「私たちは日本人です」 夢見た永住 苦難の日々… 長崎の自費帰国者 前田さん

中国残留日本人2世への支援法適用を訴え、証言集に思いを寄せた前田さん(右)と宮崎会長夫妻(左、中央)=長崎市内

 「私たちは日本人です」。長崎市の前田永人(ひさと)さん(62)は23年前の1998年、同市出身の中国残留日本人の母親を追って帰国した。仕事を得ても言葉の壁を理由に数カ月で解雇されるなど、夢に見た日本での生活は苦難に満ちていた。
 中国で生まれた母親は戦後、中国人の養父母に育てられ、中国人男性と結婚。1972年の日中国交正常化後、日本での生活を希望し97年、長崎市へ永住帰国。永人さんら兄弟3世帯9人も98年、母親のもとに身を寄せた。
 日本政府は中国残留日本人の帰国にあたり身元引受人の確保を求め、永人さんの母親は引受人探しに9年かかった。国費での帰国は、配偶者と未成年で未婚の子どもが対象のため、成人し結婚していた永人さんら兄弟は、自費で帰国するしかなかった。県中国帰国者二世の会会員の8割が自費帰国者という。
 自費帰国を理由に、日本語研修や職業訓練を受けられなかった。土木解体や清掃などの仕事に就いたが、日本語が分からないことを理由に長く続かず、6年間で10回、転職した。行く先々でトラブルがあると叱られ、重労働は真っ先にさせられた。
 公的年金に加入できるほどの収入はなく、腰を痛めて働けない現在、生活保護でしのぐ日々だ。「日本政府は自費帰国者には関わらないという姿勢。国費だろうと自費だろうと、私たちは戦争の犠牲者だ」


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