【昭和~平成 スター列伝】現代によみがえった!若きジャイアント馬場の秘密兵器

ブラッシーにジャイアントバックブリーカーを決める馬場。文字通りの最終兵器だった(東スポWeb)

女子プロレス「スターダム」のレディ・Cが、9月20日の後楽園大会で月山和香から待望のシングル初勝利を挙げた。しかもフィニッシュは“世界の16文”ことジャイアント馬場、若き日の秘密兵器・ジャイアントバックブリーカー(巨人式背骨折り)だったから驚きだ。

177センチと女子では最長身を誇るだけに、説得力は抜群。26歳の乙女が、いったいどこからこんなクラシカルな技を会得したかは不明だが「馬場さんの技を使うレスラーということで広まっていけば」と胸を張った。

ジャイアントバックブリーカーは、後方からコブラクラッチを決め、そのまま相手の体を後方に反らせつつ自分の片ヒザをマットにつけて絞め上げる。首と腕と腰が完全に決まる難易度の高い複合関節技で、若き日の馬場が得意としていた拷問技だ。

しかも馬場は正真正銘の大一番しか同技を使わなかった。“銀髪鬼”フレッド・ブラッシーとのインターナショナルヘビー級王座戦(1969年7月3日、蔵前国技館)、69年12月3日東京体育館のドリー・ファンク・ジュニアとのNWA世界ヘビー級戦、ドン・レオ・ジョナサンとの第12回ワールドリーグ決勝戦(70年5月29日、日大講堂)など…。

特にインターナショナル王座は3度の戴冠と通算49度の防衛を誇ったが、この技でギブアップを奪った防衛戦はブラッシー戦1試合しかない。この試合の詳細を報じる本紙は「馬場新兵器誕生の秘密」との大見出しで巨人式背骨折り誕生の“秘話”を明かしている。

「馬場がこの技を使ったのはこの日が初めてではない。これまでも何度か爆発させて外国人殺し屋を痛めつけている。だがタイトルをかけた大死闘で、この技が最後の切り札として使われたのは初めてだった。参謀・吉村道明も『馬場ちゃんがこの技に自信を持っているのは分かっていたが、何しろこの俺ですら年に2、3回しか見たことがなかったから、その破壊力をはっきりつかんでいなかった』と明かした」

さらには「馬場がこの巨人式背骨折りを覚えたのは実は8年前、61年に初渡米したときだ。ロサンゼルスのオリンピック・オーデトリアムで開かれていたサンダー・ザボーのレスリング教室に通った時『小さいヤツがやっても効果はないが、お前ほどの身長があれば一撃必殺の技になる』と手をとって教えられた。ザボーは4年間にわたりレスリング世界選手権を制して“ハンガリーのレスリングの神様”と言われた男。そのザボーが馬場用に考案し伝授、名前までつけてくれたのがこの技だ」と報じている。

ちなみに本紙には64年に小鹿雷三(現グレート小鹿大日本プロレス会長)を相手に道場で技を練習する写真が現存している。約8年の間に、何度か試し斬りしながらここ一番まで温存。ブラッシー戦で満を持してフィニッシュに使ったわけだ。

その後は77年5月5日秋田のジャンボ鶴田とのチャンピオン・カーニバル公式戦や、同年11月7日韓国ソウルのインターナショナルタッグ王座戦(馬場、鶴田組対大木金太郎、キム・ドク組)で出すこともあったが、ギブアップ技は自らのプロレス哲学に反すると考えたのか、やがて封印されてしまった。それから40年以上もたった後、忘れられかけていた必殺技が、女子のホープにより現代によみがえったのだから、本人も天国でほほ笑んでいるに違いない。 (敬称略)

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