王子トッティが明かす!移籍する可能性があった唯一のチームとは

地元ローマの生え抜き選手として、785試合に出場したフランチェスコ・トッティ。

メガクラブからのオファーを断って忠誠を誓い続けたが、最後の別れ方はやや微妙なものでもあった。

そのトッティは『Guardian』のインタビューでサッカーは変わったと述べている。

フランチェスコ・トッティ

「私が始めたのは違う時代だった、サッカーも違った。

サッカーは愛、そして、ファンへの愛情でできている。

自分がずっと応援してきたチームでプレーすることは、簡単な選択だった。

同じチームに25年間在籍するのは、簡単なことではない。

キャプテンを務め、最も重要な選手のひとりとして、常に力を発揮することが求められる。

ただ、私の時代と今とを比較するのは難しい。今はよりビジネス的だ。

より金を稼げるところに行く。それはフェアなことじゃないかい?」

ローマにキャリアを捧げたトッティだが、彼を熱心に誘っていたのがミラン。12歳の時から狙っており、1996-97シーズンにも獲得に乗り出す。

当時カルロス・ビアンチ監督が率いていたローマも、トッティのポジションにヤリ・リトマネンを補強しようとしていた。

ミランの魅惑的なサッカーと破格のオファーに惹かれたトッティだが、両親とともにそれを断る決断を下している。

その後、トッティは30歳になろうとしていた2006年夏にはレアルから世界最高給のオファーを受けた。

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その5年前にもレアルからオファーを受けた際にはローマ側が一蹴していたそうだが、トッティはこんなことも話している。

フランチェスコ・トッティ

「振り返ってみて、レアル・マドリーにノーと言った事実を考えてみると、少しだけ疑問が残る。

レアル・マドリーは自分がプレーできたかもしれない唯一の他チームだった。

可能性があったただ一つのチームだったと思う。

外国での経験は誰にとっても素晴らしいものになったかもしれない。家族にとっても、私にとっても…。

(リモートインタビューが回線の都合で中断された後)

自分自身で決断した場合、それは間違った選択には決してならない。そう思わないかい?」

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