海が見える職場。憧れませんか?
そこがノスタルジーな雰囲気が残る木造校舎で、近くの教室に仲間たちがいるとしたら? (草を食むヤギもいます)
2018年3月に廃校となった笠岡市立大島東小学校。
その学び舎が2021年夏、クリエイターたちが集う「シェアアトリエ 海の校舎(以下、海の校舎)」になりました。
2021年9月17日現在、7組のクリエイターが入居しています。
かつて小学生が机を並べた教室で、彼らはどんなふうにものづくりに励んでいるのでしょう。
旧大島東小学校
笠岡市の南東、瀬戸内海に面したまち大島には「大島美の浜(みのはま)漁協」があり、朝早くから新鮮な魚介類が並びます。
海辺をひた走る県道47号は、休日にはサイクリストやライダーで賑わう風光明媚な道。
その道から少し坂を上ったところにあるのが、旧大島東小学校です。
幼稚園舎を含め、4棟で構成されています。
広い敷地に築年数の異なる4つの建物。多い年で355名の児童が通っていたそう。
2018年3月の閉校式のときの児童数は11名でした。
海の校舎
海の校舎は、旧大島東小学校の建物4棟を活用する、クリエイターのためのシェアアトリエです。
ものづくりを生業とする人や、アーティストがメインの入居者となっています。
部屋ごとに定められた月額料金を支払って入居。
学校の教室なので、一般的なシェアオフィスと比べると広い空間となっている点が特徴です。
クリエイターはものづくりのための機械を置く場所や、材料をストックする場所が必要なことが多いでしょう。
各種サービスも充実しています。
- Wi-Fi
- 電源
- 水道
- 無料駐車場
- 法人登記
- 住所表記
- 大会議室
- プロジェクター
- 共有冷蔵庫
- 24時間利用可(夜間早朝は近隣の迷惑にならない範囲で)
入居をせずとも、ギャラリーや勉強会、ワークショップなど、短期間のレンタルスペースとしても利用することができます。
海の校舎 運営の仕組み
海の校舎は、入居者有志と地域住民(大島まちづくり協議会のメンバー)が所属する「NPO法人 海の校舎大島東小」が運営しています。
校舎は笠岡市より賃貸。施設・設備の管理や掃除、入居に関する規約づくりや情報発信など、運営業務全般を行なうのが、NPO法人 海の校舎大島東小です。
海辺の校舎という懐しかさと開放感ある空間に身を置きながら、クリエイターは豊かな気持ちでものづくりに励むことができます。
地域としては、思い出が残る校舎が活用されながら維持され、再び人が行き来する場となるのがうれしいポイントでしょう。
利益を上げることではなく、地域の賑わいづくりを目的とした運営方針となっています。
海の校舎の住人たち
2021年9月17日現在の入居者は7組。
入居予定のかたや、入居を検討中のかたもいるので、今後どんどん入居者は増えていきそうです。
それぞれの教室にクリエイターがいる時には、見学や商品の購入が可能ですが、いないこともあるので事前に問い合わせてから訪ねましょう
サザンツリー
家具製作、修理、リフォームなどを行なうサザンツリー。
ネジや金具を使うことなく、伝統的な組み木の技法などを使って家具を仕上げます。
オーダーメイドのテーブル・棚といった家具のほか、おもちゃ、置時計などインテリア雑貨もつくっているそう。
幼稚園舎の遊戯室と保育室に入居しています。
海が見える教室の中には、大きな機械がずらり!
木を切ったり、磨いたり、板に穴をあけたりする機械です。
サザンツリー代表の南 智之(みなみ ともゆき)さんは、NPO法人 海の校舎大島東小の代表理事でもあります。
海の校舎に移転する前は、笠岡市内の別の場所に工房がありました。
機械はすべて、クレーンやトラックを使って自力で運んだのだそう!
SIRUHA
かばん、手帳、財布など、布・革製品をつくるSIRUHA(シルハ)。
目の前のやりたいことに集中できる使いやすさや、気になったところへ歩みだせる身軽さを追求しています。
手のひらに収まるのに収納力が優れたミニ財布(写真左)は、私も愛用中です。ほかの作家とのコラボレーションの展開もあり、選ぶ楽しさがあります。
木造2舎1階の保健室をものづくりスペース、更衣室の一部を展示スペースとして利用。
保健室では取材時もミシンで縫ったり、布を切ったりといった作業が行なわれており、賑やかなようすでした。
SIRUHA代表の藤本 進司(ふじもと しんじ)さんは、サザンツリーの南さんとともに旧大島東小学校の利活用のプロジェクトを進めてきた仲間。
海の校舎に移転する前は、笠岡市内に平屋の一軒家を借りて工房にしていました。
一軒家といっても、居住用の空間は部屋の仕切りがあり、作業スペースは今よりも小さかったそう。
移転することで作業スペースが広くなり、商品を展示しお客さんに見に来てもらいやすい場づくりもできるようになりました。
タイラーデザイン
グラフィックデザイン、WEBサイトデザイン、内装設計などを行なうタイラーデザイン。
商品のパッケージやフライヤーなど、見かけたことがありませんか?
木造2舎2階のなかよし室に入居しています。
教室の窓辺に、パソコン作業を行なうデスクがあり、手掛けたパッケージなどを展示するスペースも設けられていました。
タイラーデザイン代表の杉本 和歳(すぎもと かずとし)さんは、事務所と住居を東京と笠岡に置き、2拠点で活動を行なっています。
笠岡市街地のビルの一室を事務所にしていましたが、海の校舎の構想を聞き「ぜひ入居し、運営に関わりたい!」と手を挙げました。
学生時代に廃校の利活用を行なう他県のプロジェクトに参加した経験があり、関心が高かったのです。
「一級建築士事務所 ぐるり舎」として活動する妻、布留川 真紀(ふるかわ まき)さんも同じ教室に入居しています。
株式会社石田製帽
明治30年(1897年)創業の帽子メーカー、株式会社石田制帽。
麦わら帽子を中心に、シンプルで美しいフォルムの帽子を追求してつくっています。
麦わらを材料にして編んだひも、「麦稈真田(ばっかんさなだ)」づくりは、岡山県南西部を中心に農家の副業として定着。明治後期から昭和初期にかけて盛んに生産され、欧米に輸出されていました。
農作業用の麦わら帽子の製造に長年携わってきた、歴史ある帽子メーカーです。
笠岡市小平井に本社工場があります。
海の校舎で入居している場所は木造2舎1階の図工室。
帽子がおしゃれにディスプレイされていました。
帽子用のミシンもあります。
帽子職人の安藤 裕也(あんどう ゆうや)さんがミシンを動かすと、ひもの状態から丸い帽子が仕上がっていきました。
木型にはめて形をつくっていく帽子もあります。
こういった木型は購入する場合がほとんどですが、海の校舎への入居を機に、家具職人の南さんに教えてもらいながらオリジナルの木型づくりに挑戦した安藤さん。
そのほか、データ分析・マーケティングを行なう「Pairdata LLC.」、糸や布で作品をつくる「イトモノカラフル」が入居しています。
誰も入居していない3階建てのRC造3舎も含めると、まだまだ空き教室があり、今後どんなクリエイターが入居するのか楽しみになりました。
海の校舎はどういった経緯で生まれ、どのような想いで運営されているのでしょう。
NPO法人 海の校舎大島東小の代表理事 南 智之(みなみ ともゆき)さんにお話を聞きました。
NPO法人 海の校舎大島東小 代表理事 南 智之さんにお話を聞きました
──南さんは大阪出身なのですね。笠岡市に移住した経緯を教えてください
南(敬称略)──
はい、私は大阪生まれの大阪育ちです。笠岡で暮らして今年(2021年)で11年目になります。
もともと、大阪の商社に勤めるサラリーマンでした。
仕事は楽しく、やりがいがありましたが、終電に間に合わないような生活で、結婚を機に退職することにしました。
そして、もともと趣味だった木工の世界に飛び込みます。
岡山県津山市で木工の伝統工法を学び、材木が豊富な北海道へ家族と移住しました。
最初はアルバイトを掛け持ち。大変でしたが、家具やおもちゃをつくってインターネットで販売し、徐々に軌道に乗せていきました。
ただ、北海道からの発送だと、送料とお届けまで日数が本州からよりもかかるのが悩みだったんです。
私の母の出身地が北木島で、両親が大阪から北木島に移住していました。
そこで、私たちも移住の候補地として笠岡を検討。笠岡市移住定住センターに住居と工房になる建物がないかを相談した数か月後、ちょうど50メートルほど離れて2軒の空き物件があると教えてもらいました。
そこが海の校舎に移って来る前の工房と、今も暮らしている自宅です。
──海の校舎はどのような経緯でスタートしたのですか
南──
大島東小学校が廃校になるらしい、という話は以前から聞いていました。私はバイクに乗るのが趣味なので、よく県道47号を走りながら、いい場所だなぁと感じていたのです。
2018年3月、大島東小学校が閉校。校舎の中の写真をSNSで見て、建物に価値を感じました。廃校になり、使われなくなるのはもったいない、と。
家具職人は、仕事をするために広いスペースが必要です。学校なら、広いスペースがある。
海が大好き、というわけではありませんが、仕事をしながら海が見えたらすごくいいな、と思いました。
ただ、いくら家具職人の仕事に広いスペースが必要といっても、学校の校舎は、自分ひとりでは持て余すほどのスペースがあります。
そこで、自分だけではなく、ほかの作家、クリエイターのかたも一緒に使えるシェアアトリエという構想につながりました。
市役所に足繁く通い、アイデアを膨らませるなか、「この校舎を残していきたい」、「関わりたい」という仲間がだんだんと増えてきました。
廃校の利活用は、笠岡市としては初めての取り組み。
ルールや制度が何もないまっさらな状態からスタートし、3年という年月がかかりましたが、市・地域・クリエイターと協働で、仕組みからつくり上げることができたと思います。
地域住民のかたたちからも「この校舎は思い出があるから残したい」という気持ちを多く聞きました。
海の校舎を運営するNPO法人 海の校舎大島東小は、入居者有志に加え、大島まちづくり協議会の会長・副会長にも理事・監査役になっていただいています。
地域住民のかた向けにお披露目会を開催したのですが、たくさんのかたが「ありがとう」と声をかけてくださいました。
昔からある学校。多くの思い出が詰まっている場所なのだと改めて感じました。
家具職人の目から見ても、この木造校舎はとても味わい深いんです。階段や手すりはたくさんの子どもたちが触った歴史が刻まれ、丸くなったり溝ができたりしています。
刻み込まれた歴史を忘れずに運営をしていきたいです。
──今後やっていきたいことはどんなことですか
南 ──
たくさんのクリエイターが入居しているので、ワークショップやマルシェはぜひ開催したいですね。
校舎の中の雰囲気もとてもいいですが、広い校庭や、海が見える屋上もあります。開放感あるイベントができそうでわくわくしています。
まだあまり整ってはいませんが、一般のかたにも入って楽しんでもらいたいと思っています。
ものをつくる現場を見て、購入できて、体験ができる…そんな、半日いても飽きないような場所にできたら最高ですね。
休日に海辺を走るサイクリスト向けのカフェスペースや、コワーキングスペースも準備していければと思っています。
やっていきたいことはたくさんあるのですが、実際に運営してみると、人手が足りないです。草刈り、新しく入居されるかたのための教室の改修など…。
草刈りはヤギも手伝ってくれます。
最近、子ヤギも仲間入りしたんですよ。
いろいろな得意ごとをもつクリエイターが集うからこそ、お互いに助け合い、そして刺激しあえると感じています。
いい仕事、いい出会いが生まれる場にしていきたいです。
おわりに
海が見えるノスタルジックな校舎へやってきたクリエイターたち。新鮮な発想や出会いが、ここからどんどん生まれてくることでしょう。
そして、人がいるのといないのとでは、まるで雰囲気が変わるのが校舎ではないでしょうか。
シンと静まり返った教室は少し寂しげですが、そこに商品がディスプレイされ、人が動いていると、その場所そのものが輝いて見えます。
閉校しても人が訪れる場所になった旧大島東小学校は、地域にとっても希望の光であることでしょう。
海の校舎のクリエイターたちは、まちの未来をもつくっているのかもしれません。
イベントの開催や、コワーキングスペースができる日が楽しみです。