【高校野球】夏登板ゼロも…ドラフト指名の可能性 八王子の“和製ランディ・ジョンソン”の魅力

八王子・羽田慎之介【写真:川村虎大】

羽田は191センチの長身から最速149キロを誇る大型左腕

知る人ぞ知る……という表現が正しいだろうか。身長191センチ、体重87キロの大柄な体から長い腕をしならせ、打者を牛耳る。八王子学園八王子(東京)のエース・羽田慎之介投手だ。最速149キロを誇り“和製ランディ・ジョンソン”とも呼ばれる逸材だが、高校最後の大会である今夏の西東京大会で登板機会はなし。怪我に苦しんだ左腕が、プロ志望届を出したきっかけとは。

「最終試験を受けさせてもらえなかったって感じでした」。試験とは、今夏の西東京大会のことだ。昨年秋に発症した左肘の骨髄浮腫が再発し、羽田は舞台に立つことすらできなかった。悔しさと、情けなさがあった。

小学2年で野球を始め、中学では強豪・東練馬リトルシニアでプレーし、3年時に全日本中学硬式野球選手権「ジャイアンツカップ」で準優勝を遂げた。ただ、自身は3番手投手だった。

大学進学も視野に入れて八王子に進学。2016年に同校を夏の甲子園に導いた安藤徳明監督の指導のもと、下半身の強化を徹底した。走り込みやウエートトレーニングなどで鍛錬を続けると、入学時130キロだった球速が徐々に上がっていった。初めて背番号「1」を背負った2年秋の東京大会で144キロを計測。その時に初めて、プロが現実に近づいたという。

しかし、目標が見つかった矢先、野球の神様は羽田に試練を与えた。

左肘の骨髄浮腫で夏大会は未登板、大学進学を考えたが…

鍛えた下半身に腕がついてこなかった。左肘の骨髄浮腫。疲労骨折の一歩手前の状態で、冬場は投げられない日々が続いた。「やっぱり苦しかったですね」と当時を振り返る。

年明けから徐々にスローイングを再開させ、春季東京大会では初戦の小平西戦にリリーフ登板した。安藤監督に「スライダー封印で7割の力で」と厳命される中、自己最速の146キロをマークするなど3者三振の圧倒的な投球。さらに3回戦の専大付戦では149キロを計測した。その後は100%の力で100球以上投球できるまで回復したが、西東京大会を目前に控えた6月下旬、またしても左肘痛が羽田を襲った。

「マジか……って思いましたね」。最後の夏に登板できず、高卒でのプロ入りは諦め、大学進学を一度は決意した。だが、チームメートや安藤監督の言葉に考えを変えた。「みんなが『絶対(プロ野球志望届を)出した方がいい』と言ってくれたので。それに、監督さんは『出すものだと思っていた』と、進学のことは頭になかったようです」と笑う。これらの言葉が後押しになり、1%の可能性があるならとプロへの挑戦を決めた。

現在は左肘の痛みはない。ブルペン投球はしていないが、既にスローイングは再開している。肘に負担が掛からないよう、ヤンキースのアロルディス・チャップマン投手、メッツのジェイコブ・デグロム投手らメジャーの剛腕の上半身の使い方を参考にし、体全体を使う投げ方に取り組んでいる。「プロに入れたら、まずは怪我せずに戦えたらなと思います」。“和製ランディ・ジョンソン”に吉報は訪れるだろうか。

◯羽田慎之介(はだ・しんのすけ)
2003年12月25日、埼玉県所沢市生まれ。左投左打。191センチの長身から最速149キロを誇る大型左腕。小学2年時に地元の「荒幡ライオンズ」で野球を始め、6年時にライオンズジュニアに選出。中学では東練馬シニアでプレーした。八王子では2年秋からエースとなり、秋季東京大会でベスト8進出に貢献。名前の由来は巨人・阿部慎之助1軍作戦コーチ。趣味は散歩、絵画。(川村虎大 / Kodai Kawamura)

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