庄野真代が筒美京平、船山基紀らとのコラボでその名を音楽シーンに示した代表作『ルフラン』

『ルフラン』('13)/庄野真代

庄野真代のデビュー45周年を記念した12枚組BOX『MAYO BOX~NIPPON COLUMBIA DAYS~』がリリースされた。庄野真代と言えば、1978年にシングル「飛んでイスタンブール」が大ヒットし、以後、「モンテカルロで乾杯」「マスカレード」などもヒットさせて、1970年代後半から1980年代前半にかけて、当時のニューミュージックを盛り上げたシンガソングライターのひとり。今週は彼女のアルバム作品から、そのアーティスト像を探ってみようと思う。

「飛んでイスタンブール」がヒット

端的に言って雑多さが本作の特徴であろうし、それゆえに、聴いていてどこか不思議な感覚に包まれるのがこのアルバムの良さでもあろう。その点を圧倒的に支持したい。作家陣がバラエティーに富んでいるのが雑多さの第一の要因。作曲は庄野真代本人と筒美京平。作詞はこれまた庄野真代に加えて、竜真知子、ちあき哲也、来生えつこ、山上路夫。そして、編曲には船山基紀、瀬尾一三、高橋信之が名を連ねている。

庄野本人はデビュー曲「ジョーの肖像」(1976年)から自作していたシンガーソングライターなので彼女の作詞作曲は当然として、そこに加えて、この時点ですでに説明不要の大作曲家として活躍していた筒美京平を迎えることで、メロディーに重きを置いた作品を作ろうとしたことはよく分かる。歌詞に関しては、庄野以外の作詞家はほぼ筒美とのタッグなので、いわゆる“職業作家”“プロの作詞家”を起用することで(庄野も完全なるプロではあるが、作詞の専門家という意味での作詞家)、多様な世界観を構築しようという狙いがあったと思われる。そこだけでもバラエティー豊かな楽曲が並ぶことは十分に予想できるが、そのサウンドを名立たるアレンジャー3人が手掛けるわけで、いい意味で雑多になるのは当然と言える。

それでは、どうして『ルフラン』がこうした布陣による、こういう作品になったのかと言えば、それは本作に先駆けること2カ月半前にリリースされ、本作にも収録されたシングル「飛んでイスタンブール」がヒットしたことと無縁ではない。無縁ではないどころか、それが決定的な要因であったことは間違いないだろう。「飛んでイスタンブール」から『ルフラン』までが2カ月半と短期間だったことを考えると、これは想像だが、シングルがヒットしたからその勢いで、“また筒美京平に作曲してもらおう”といった具合に依頼したのではなく、庄野本人が手掛けたものと筒美ら作家陣のナンバーが混在するのは当初からの既定路線だったのではなかろうか。当時のことを綴った文献を探し切れなかったので、実際のところがどうであったのかは定かではないけれど、彼女のそこまでの足跡を振り返ると何となく想像はつく。

前述の通り、彼女は1976年に自作曲「ジョーの肖像」でデビューし、2ndシングル「ピエロのように(雨あがりの青い傘)」も本人の作詞作曲であったものの、その翌年に発表した3rdはユーミンの「中央フリー・ウェイ」のカバーで、4th「ラスト・チャンス」は作曲がアリスの堀内孝雄で作詞はその堀内作品で歌詞を手掛けた中村行延のコンビによるものであった。その次の5thが「飛んでイスタンブール」である。3rd以降、明らかに方向転換しているし、言ってしまえば、進む道を模索していたように見える。アルバムで言えば、「飛んでイスタンブール」以前に1stアルバム『あとりえ』、2nd『るなぱあく』(ともに1976年)、3rd『ぱすてる33 1/3』(1977年)と3作品を発表しており、変な言い方だが、舵を切るにはいい頃合いであったのだろう。そこまで目立ったヒット曲がなかったことは確かで、デビュー3年目を見据えて、筒美ら当時のヒットメイカーに楽曲を発注したと考えるのは穿った見方ではないと思う(ちなみに、平仮名で統一されていた1st~3rdアルバムのタイトルが、以後、縛りが解けた(?)ことも象徴的ではある)。

筒美京平、船山基紀らの確かな手腕

それでは、そのヒットメイカーと組んだアルバム『ルフラン』がどんな作品なのか、どう雑多なのかを以下、具体的に見ていこう。

オープニング、M1「風の街角」は庄野本人の作詞作曲。明るくさわやかなナンバーだ。パーカッション、ストリングス、ホーンセクションがとてもいい。パーカッションがリズムをグイグイと引っ張っているだけでなく、Aメロ後半からストリングス、Bメロからブラスが聴こえてきて、楽曲全体がどんどんドライブしていく。かと思えば、サビでリズムの手数が少なくなったり、アゲ一辺倒ではなく、メリハリの効いた、良くできたポップチューンという印象である。ちょっとコケティッシュな歌い方になったりするのも面白いし、間奏でサンバ感が増すところなどもあって、聴きどころは満載。高橋信之のアレンジの素晴らしさを堪能できる。

《もしも あなたと私が/この町で出逢ったなら/ひとめで恋に落ちたはずなのに/すれ違った ひと時を/いまさらもどせないわ/夢が覚めたみたい》《Windy love 街角で/Windy love あなたに/どんな風に どんな色で/伝えよう 今の 気持ち》(M1「風の街角」)。

歌詞はサウンドのアッパー感に相反している…とは言わないまでも、若干影があるというか、開放感のみを描いていないところも興味深く、この辺は職業作家にはない彼女らしい作風が垣間見える部分だろうか。

M2「昨日に乾杯」はM1から一転、優雅なイメージ。筒美メロディーもちょっと大人っぽいし、竜真知子の描く歌詞世界は耽美だ。

《ねぇ あなたを愛して/幸せだったわ/だから お願い/乾杯させてね もいちど/二人の ラスト・シーンに》《一度 手を放したら/恋は 帰らないのね/胸のすきまをすりぬけて/ゆらゆら》(M2「昨日に乾杯」)。

注目したのは船山基紀の編曲。筒美メロディーももちろん印象的なのだが、楽器が奏でる音階もそれに劣らないキャッチーを湛えている。間奏でのサックスを始めとするブラスもさることながら、随所で聴こえるストリングスがとにかくキャッチーである。この楽曲での弦楽はもうひとつの主旋律だ。とりわけアウトロが相当にドラマチックで世界観をふくよかにしているのは間違いない。また、優雅とは言っても、小気味の良いドラムやシェイカーが独特の疾走感を生んでおり、ひと筋縄では終わらせない船山基紀の手腕は流石と言わざるを得ないだろう。

庄野作詞、筒美作曲のM3「X(エックス)」もまたM1、M2と印象が異なるナンバー。そればかりか、楽曲内でも景色がコロコロと変わっていくという不思議な感覚を得る楽曲である。打楽器による、まさしく不思議なサウンドからイントロが始まるが、Aメロはシティポップ的に展開。歌は若干大陸風というか、大らかな印象でありつつ、サビはブギーっぽくなり、グラムロック的なギターリフが歌に重なる。かと思えば、1番と2番をつなぐブリッジ部分ではストリングス~ピアノからシンセ(エレピか?)が聴こえてくるなど、プログレっぽい箇所もあり、ひと言で言えば奇妙なアレンジなのだ。これも船山基紀が手掛けたものだが、サウンドからすると“X(エックス)”というタイトルは言い得て妙である。歌詞ははっきりと物語が分かるタイプではないけれども、《天気は晴れ 心はフリーダム》辺りを、前述したシンガーソングライターとしてのスタンスの変化、そこでの彼女の心境と重ね合わせるのは考察が単純過ぎるだろうか。

M4「飛んでイスタンブール」は庄野真代最大のヒット曲。今となっては昭和っぽいというか、若干のいなたさは否めないものの、筒美メロディーを船山基紀がアレンジすることによって、キャッチーさのつるべ打ちのようになっているところは、40数年経って今でも圧巻に感じるところである。失礼を承知で言うと、イントロのチターっぽい音もそうだし(“ぽい”ではなく、チターかもしれん)、そもそも音階がそうなのだけど、それらが本当に中東っぽいのかどうか分からないのに、何となくそうだと感じさせるのも、この楽曲の優秀さであろう。冷静に聴くと演歌っぽい感じもあって、歌謡曲路線へシフトしたことが明白であるけれども、前作『ぱすてる33 1/3』収録の彼女作曲のナンバー「皆殺しのハレルヤ」もエスニック風味だったので、スタッフはその辺を意識したのかもしれない。これまた意味が分かったような分からない感じではあるが、ちあき哲也が作った歌詞は素晴らしいのひと言に尽きる。とりわけサビでの韻は楽曲のキャッチーさに拍車をかけていると思う。

《おいでイスタンブール/うらまないのがルール》《飛んでイスタンブール/光る砂漠でロール》《おいでイスタンブール/人の気持はシュール》《好きよイスタンブール/どうせフェアリー・テール》(M4「飛んでイスタンブール」)。

M5「あんず恋唄」はタイトルから想像するに、美空ひばりオマージュみたいな歌謡曲寄りの楽曲が飛び出すかと思いきや、これが何とポップなR&R;。イントロからドゥワップ調で《あんず アプリコット アプリコット》とリフレインされるのはいい意味で意外だし、これもまた庄野真代のソングライターとしての懐の深さを感じさせるところだ。

《石段まじりの この道は/鏡にうつせぬ傷がある》《坂道つづきの 人生に/甘くしのびよる 恋唄》(M5「あんず恋唄」)。

可愛らしいだけの内容かと思ったら、歌詞には上記のような含みを持ったフレーズもあって、これからも彼女特有の作家性が感じられる。

ミドル~スローのM6「Don't let me down」はイントロのサックスが完全にAOR。ベースラインもカッコいいし、エレピも渋い。短いのにドラマチックに仕上げたブリッジもとても印象的で、“これはどなたのアレンジだろう?”と見たら筒美京平の編曲であった。そう思うと、サビやCメロでのコーラスワークは良くも悪くも“THE 昭和”で(特にCメロが色濃い)、その隠しきれない歌謡曲はどこか愛おしくもある。何かいい。

AOR、ロック、黒人音楽etc.

M7「フォトグラファー」からはLP盤でのSIDE-2(いわゆるB面)。ここまで説明してきたようにSIDE-1は、楽曲の作り手が異なることもあってか、いい意味でも個性的がバラバラの楽曲が並び、不思議な世界を旅しているような聴き応えがあって、SIDE-2自体はそこまでの落差はないものの、SIDE-1を含めれば、これもまた相当にバラエティーに富んだ楽曲が並んでいると言えよう。

M7「フォトグラファー」は出だしこそAORテイストを感じられるが、その実、かなりソウルフルなファンクチューンだ。キビキビとしたリズムとブラス、エキセントリックに鳴っているように感じるエレキギター、ドライなアコギと、サウンドメイキングもお見事である。

《右手はもっと高く ライトはひとつさげて/髪の乱れはかきあげて/そう……そうだよ…》《左へうんとジャンプ かかとをすこしあげて/指の先までくねらせて/そう……そうだよ…》(M7「フォトグラファー」)。

マイナー調のサビメロもいい感じだが、ちょっと『全裸○督』っぽくもある上記の歌詞と相俟って、メロディー自体にエロスがあるような気がする。間奏のサックスは間違いなくエロい。

M8「渚のモニュメント」、M9「はんもっく」、M10「街に疲れて」はタイプこそ異なるが、ボーカルラインがいずれもメロディアスなナンバーが続く。まず、筒美京平作曲のM8は、若干チャイナ風の箇所があったり、サビ後半に他ではあまり聴けないような音階があったり、主旋律だけでも趣向を凝らしていることがうかがえる。庄野真代が手掛けたM9はフレンチポップス風と言ったらいいか。リズムも軽快で可愛らしく仕上げており、サビで少しかすれ気味になる歌が、何ともいい味を出している。M10はゆったりとした流れの中にもキレがあり、少しクラシカルな要素も感じられる旋律であって、これもまた御大・筒美京平の偉大さを感じるところだ。サウンドはM9はロックテイストが強めではあるものの(間奏は完全にロック)、いずれもヴォーカルの背後では派手さを抑えめにしている印象もあって、前述したM9がそうであったように、このM8~10は彼女のヴォーカリゼーションを堪能できるパートと言えるかもしれない。

アルバムのフィナーレ、M11「ルフラン」は、ブルース、ゴスペル要素があり、そのルーツミュージックを隠さず、堂々と披露している。エレキギターを始め、ピアノもオルガンもブルージーに鳴っており、この辺は瀬尾一三のアレンジ力によるところなのかもしれないし、John Denverの「Take Me Home, Country Roads」に似たコード進行があることからすると、作曲した庄野真代の趣味なのかもしれない。いずれにしても、こうした泥臭いサウンドもやっていること自体がアルバム『ルフラン』らしいと言えるのではなかろうか。

前述の通り、おそらく1970年代後半における音楽シーンそのものが過渡期であったことが、このようなバラエティー豊かなアルバムを生んだ要因だろうが、錚々たる作家陣、庄野真代という才能のあるシンガソングライターとのコラボによって、本作が類稀なるアルバムとなったことは間違いない。

TEXT:帆苅智之

アルバム『ルフラン』

2013年発表作品

<収録曲>
1.風の街角
2.昨日に乾杯
3. X(エックス
4.飛んでイスタンブール
5.あんず恋唄
6. Don't let me down
7.フォトグラファー
8.渚のモニュメント
9.はんもっく
10.街に疲れて
11.ルフラン

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