の問題提起!(初出:月刊『Hanada』2021年9月号)

「何でもかんでも自衛隊だ」

6月下旬、自衛隊が運営する東京大手町の大規模接種会場で一回目のワクチン接種を終えたばかりの知人から電話があった。

「自衛隊の効率的できちっとした統制・管理に感激した。素晴らしい。しかし聞くところによると、自衛隊医官の手当は1日3000円、町のお医者さんは10数万円らしい。おかしくないかね! そもそも、自衛隊が便利屋として使われているのじゃないか。近頃、何でもかんでも自衛隊だ。僕ら国民はいいけど、自衛隊自身はこれでいいのか?」

自衛隊OBとしては声がけを有難く思うと同時に、隊員の処遇や自衛隊の存在意義まで指摘され、考えさせられる言葉であった。

筆者自身、今回の自衛隊によるワクチン接種会場の開設・運営に至る過程を垣間見ながら、国として感染症対策のあり方を見直す必要性を強く感じていた。またここ数年、豚コレラや鳥インフルエンザ対応に頻繁に駆り出される自衛隊の状況を仄聞するなか、防衛任務達成への影響も危惧していたところであった。

自衛隊によるワクチン接種が行われているこの時に、これらの点について考えてみたい。

まずは運営状況だが、自衛隊接種会場開設の目的は「感染拡大防止に寄与すること」にあり、期間は5月24日から約3カ月としている。接種対象は当初は65歳以上であったが、接種状況に鑑み、現在は18歳以上に拡大されている。

運営時間は東京・大阪ともに8時から20時。接種規模は東京が一日あたり最大約1万人、大阪が最大約5000人。これまでの接種実績は約61万人(7月8日現在時点での累積数)と聞いている。

運営人員は東京・大阪合計で、医官約90名、看護官等約200名、支援要員の自衛隊員約160名、民間看護師約220名、民間役務約490名、総計1160名体制である。

現場隊員の声

ポイントは、活動の根拠が通常の病院勤務の枠組みとなっており、東京は自衛隊中央病院の巡回健診、大阪は新規の診療所設置とされている。

災害派遣ではないため、手当支給の対象にはならないものの、勤務環境の特性が考慮され、接種業務が3000円/日、接種に関連する業務が1620円/日と一応の配慮はなされている。

では、実際に勤務している隊員はどのように思っているのであろうか。運営を担当する幹部に、自衛隊がワクチン接種をする意義を訊いてみた。

「いまは国難の時と思います。これを克服する切り札であるワクチン接種を国として後押しするため、総理大臣から自衛隊に指示が出された重要なミッションとして捉えています。私はもちろん多くの隊員が、国民の健康と命を守ることに直接的にも間接的にもがる任務にやりがいを感じています」

もう一人の幹部は、

「陸自の我々にやれということは、国や国民の方々からの高い期待の表れと感じています。この期待に絶対に応えられるよう全力で取り組んでいます」

さらに、接種現場で勤務している隊員の意識を聞いてもらったところ、「このワクチン一本で国民一人の命を救うことができるという思いでやっている」。あるいは、「『有難う』や『整斉としているね』との言葉をいただき、ますますやる気が湧いている」など、現場はやりがいを持って臨んでいるようである。

もちろん初めての活動でもあり、準備の段階から接種業務開始当初の間は苦労もあったようだが、部外者対応に慣れている民間の看護師やスタッフの知見・経験をお借りしながら、しっかりと期待に応えているようだ。

現場の声を聞くなかで頼もしく思ったのは、手当や処遇のことに不満を漏らす者がほとんどおらず、それよりも国民の命を救いたいという一心で頑張っていることである。まさに隊員の価値観が、金銭ではなく国民の役に立ちたいという点にあり、その価値観が頑張ろうという使命感、そして接種業務を確実にやりきるという責任感にがっているものと思う。自衛隊員には、「有難う」の一言こそが一番のご褒美である。

筆者自身、「歴史を振り返った時に、『国家国民が困窮する現場には必ず自衛隊がいた』というのが自衛隊のあるべき姿だ」と思ってきたが、今回のワクチン接種はその一つと認識している。

感染症対策の構造的問題

その一方で、自衛隊は便利屋、何でも屋ではない。だからこそ、切り分けが重要である。豚コレラや鳥インフルエンザ対応はその例だと認識しているが、この点はのちほど述べることとし、先に国としての感染症対策のあり方について考えてみたい。

もちろん筆者は感染症の専門家ではないが、危機管理の観点から何らかの方向性が見出せればと思う。

病院等での「個人」に対するものを医療行為と定義される一方で、保健所を軸に疾病の予防、衛生の向上など地域住民全体の健康の保持増進を図るのが公衆衛生だ、と筆者は認識している。

この役割からすれば、保健所が地域社会における感染症対策の主な担い手であると思う。しかし保健所は平成9年頃以降、減らされ続けており、過去には800カ所を越えていたものが、いまでは半数近くの470カ所になっている(厚生労働省健康局健康課地域保健室調べ「保健所数の推移」令和3年4月1日現在)。

昨年、新型コロナ感染者の追跡調査において、保健所がパンク状態になっていたとの報道や、PCR検査が進まない状態も、この減少と関係しているのであろう。

この保健所削減の背景となったのは、平成6年の地域保健法の制定が影響している。

この法案は、市町村の役割を母子保健や老人保健および福祉といった住民の生活に根差したサービスに重点を置き、都道府県はエイズ対策や難病対策など高度で専門的な保健サービスを提供することを狙いとした。

その背景として、戦後の結核等の感染症対策などには成功したものの、その後の医療供給体制の整備、あるいは医療保険制度の充実により、人々の保健所に対する期待が大きく変わったにもかかわらず、素早く地域のニーズを捉えて対応できるような仕組みになっていないという問題点が指摘されていた。

この審議から、保健所の機能を住民の生活サービスへと重点的に変更し、感染症対策への備えは都道府県に委ねられた。

しかし、その都道府県が今回のコロナ感染対策において十分機能したかと言えば、答えは明らかであるし、国全体として統制できる枠組みについての検討がなされた形跡は見当たらない。

日本人の死因は、1950年頃は結核が第1位を占めていたが、ここ数十年は悪性新生物、心疾患、肺炎、脳血管疾患などが上位を占めている。このような変化が医療そして保健の分野でも変化をもたらし、また2002年のSARS(重症急性呼吸器症候群)、2015年のMERS(中東呼吸器症候群)の危機も対岸の火事として直視せず、結果として日本の公衆衛生体制や日本人の意識から、感染症に対する危機意識がすっぽりと抜け落ちていた。

災害は忘れた頃にやってくるというが、新型コロナ感染症は、忘れていたどころか、多くの日本人には意識すらしない状態で盲点を突かれた格好だった。

危機管理体制整備の要点

危機管理の鉄則は、最悪の状況を念頭に置きながら、そのリスクをどこまでコントロールするかである。今回のコロナ災禍を貴重な教訓として、より厳しい状況も想定し、そのための国の危機管理体制を整備することが重要である。

その一つ目が法体系だ。特に感染率・致死率の高い感染症発生時においては、いかに強力に統制するかが重要であり、有事に準じた強制力も必要となるだろう。今回、特別措置法により対処したものの、国民の行動規制はお願いベースが基本にならざるを得なかった。

真に国民の命と平和な暮らしを守るためには、時として強い統制が必要であり、現行の法体系では強制力が弱い。この観点から私権の制限についても議論が必要であり、そのためには憲法の緊急事態条項も含めた検討は避けられない。

二つ目には、100年に一度到来するかどうかの感染症有事に備え、国として戦略的・長期的視野に立ち、欠落機能がないよう必要な組織や枠組みの基礎を構築しておき、いざという時にその基礎を拡大して対処できるよう、足腰の強い体制作りに取り組む必要がある。

特に、ワクチン製造にかかわる開発・生産・承認体制は重要である。世界有数の創薬国と言われる日本が未だにワクチンの自国製造に消極的なのは、平成八年の裁判で厚生省の担当課長が罪に問われた後遺症が大きいのかもしれない。しかし何よりも、危機意識の欠如によって、国として地道に研究・開発を継続する体制を整備してこなかった結果であろう。

医師会のあり方を見直せ

一つ目の法律検討において参考になるのが、「災害対策基本法」や「有事関連法制」である。災害対策は基本的に自治体の役割であるが、大規模なものや原子力災害を含めて「国が直轄」して対応する法体系ができている。

有事についても、もちろん「国の責務」であり、国民保護や医療従事者への従事命令もでき、自治体が国の方針に従って強制力を発揮できる仕組みになっているし、平時の各種法令の特例措置もとれるようになっている。感染症に関しても、新型コロナ以上の重い感染症は、国の責務としてあらゆる措置をとる、と法律として定めておくべきである。

二つ目の組織や枠組みの検討においては災害対応が参考になる。発生周期が百年以内と短く、発生確率が50年以内90%と言われる南海トラフ地震対応においては、政府は地震防災対策推進基本計画を策定し準備を整えている。

たとえば被害見積もりに基づき、国、地方公共団体、地域住民の役割、いわゆる自助・共助・公助を定め、それぞれが連携して準備すべき事項を明確にしている。

さらに、指定行政機関および指定公共機関、並びに関係都府県・市町村地方防災会議がそれぞれの計画において推進すべき事項を具体的に示し、関係施設管理者に対しても対策を講じるよう明示している。

関係施設管理者とは、病院、劇場、百貨店や鉄道事業者、学校、社会福祉施設などであり、今回の新型コロナ対応においても規制対象となった重要な施設である。

これに倣い、感染症対策においても、将来的に国としての対策基本計画を策定し、国、自治体、公共機関、特に医療関係機関との連携のあり方を示すべきだ。

その際、国公立医療機関、民間大規模医療機関、クリニック等の役割を再検討する必要がある。併せて、医師会との連携のあり方の再検討も重要だろう。

知人の開業医に話を聞いたところ、開業医と関係病院長で構成された医師会の役割を、診療報酬費を下げさせないための圧力団体的な性格から脱皮させる必要があると語った。

たとえば国家的医療危機の状況においては、感染症等に対して知見・経験のない開業医の不安感を払拭するとともに、中規模・大規模病院と連携して医療行為が地域全体で継続できるよう緊急の教育システムや連携体制の構築をリードしていくべきだと指摘。

彼は自ら貢献したいとの意欲を示したものの、アナフィラキシーショック対応やワクチン接種にかかわるスタッフおよび待機場所の確保も考えると、一人の開業医では対応が難しい。ただ今回、時間こそ要したが、自助努力で連携体制を構築し、現在ではワクチン接種の体制を作り上げることができた。

こういった連携体制の構築や、それによる損失補までを総合的に検討してこそ医師会ではないのか、と熱く語ってくれた。

今回の危機は国民の危機であると同時に、医師会のあり方を見直す好機と捉えるべきではないだろうか。

コロナ収束に伴い、このような議論が深まることを期待したい。

自衛隊、現場部隊の悩み

話を自衛隊に戻そう。

今回、自衛隊が接種業務を担任した背景には、感染拡大を防止する切り札をワクチン接種と捉え、その打ち手が不足する状況を打開したいとの思いがあったようだ。接種規模の拡大に貢献できる要員が速やかに確保できない国難の状況において、自衛隊が寄与するのは当然である。

また、自衛隊まで動員しているという姿勢が、何とか国民の命を救いたいという政府の強い思いとして伝われば、心理的な効果も高いだろう。今回の自衛隊による接種会場開設・運営は、そのような意味でも意義があるものと思う。

一方で、自衛隊による様々な支援活動が、国防という本来任務遂行に及ぼす影響を危惧する声も聞こえてくる。

本稿を執筆しているいま現在も、熱海市における災害派遣が行われ、懸命の救助活動が続けられている。このような国民の生命にかかわる緊急を要する要請で、警察・消防のみでは実施できない状況では当然、出動すべきであるが、必ずしもそうとは言えない派遣要請に現場部隊が頭を痛めているのも実態だ。

たとえば、豚コレラや鳥インフルエンザによる殺処分等支援である。これも緊急的な対応が必要なため、速やかに人員を投入できる陸上自衛隊に頼るのは理解できるが、毎年頻繁に発生し、その都度出動していたのでは、本来任務遂行のための訓練すらできなくなる。

豚コレラの場合、影響の大きかった令和元年度が陸自全体で11回出動、一回平均117時間(延べ54日間、約1万1000名)、また令和2年度の鳥インフルエンザ対応は26回、一回平均74時間(延べ81日間、約3万名)。その影響は大きい。

東日本大震災において、陸自は約3カ月間にわたり約7万人を投入した。筆者の記憶では、この年、陸自全体で純粋な訓練に充当できたのは840時間程度であった。

豚コレラも含め、最近では様々な支援活動の影響で、それ以下の時間しか訓練に充当できていないと聞いており、いざという時に国防の任を全うできるのか心配している。

部隊では毎年、春頃から逐次訓練を積み上げ、小部隊から大部隊へとレベルを上げていく、この積み上げにより、班長、小隊長、中隊長、大隊長、連隊長等およびそれぞれの指揮官を支える幕僚を含め、実際の防衛行動において確実に任務を完遂できる人材を育てている。

近年では、戦争領域や戦争形態の大きな変化によりやるべきことが増えており、ただでさえ時間が足りない悩みがある。

国家百年の計を考える

この練度積み上げの途中段階で災害派遣等に出動した場合、その間に予定していた訓練は演習場等の混み具合もあり、思うようにはカバーできず、そのまま次の訓練段階に進まざるを得ない。

何ごとも実体験して初めて自信が持て、そのうえで後輩にも指導できるが、この「体得」すべき貴重な機会を逃すようなことが継続すれば、ボディーブローのように効いて部隊行動の練度が下がっていき、最悪の場合は任務達成が困難となる。

自衛隊は100年に1度の戦争も生起しないよう抑止力の向上に努めているが、抑止力は張り子の虎ではなく真に戦える対処力があって初めて成り立つ。その対処力の核心は、部隊の隊員の練度である。

練度は目に見えないため、隊員自身でも問題に気がつかない側面もある。現場の部隊は、頻発する豚コレラ、鳥インフルエンザ等の支援要請が自治体から発出されれば断ることはできず、派遣を優先してしまうのが実態だ。「練度が大事だから出動するな」とは誰も言えない。

農水省および各自治体に期待するのは、何とかして自治体の自助努力が進展できないものかという点だ。たとえば、地元消防団員の増員や殺処分作業に対する民間事業者の緊急的支援を獲得する施策、そしてやむを得ず自衛隊に要請する場合の作業内容の精査など、ぜひ検討が進むことを願う。

最後に、医療費の削減や小さな政府を目指した結果が今回の新型コロナ対応の問題点にがっていたとすれば、見直すことも必要であろう。

どちらも重要な施策であり、それ自体が問題であるとは思わない。本当の問題は、それらの施策が過度に進み、国の危機事態において真に必要な人・組織・体制やそれを機能させる法律を整備せず、また予算を充当してこなかったことにある。

平時は無駄のように思われることでも、国の存立、国民の命にかかわる根幹となる分野には重点投資すべきである。国家存立の足腰を地道に鍛え、いざという時に役に立つものに育んでおくべきである。まさに「国家百年の計」を忘れてはならない。

岩田清文 | Hanadaプラス

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