言葉の壁、孤立… 中国残留日本人2世 証言集「私たちも日本人」刊行

県中国帰国者二世の会が刊行した「私たちも日本人 戦争犠牲者は訴える」

 「戦争が残した問題解決を」「日本人と同じ生活水準に」。第2次世界大戦前後、中国北東部(旧満州)に暮らし、終戦後も中国に残された「中国残留日本人」の子どもでつくる「長崎県中国帰国者二世の会」(宮崎一也会長)は9月末、証言集「私たちも日本人 戦争犠牲者は訴える」を刊行した。言葉の壁や就労難で孤立を深め、不安定な生活と老後の不安を募らせる窮状をつづっている。

 同会は2019年、110人で設立。口コミで伝わり157人に増えた。長崎、佐世保、大村、雲仙各市のほか県外在住者も加わる。多くが30代以上で帰国したため日本語が習得できず、生活基盤を築くまでに時間を要した。同会によると、平均年齢は60代後半、県内の約80世帯のうち8割が生活保護を受給する。
 中国残留日本人に対する日本政府の支援法は08年、満額の老齢基礎年金などを認め、その後、配偶者にも適用されたが、2世は対象外。同会は19年、2世への支援法適用を求める署名活動を始め約4千筆を集めた。中国の親類訪問時の滞在期間延長や医療通訳の配置などを行政に求める要望活動も続けている。
 証言集は2世が置かれた実態を伝え、支援法適用運動への理解を広げようと作製。9人が中国語で執筆し、支援している日本中国友好協会県連合会の会員が翻訳した。言葉の違いによる職場や地域からの排除、低賃金で重労働の末の病気、公的年金に加入できず、困窮を極める生活-。長年の心ない差別で精神を病む人もいる現状を明かしている。
 宮崎会長(68)は「中国残留日本人も私たち2世も、帰国しても社会のさまざまな場所で差別され、二重に苦しんでいる」と話した。A4判、16ページ。今後、行政機関などに寄贈する。


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