引退決めた鷹・長谷川勇也 勝利への執念を示した語り継がれるべき2つの“ヘッスラ”

ソフトバンク・長谷川勇也【写真:藤浦一都】

多くの人が思い浮かべる昨年の日本シリーズでのヘッドスライディング

ソフトバンクは8日、長谷川勇也外野手が今季限りで現役を引退すると発表した。9日に引退会見を行う。ホークス一筋15年の打撃職人にはクールでストイックなイメージがついてまわる一方で、いつしか誰よりも熱い“戦う姿勢”をグラウンドで表現するようになった。そのきっかけは何だったのか――。

長谷川が見せた“戦う姿勢”といえば、多くの人が昨年の日本シリーズ第3戦でのヘッドスライディングを思い浮かべるだろう。6回裏の2死満塁で代打として打席に立ち、痛烈な打球を放ちながら相手が好捕。一塁ベースに懸命に滑り込みながら惜しくもアウトになった瞬間、四つん這いのまま右手をグラウンドに叩きつけて悔しがった。

ただ、長谷川には語り継がれるべき“もう1つのヘッドスライディング”がある。それは2014年、ロッテとの開幕戦だ。初回に1点を先行されたソフトバンクは2死から内川と李大浩の連打で一、三塁とし、長谷川が打席に入った。一、二塁間に転がった長谷川の打球を根元が捕り一塁へ。長谷川が決死のヘッドスライディングで飛び込むと判定はセーフ。激しく転がった長谷川のユニフォームは襟元が大きく裂け、その間に内川が同点のホームを踏んだ。

グラウンド上で感情をむき出しにするキッカケになった2011年の日本一

このプレーの直前。長谷川はライトの守備で見事なスライディングキャッチを見せ、ロッテの追加点を防いでいる。長谷川の好守に渡る熱血プレーで勢いづいたソフトバンクは、この試合を11対5と圧勝。長谷川自身も第2戦で3安打3打点、第3戦でも1打点を挙げ、開幕3連勝を飾った。特筆すべきはこのプレーが試合の終盤ではなく、初回のプレーということだ。開幕戦ならではの高揚感はあったにせよ、長谷川の勝利に対する執念が垣間見られた瞬間だった。

その年の9月、長谷川は本塁突入で右足首を負傷し、その後のプレーに大きな影響を及ぼすことになった。それでも、野球に対する求道心を失うことなく努力を続け、プロ通算1108本の安打を放った。その中の1本であるこの根性のタイムリー内野安打も、長谷川らしさを凝縮した1本だと言えるだろう。

長谷川は2013年に首位打者(打率.341)、最多安打(198安打)のタイトルを獲得した。その年はほかにも交流戦MVP、2度の月間MVP(6月、9月)、ベストナインなどを獲得している。好調さもあってか、塁上で素直に感情表現することが増えてきたのもこの年だ。そのことについて、シーズン中盤に長谷川に話を聞く機会があり、長谷川は「2011年の日本一を経験したから」と語っていた。

「この1勝が優勝につながると思うと、自然とガッツポーズが出るようになりました」

「優勝の喜びを感じて以来、この1勝が優勝につながると思うと、自然とガッツポーズが出るようになりました。それまでは、1つのプレーで一喜一憂したくなかったのですが、嬉しい方は出るようになりましたね。今でも悔しい表情は出しませんけど」

当時そう語っていた長谷川は、徐々に悔しさも表に出すようになっていく。2016年4月24日の日本ハム戦。長谷川は2死二、三塁で迎えた第2打席で空振り三振、2死二塁での第3打席で遊ゴロに倒れた。懸命のヘッドスライディングも実らず、いずれの打席後もベンチで悔しさを露わにした。そして、1点ビハインドで迎えた8回の第4打席でこれまでの悔しさをぶつけるように起死回生の同点本塁打。この一打が9回の内川のサヨナラ弾に繋がった。

その試合後、工藤公康監督は「最後まで諦めない気持ちが勝たせてくれた試合。長谷川くんはショートゴロをすごく悔しがっていたし、それが次の打席でいい形で出た」と語れば、内川も「ハセのヘッスラにチーム全員感じるものがあった。『俺も何とかしなきゃ』という気持ちにさせてくれた」と語っている。

“チームをその気にさせるアウト”もまた、長谷川の真骨頂だった。長谷川の野球に対する真摯な姿勢は、後輩の中村晃や栗原陵矢に大きな影響を与えている。いつか彼らが「アウトになってもチームを燃えさせる術」を身につけたとき、それはまたソフトバンクの大きな“財産”となることだろう。(藤浦一都 / Kazuto Fujiura)

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