【読書亡羊】「もどかしい系議員」と呼びたい 小川淳也・中原一歩『本当に君は総理大臣になれないのか』(講談社現代新書) その昔、読書にかまけて羊を逃がしたものがいるという。転じて「読書亡羊」は「重要なことを忘れて、他のことに夢中になること」を指す四字熟語になった。だが時に仕事を放り出してでも、読むべき本がある。元月刊『Hanada』編集部員のライター・梶原がお送りする週末書評!

なぜ小川淳也議員は注目されるのか

総裁選、新内閣発足、そして月末には総選挙、と怒涛の政治スケジュールで、世の中はすっかり自民党関連のニュースに席巻されている。たまに顔を見せる野党党首(代表)らは相変わらずのメンツで目新しさもなく、こういっては何だがシケたコメントを並べているのみだ。

そんな中で、書店の一角をひそかににぎわせている野党議員がいる。立憲民主党の小川淳也議員だ。自治省の官僚職を辞して衆院選に立候補し、現在五期目。

2019年に公開されたドキュメンタリー映画『なぜ君は総理大臣になれないのか』が話題となり、東大法学部出身なれども政治家らしからぬ言動、振る舞いが「特異である」として注目を集めている。

今回ここで主に取り上げる『本当に君は総理大臣になれないのか』のほかにも、映画の内容を書籍化した『なぜ君は総理大臣になれないのか』(日本評論社)、ノンフィクション作家・中原一歩によるインタビュー本『本当に君は総理大臣になれないのか』(講談社現代新書)、ライターの和田静香氏との対話形式で進む『時給はいつも最低賃金、これって私のせいですか――国会議員に聞いてみた』(左右社)と、「小川本」の刊行が相次いでいるのだ。

どうしてももどかしく思ってしまう

筆者(梶原)も、映画を見て小川議員を知り、『本当に君は―』と『時給はいつも―』の2冊を読んだ。何の気なしに読み始めたが、面白い。するする読んでしまう。対話から伝わってくる小川議員の印象は、確かに「らしからぬ政治家」である。

東大卒のエリート官僚ではあるが、香川の一般家庭に育ち、母親は今も美容師として働いている。香川の自宅は狭いアパート。「妻がレンチンしてくれる油揚げのつまみが好き」。

一方でオタクと言われるほどに政策に通じ、日本はおろか世界(地球)の行く末までよくよく見通しており、「国民一人一人と話し合って政策を決定していきたい」というなんとも立派な民主主義的思想をお持ちなのである。

我々庶民の痛みを知りながら、その解決策を提示してくれる、議員らしからぬ議員。誰だって応援したくなるだろう。別に皮肉で言っているのではなく、実際そう思うのだ。

だが……いや、だからこそ、映画を見て、また本書を読んで、どうしてももどかしく思う点がある。それについて書籍の内容を引きつつ見ていこう。

「早く政界から引退したい」?

映画でも語られているが、小川議員は初出馬の際に、妻に「挑戦すらしなければ、死んでも死に切れん」と述べたという。おそらく、議員になってからは「温めている政策を、この日本社会を救う最善の策を実施できなければ死んでも死に切れん」と思っているに違いない。

『本当に君は総理大臣になれないのか』では、小川議員が「総理になったら」という前提で〈ちょっとやそっとではびくともしない〉と自ら語る日本改革原案が提示され、実行までのタイムテーブルも記されている。実に大型の改革案だが、その実現性や中身はとりあえず置く。

気になるのは「もし成立しなければ即解散し、政権を失えば即退陣、政治家も引退する」と述べている点だ。

バッドエンドの条件を自分から提示してしまえば、「抵抗勢力」はどんな手を使ってでもその条件が満たされる状況へ、「小川総理」を追い込むに決まっている。

さらに気になるのは次の一言だ。

僕は一刻も早く役割を終えて(政界から)引退したいんですから(笑)。

日本の在り方を根底から変えようという大事業を前にして、「一刻も早く役割を終えられる」わけがないのだ。

「権力に執着がない」

ところが、だ。小川議員は映画でも「権力に執着がない」とし、自らそれを「政治家として致命的」とまで述べている。

筆者は思わず、映画のタイトルになぞらえて「あなたが総理になれない理由はそれだよ!」と画面に向かって叫んでしまった。

小川議員は〈強靭な意志で「変わるまい」と歯ぎしりしながら自分を律している〉といい、当初は50歳での引退を誓っていたという。

しかし日本を変えられないままリミットを迎えてしまった。

あれだけの日本の将来に対する強い危機感を持ちながら、「その実現に必要な権力」に執着しないで、どうやって政策を実現するというのだろうか。「あとは権力だけじゃないか!」と非常にもどかしく思うのだ。

菅前総理との共通の信念

小川議員が多くの人から応援されるのもわからなくはない。

和田静香『時給はいつも最低賃金―』のコラムに「小川さん号泣」という一文がある。「社会の片隅で働く人たちへ、小川さんの言葉をいただけないか」というライターの和田氏の要請に、涙ながらに小川議員がこう述べるシーンがつづられている。

普通の人生、普通の暮らし、そこが最も尊く愛しく、その暮らしこそが大切にされる世の中であるべきで……。

そして「今の政治にはそうした観点が欠けている」という話になる。小川議員の涙は美しい。だが、このくだりを読んで思い出したのは、先に総理の任を解かれた菅義偉前総理の、官房長官時代の言葉だった。

みなさんにとって重要な人生の選択の際に、できるかぎりそれぞれの方々の希望がかなえられるように、選択にあたって障害がないような環境や制度を用意していくのが政治の役割だと、私は思います。
(雑誌『プレジデント』連載「菅官房長官の『戦略的人生相談』・第7回)

公平を期すために述べておくと、筆者はこの「人生相談」連載でライターを務めていた。この菅前総理の言葉はある身の上相談に対する回答の一部なのだが、「なんと、そんな思いがおありで?!」と初めて気づかされたのを覚えている。

要するに「政治家として何をすべきか」の信念は、小川議員も菅前総理も、実はそう遠くはない。

本を読み、映画を見れば小川議員を応援したくなる。だからこそもどかしい。

多くの人がたぶんそう思うのだろう。だから映画が作られ、本が出る。

小川議員から見れば権力に執着があるように見える(のかもしれない)人も、その権力を使って実行したいことはあなたと同じ「国民の幸せの実現」だとするならば、小川議員、あなたは「もどかしい系議員」のままでいいのですか、と問いかけたいのだ。

梶原麻衣子 | Hanadaプラス

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