東京パラの衝撃とメッセージ効果 パラ陸連の増田明美会長に聞く

取材に応じる日本パラ陸上競技連盟の増田明美会長

 日本パラ陸上競技連盟の増田明美会長(57)がこのほど、東京都内で共同通信のインタビューに応じ、9月5日に閉幕した東京パラリンピックで受けた衝撃や開催意義について語った。1984年ロサンゼルス五輪女子マラソン代表で、「細かすぎる解説」でも有名な増田さんが「一番の応援団長でありたい」と会長を引き受けて3年余り。見る人にメッセージがストレートに響くパラの魅力を指摘し、子どもたちの教育面への効果も強調した。(共同通信=三木智隆、田村崇仁)

 ▽「みんなちがってみんないい」

 ―東京パラリンピックで感じたことは。

 感覚的に訴えかけるものが大きかったです。私は、陸上が始まるまで、水泳をテレビで見ていました。衝撃を受けましたね。陸上は車いすや義足がありますが、水泳は障害の部分があらわになります。両腕がなかったり、脚の長さが違ったりします。最初はびっくりしますが、見ていくうちに慣れていくんです。(パラの父と呼ばれる)ルートビヒ・グトマン博士の「失ったものを数えるな。残された機能を最大限生かせ」という言葉を体現しているパフォーマンスを目の当たりにしました。私も「失ったものを数えていないかな、今持っている能力を全部使っているかな」と、自分に問い掛けました。

女子100メートル背泳ぎ(運動機能障害S2)で2位になった山田美幸

 ―テレビ放送を含めて、メディア露出が多かったです。

 (2012年)ロンドンや(16年)リオ大会の時は、こんなに放送はなかったです。今大会は新聞やテレビで多く取り上げてくれました。大人は論理で、子どもは感覚で捉えるので、パラアスリートが競技する姿は子どもたちには大きな影響を与えてくれたと思います。私は、金子みすゞさんの詩が大好きなんです。金子さんの「私と小鳥と鈴と」という詩の「みんなちがってみんないい」というフレーズが自然に入ってきました。

 ―今回のレガシーをどのように生かしますか。

 日本選手団は(金13個を含む合計51個と)メダルも多く取りました。トップアスリートが活躍することで障害を抱えている人の中には「スポーツをやってみよう」と思う人もいるでしょう。そんな人が身近に日常的にスポーツができる社会になればいいと思います。そのためには、使える施設を増やさないといけません。障害者スポーツ専用施設は少ないですし、全国のスポーツ施設で障害者スポーツを受け入れている施設もまだまだ微々たるものです。やりたいと思う人の受け皿を広くするのが大事。やりたい、と思う人が気軽にできるようにしたいですね。

女子マラソン(視覚障害T12)の表彰式で、金メダルを手に笑顔の道下美里

 ▽指導者の充実と選手発掘の課題

 ―普及面や選手の強化、発掘については。

 トップ選手もそうでない選手も、指導者を充実させないといけません。トップ選手は、競技団体の強化部とパーソナルコーチとの連携が必要です。競技を始める人に対してのコーチも増やしていかないといけません。

 選手の発掘については、いろんな団体との連携が必要です。例えば、障害のハンディを抱えながらもインターハイなどを目指している高校生アスリートがいます。もしもパラスポーツに参加してくれれば、世界レベルに届くような高い身体能力を持っていることもあります。高校スポーツの団体や理学療法士協会や特別支援学校とも連携して、パラスポーツが注目されている今、将来のパラ選手を発掘したいです。

 ―東京パラリンピック以降、スポンサー探しは難しいですか。

 各企業のオリンピック・パラリンピック担当部署は、年内や来年春までに解散するところが多いです。母国開催が決まってからの8年間は「パラバブル」とまで言われ、急激に各団体の予算が増え、選手のスポンサードも多くなりました。

 東京大会が終わったから協賛も終わり、にならないよう、競技の魅力を高める努力を続け、協賛企業にもメリットがある企画・施策を考えています。

 ▽ダウン症の全国大会も

 ―特別支援学校の全国大会について。

 まだ開催されたことがないのですが、日本知的障がい者陸連の方で動いていて、今回、10月に宮崎でダウン症の全国大会が開催されます。全国大会という大きな目標ができると、それに向けて頑張りますから、普及、発掘のためにも全国大会は必要だと思います。

 ―来年は神戸で世界パラ陸上選手権があります。

 東京パラのような、感動、元気をみんなが味わえる大会にしたいです。海外の選手は東京大会で日本に滞在し、選手村や移動、競技運営、ボランティアの優しさなどに満足した人が多かったようです。日本にまた来ることを楽しみにしていました。コロナ禍の影響が少なければ、神戸では交流も可能になります。神戸ビーフも食べてもらいたい。今回の東京はバブル方式で、土地を味わうことができなかったけど、その土地の魅力を選手や関係者が味わえるといいですね。

 あとは、パラ教育が進んだといっても、パラリンピックが開催された首都圏が中心でした。子どもたちが観戦に来ることができたら、関西圏の子どもたち、小中学生にすごくいい影響を与えると思います。

 ▽途上国支援も課題

 ―パラが今後進む道は。

 これから先進国が取り組むべき課題は、パラスポーツをもっと世界のいろんな国に広げていくということです。パラは種目によっては、エントリー人数が少なくなり、なくなってしまうものもあります。日本選手のメダルが有望だった女子100メートル(車いすT52)も開催できませんでした。

 今大会、日本からカンボジアに指導者が行って、用具の支援も行い、車いすの選手が陸上競技に出場しました。競技用の義足や車いすを手に入れることが難しい途上国にもパラスポーツを広めていくことが、パラリンピックが発展することにつながります。

 ―パラリンピックの魅力。

 開会式を見ても、競技を見ても、五輪に比べてメッセージ性があって、分かりやすかったです。開会式では、片翼の翼を持った女の子が「多様性と調和」のメッセージを発信してくれました。そして、翌日からの競技で、そのメッセージを選手がすぐに体現してくれました。見ている側にストレートに響きました。

東京パラリンピックの開会式のアトラクションで、主人公を演じる和合由依さん(左)

 グトマン博士の言葉を選手が体現してくれて、健常者である私たちや年配の方も勇気をもらえます。

 ―コロナ禍での開催。

 コロナで多くの人がつらい思いをし、将来にも不安を感じていたと思うんです。そんな時に、比べものにならないくらい大きな困難を乗り越えてきたパラアスリートの姿に勇気をもらった人が多かったのではないでしょうか。

 それでもコロナ禍で合宿地での交流や直接の観戦ができず、パラアスリートの魅力の一部しか届いていないと思っています。パラスポーツの魅力、その影響力はもっともっと大きいものです。今回のパラリンピックはスタートで、これからがパラスポーツを発展させる本番です。

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 増田 明美さん(ますだ・あけみ)千葉・成田高時代から陸上女子長距離種目で次々と日本記録を樹立。1984年ロサンゼルス五輪では初めて実施された女子マラソンに出場。92年に引退した後はスポーツ記事執筆や解説をはじめナレーションなどで幅広く活躍。57歳。千葉県出身。

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