15歳でJリーグデビュー「怪物」森本貴幸 夢はイタリア代表だった

「怪物ストライカー」森本貴幸

【多事蹴論(16)】イタリア人になりたかった――。2004年3月13日に史上最年少出場記録(当時)となる15歳10か月6日でJデビューを果たした東京VのFW森本貴幸は相手DFを翻弄するなど、現役の中学生ながら圧倒的なパフォーマンスを披露した。同年5月には15歳11か月28日の最年少得点記録もマーク。日本代表のエース候補と言われるようになったが、実はイタリア人となり、イタリア代表としてプレーすることを熱望していた。

当時の東京V関係者によると、15歳でトップデビューした森本は圧巻のスピードと高いフィジカル力を武器にJリーグで旋風を巻き起こすなど注目の存在となった。クラブ側は森本に対する取材を規制するなど、若手ストライカーのさらなる成長のため、細心の注意を払っていたが、プロ契約が可能となる16歳を前に、東京Vの正式オファーを拒否したという。

当時のクラブ幹部は「クラブとしてプロ契約を結ぼうとし、森本にそれなりの条件を出していたけど『それはできません』と言い出した。なぜかというと『イタリアに行きたいから』って。将来はイタリア国籍を取ってイタリア代表でプレーするというのが彼の夢みたいで、一刻も早くイタリアに行くため、東京Vとは契約はできないってことだった」と説明した。

森本はかねてイタリアサッカーにあこがれており、当時、親族がイタリアに滞在していたこともあって早急に渡欧することを望んでいた。このまま東京Vでプロになれば、移籍金などが発生するため、オファーが届かなかったり、自由にクラブを選べないことなどを懸念。かたくなにプロ契約を拒んでいたそうだ。

ただ、国際サッカー連盟(FIFA)の規定で国際移籍は18歳にならないとできないため、クラブ側は森本の説得に乗り出した。仮に単身イタリアに渡っても、アマチュアのままでは生活するのも困難な上、選手としての成長にも大きな影響が出ることなどを説明。さらに18歳になったときに、適切な移籍金でイタリア移籍を認めることも付記し、ようやくプロ契約を締結することで合意に達したという。

「森本はイタリアに行くことしか頭になかったからこちら(クラブ側)の話を聞かないし、本人を納得させるのに時間がかかった」(当時のクラブ幹部)。そして森本は06年7月にイタリア1部カターニャにレンタル移籍が決定。1年後の07年には移籍金120万ユーロ(約1億5000万円)で同クラブへ完全移籍を果たした。

このころには「イタリア人」「イタリア代表」などと口にすることはなくなり、08年に日の丸を背負って北京五輪代表メンバー入りし、10年には南アフリカW杯メンバーにも選出された。13年にJリーグに復帰後は目立った活躍はないが、デビュー当時は森本が日本のエースになることを誰も疑っていなかった。

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